第4話:追放前に、最後のお風呂を
王都の下町にある宿屋・マーメイドの一室に朝日が差し込む。
私は窓を全開にし、清々しい空気を胸いっぱい吸い込んだ。
「……ふぅ。終わった」
テーブルに置かれた仮面がキラリと光る。
どこにでもありそうな、のっぺりとしたデザインの仮面。
しかし、顔と接する裏面にはびっしりと魔術が刻印されている。
「術式効果……外見隠ぺい、魔力隠ぺい、目くらまし、魔術防御……うん、前の仮面とそん色ない完璧な出来!」
自宅から物品を回収した後、私はひとまず宿屋に部屋を取った。
そして、一晩かけて新しい仮面作りに全精力を注いだ。
(魔術使うのは禁じられてるけど、バレなきゃセーフだよね)
この部屋に張ってある私の隠ぺい結界魔術を見破れる者は、おそらく世界中に三人もいない。
だから心配する必要はまったくないのだった。
「これをつけてれば、"死領域"には見えないはず……」
冒険者をやっている時に被っていた道化師のデザインは目立ちすぎる。
というか、"死領域"だってバレバレだ。
国外追放になるんだから、地味な格好をするに越したことはない。
「寝込みを襲われても、これならしのげるし……」
仮面の自動防御だけでも、B級魔術くらいなら迎撃できる。
「よしっ、お風呂にしよう!」
仮面をしまうと、私は素早く服を脱ぐ。
普段はまとめて団子にしている腰くらいまでの長さの黒髪も、一気にほどいて解放してやる。
「緑のタイル、すごくキレイ……」
採光窓からの朝日に照らされた浴室の壁は、エメラルドで作ったみたいに美しく輝いている。
「この宿にしてよかった……」
宿屋・マーメイドは、王都でも数えるほどしかない各部屋にタイル敷きの浴室がついている宿屋だった。
お金持ちの商人か貴族以外は桶に汲んだ水で身体を拭くのが普通のエルグランド王国において、部屋に浴室の設備があるのは最先端の宿屋の証。
宿泊料金が相場の三倍であっても、泊まりたいと夢見る人間は後を絶たない。
もっとも、効率重視でお金にうるさい冒険者は例外だ。
クエストに出れば一週間、どころか一か月お風呂のない生活を強いられる冒険者は、普段からヨゴレをあまり気にしない傾向にある。
お風呂にお金を出すくらいなら、武具やアイテムに使うのが冒険者という生き物なのだ。
私も普段なら家で身体を拭くくらいしかしない。
「でも、私はもう冒険者じゃないし……贅沢しても、いいよね!」
部屋との区切り扉を閉めたら、私は浴槽に向かって手をかざし、魔術を行使するための"
「"紅蓮の炎よ、我が敵を燃やせ、火球"……、"不変たる水よ、我が敵を流せ、水球"……」
すると私の右手から炎が上がり、左手からは水が噴き出す。
水はスライムのように丸くなって宙に浮かび、その周囲を炎が囲って温度を上げる。
「……こんなものかな」
一分ほどでちょうどいい温度のお湯ができた。
私は炎を消し、水を優しく浴槽に注ぐ。
「よし……あぁ……気持ちぃ……」
そして、肩まで一気に湯船につかった。
しばらくクエストに出ていて、その後クビになって、夜通し仮面を作って……心が休まるのは実に五日ぶりだ。
「まともな人間になっていく気がする……」
お湯で顔を洗ってぼーっとする。
これから宿屋を引き払ってギルドへ行き、そこで資格について手続きをした後、馬車で国を出るため旅立つことになる。
その過程で最低でも宿屋のおかみさん、受付嬢、ギルド長、馬車の御者と話さなくちゃいけないわけだ。
「コミュニケーション、取りたくないなぁ……」
勇者のパーティーにいた頃は、受付などの雑務はぜんぶ仲間がやってくれていた。
私はどんなクエストなのかを聞いて準備すればいいだけだったし、注意事項なんかも定型句を組み合わせて伝えれば十分だった。
