第8話:快適な道中を過ごしていたはずなのに……
「本当に丘と緑しかない国だなぁ……」
旅の景色は、王都を出てから一日半経った今もまったく変わり映えしない。
雲一つない青空の下、なだらかな緑の丘陵がどこまでも広がっているエルグランドの肥沃な大地。
曲がりくねった小川は自由な線を描きながら悠々と流れ、黒々とした林や小さな農村は大地にできたシミみたいに私の目には映る。
「セイラン、気分はどう?」
牧歌的に満たされながら、私は跨がっているグリフォンの首筋を優しく撫でた。
グルルルォ、とセイランが気持ちよさそうに嘶く。
「あとで兎肉あげるからね」
ギルド長が用意してくれた王都への「足」は、ギルドが所有する緊急連絡用グリフォンだった。
グリフォンは獅子の体に鷲の頭と翼を生やした獣で、その気高さと強さから武闘派の貴族や戦闘系ギルドに特に好まれて飼育されている。
ただ、本来は人を寄せつけぬ霊峰に暮らす希少種であるため調教は非常に難しく、専門の『鷹獅子匠』にしか管理することはできない。
それ故、世界有数の規模を誇る冒険者ギルドでさえ、エルグランド王国内では王都に二頭、北部辺境伯領に三頭所有するのみである。
そんな貴重なグリフォンを私に貸し出してくれるというのは、ギルド長の好意というだけでは説明がつかない。
「……これ、相当ヤバい箱なのかな」
私は旅用ローブの胸の辺りをさする。
木箱は念のため荷物袋ではなく専用の袋に入れて、身体にぐるりと結びつけてある。
心臓の位置だから、襲撃があっても一番気にして守れる場所だ。
「まあ、空飛んでれば関係ないけど……あ~、快適っ」
グリフォンはがっしりとしているから乗り心地も素晴らしい。
それに、空を飛べば人を会わないから顔を隠す必要もなく、仮面をつけずに素顔でいられる。
新調した仮面は顔の表面をすべて覆っているから、蒸れるし邪魔だし鬱陶しい。
「いっそぜんぶの移動がグリフォンだったら楽なのに……」
馬車で一週間以上かかる道のりを、セイランは二日目でもう踏破しそうな勢いだ。
人目につかないよう大きな村や町を避けてもこの早さである。
最短距離を行けば国内のどこであっても王都から一日か二日で着けるだろう。
こんな移動手段はめったにないから、引く手あまたなのも頷ける。
本来、私なんかが乗っていていいような子じゃないのだ。
「このペースなら日暮れ前にはラ・ピュセルにつきそうだな」
昨夜は手頃な森に下りてセイランと野宿した。
この時期のグリフォンは長い冬毛が暖かく、添い寝すれば焚き火やテントもいらないレベルだ。
彼らはプライドが高いため、雑な乗り方をして嫌われると決して添い寝させてはくれないんだけれど、穏やかに飛んでいたからか私はそれを許された。
おかげで、体験したことないレベルのモフモフさで最高の睡眠をすることができた。
「せめてもう一晩セイランと眠りたいけど、野宿はリスクが高いし……さけるのが無難だよね」
王都やラ・ピュセルの近郊は比較的治安がいいけれど、野盗や魔獣がいないわけではない。
私とグリフォンを倒せる相手なんて滅多にいないと思うけれど、万一ということがある。
「まっ、仕方ない……って、あれは?」
そんな感じでのんびり飛んでいると、ふと黒い森に面した街道で幌付きの馬車が横転しているのが目に入った。
紋章からしてどこか別の地方の貴族の馬車だろう。
襲っているのは弓や剣で武装したオークの野盗団で、応戦したらしき兵士が数人地面に倒れている。
「……治安悪いなぁ」
助けるか、無視するか。
冒険者時代、こういう時は何も考えずパーティーの決定に従ってきた。
しかし、今は一人旅の最中だ。
私が行動を決めなければならない。
「まあ、普通に考えたらスルー……だよね……」
見た感じ、戦闘はたった今終わったみたいだ。
オークたちは死体の鎧を剥がしたり、馬車の中を探りにかかっている。
ここから助けに入っても、もはや誰も救えそうにない。
私は魔術免許も持ってないし、懐にはヤバそうな運搬物もある。
不要なリスクを負うべきじゃない。
「見なかったことに……って、あの子……ッ」
セイランに早駆けの指示を出そうとした瞬間、馬車の中から私と同い年くらいの少女が飛び出してくるのが目に入った。
彼女は修道女が被る黒いトゥニカをまとい、頭にはフードのようなウィンプルを被っている。
盲目あるいは怪我人なんだろうか、その目元には複雑な金糸の刺繍が入った白い聖布が巻かれている。
そして、奇妙なことにその両手は魔道具の手枷で拘束されていた。
「どうしよう……私は……」
少女を助けるべきか否か、私は迷ってしまい身動きが取れなくなる。
リスクのこともあるけれど、そもそも私は他人とあまり関わりたくない。
というか、関わり方を知らない。
ここで助けに入っても、その後少女をどう扱えばいいのか分からない。
「女ガ逃ゲダゾォ!」
そうこう悩んでいるうちに、馬車を漁っていたオークの一匹が少女に気づいて大声を出す。
それを聞いて、少女の進行方向にいた一匹が振り返り、少女に向かって槍を突き出す。
「危ないっ!」
私が思わず叫ぶのと、少女が前転するのがほぼ同時だった。
間一髪、オークの槍は少女の修道服を掠めて空を切る。
「すごい反射神経……」
少女は前転ついでに落ちていた剣を拾い、立ち上がって正眼に構える。
佇まいからして、少女には剣術の心得があるらしい。
しかし、いくら剣術ができても両手を拘束されていてはまともには戦えない。
他のオークたちもどんどんやって来て、何本もの槍が次々に突き出される。
抵抗虚しく修道服のあちこちが無残に切り裂かれ、ついには剣までも叩き落されてしまう。
「あのままじゃ、まずい……っ」
多勢に無勢、少女は砂を蹴って目つぶしにし、再び逃走を図って走り出す。
けれども、手枷が邪魔になってスピードが乗らない。
オークたちは、下卑た笑いを浮かべながら少女を追っていく。
捕まったら、何が起こるのかは明白だ。
「他人、なのに……私とは関係ないのに……」
逃げ惑う少女を見て、私の脳裏に浮かんだのは、いつまでも開かない一枚のドア。
すべてが済んだ後、師匠はドアの前で座り続ける私を抱きしめて言った。
「あなただけでも助けられて良かった」
その後、師匠が私を育ててくれたのは、あの時に私の両親を助けられなかった罪悪感ゆえだろう。
もしも私がここで少女を助けなかったら、きっと師匠と同じような罪悪感を抱えることになってしまう。
しかも、少女が死ねばその罪悪感を解消する機会も永久になくなってしまう。
「——くそッ」
舌打ちすると、私はセイランの手綱を引いて急降下の指示を出した。
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