それが今は、すべて自分でやらなくちゃいけない。
「……師匠にも『他人に興味なさすぎよ!』って言われてたっけ」
考えていることを口に出さずに伝えられたら楽なのに。
あいにく、そんな魔術は伝説的な『恋の魔法』くらいしか聞いたことがなかった。
なんでも、恋人同士の間に働く一種のテレパシーらしい。
「"水球"……」
人差し指を振って、水属性の魔術を発動させる。
石鹸水が自動的に泡立ち、私の全身を洗っていく。浴室内はすぐにシャボンの清潔な香りに満たされる。
長い黒髪には別の魔術をかけて汚れを落とし、その後手ずから保湿のために植物製の油を塗り込んでいく。
「髪、伸びたなぁ……」
私の散髪は師匠がやってくれていた。
だから、冒険者になってからはもう三年も髪を切っていない。
まとめておけば邪魔にならないし、いざとなれば断熱材になるからいいかなって伸ばし続けてきた。
「冒険者以外の仕事、か……」
しかし、私はもう冒険者じゃないのだ。
場合によっては髪も切らなくちゃいけないだろう。
「私にできそうなのは……魔術講師、とか?」
私は学校と呼べる施設に通ったことがない。
知識はすべて師匠と書物と実戦から教わった。
それでもS級の実力はあるから、誰かに教えることだってできるはずだ。
問題は二つ。
「魔術資格がないのと、コミュニケーションが苦手なの……」
資格の方は、師匠のコネでも頼って他国の魔術女学園に入学すれば何とかなるかもしれない。
十五歳という年齢は、ちょうど魔術女学園の入学試験を受けられる年齢だ。
「でも、学園に入ったら同世代と付き合っていかなくちゃいけない……」
そもそも私は、同世代の女の子としゃべったことさえも、片手で数えるほどしかない。
それも食堂の店員とか、パン屋の会計娘とか、そういうビジネスライクな相手だった。
「無理すぎる……冒険者じゃない相手と、何しゃべったらいいかとか、分かるわけないし……」
身体を洗い終えた私は、汚れた石鹸水だけを分離して排水溝に流すと、再び湯船にゆっくりとつかる。
「せめて冒険者資格だけでも残してくれたら……」
アン王女はどんな意図があって私を国外追放にするのだろう。
私が邪魔なら普通にパーティーをクビにすればいい。
冒険者資格をはく奪するほどの恨みを買った覚えは、さすがにないのだけれど。
「恋心の暴走、なのかな……」
アン王女は勇者アイザックに一方的に想いを寄せている。
アイザックが私に惚れていた場合、私をクビにしたらアイザックも私を追っかけてパーティーを抜けるとでも心配したのかもしれない。
「そんなことあるわけないのに……」
恋に狂った人間の行動は、常人の予想を軽く超えると書物にはあった。
なまじ権力を持った王族が恋に狂うと、S級冒険者であっても人生を破壊されてしまう。
仕返ししようにも相手の地位を考えれば、泣き寝入りをするしかない。
「はぁ……やっぱり魔術資格を取るしかないよね……面倒……」
国を出た後、十五歳の小娘が一人で生きていくには魔術に頼るしかない。
そして、合法的に魔術資格を得るためには、魔術女学園に入らなければならない。
良すぎる顔は仮面で隠せても、生活していくにはどうしたって他人と話す必要がある。
戦場や未開の地ならともかく、女学園で話せることなんて何もない。
死臭の消し方は知っていても、香水のことは何も知らないし、良い防具の選び方は知っていても、可愛い服のことは着方さえ分からない。
「人間関係のやり方とかも、授業で教えてくれないかな……」
何事もなく、穏やかに女学園生活を終えられはしないものか。
先行きの不安を少しでも融かそうと、私はしばらくお風呂に入り続けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます