第二幕『今、明かされる原論秘話』

 紀元前3世紀頃。エジプト。アレクサンドリア。

実は記録に残っているよりも、この頃のギリシャ人たちはずっと進んだ領域にいた。


 エウクレイデスは研究者としても教師としても非常に優秀な人物であったが、しかしこだわりがあまりにも強く、やや短気なところがたまに傷だった。

 彼はある時、自らが書いたばかりの書物、原論を用いて、何人かの弟子たちに、幾何学の授業をしていた。そして弟子の1人があることに気づき、質問してみた。

「先生。例えばこの世界の空間が曲がってると仮定した場合、この第五公準というのはおかしい定義にならないでしょうか?」

 教師は、特に動揺することもなく答える。

「もちろんそう仮定した場合はな。だがこれはあくまでも、この五つの公準を定義して問題ないような世界における幾何学の体系の話だ」

 エウクレイデスはそのことをしっかり自分で理解していた。

「でも、実際この世界がどういうものかは証明されてないじゃないですか? だから、今こんなこと仮定して考えても無意味だと思います。こんなこと学んでも意味ないですよ、少なくとも意味ない可能性が高いですよ。実用的じゃないです。こんなの考えてる時間使って、実際の世界がどうなってるかを先に研究したほうが、順番的に実用的じゃないでしょうか」

 しかしこの身の程知らずな指摘が、偉大な大先生の怒りを買ってしまう。

「実用的、実用的。まったく、君は学というものがなんなのかを、まるでわかっていないらしい。君にここで学ぶ資格はない」


 こうして彼はクビにされてしまった。そして、大先生のその大きな影響力で、科学が得意なことだけが取り柄だった彼の将来は閉ざされてしまった。


 クビにされた彼の親友も、エウクレイデスの弟子だった。しかしそちらの彼は、余計なことを言わない、実に優等生な子で、エウクレイデスにかなり気に入られていった。

 そして彼は、エウクレイデス渾身の一冊、原論の、配布用写本を書く権利を得た(この時代に印刷技術はなかった)


 知識こそ人類の遺産。

 そしてその人類の遺産を、今後ギリシャ世界が滅んでしまったとしても、後の世代がしっかり受け継いでくれるようにと、エウクレイデスはその偉大な教科書を書きあげたのである。

 しかし、エウクレイデスの一番の信用を得た彼に、そんな崇高な精神はなかった。彼が持っていたのは、ただ友情と、そのために戦う精神だけ。


「まずはじめに書いておくが、これらは基本定義というよりも、要請である。つまりこの幾何学体系は、このような条件が真なら、このような世界であろうという、一定の領域での解説にすぎない」

 彼は最初の写本を書く時に、原論の原書の最初に書かれていた、そのような1文を容赦なくカットした。


 それはたった1文を消すだけの復讐だった。

 たった1文を消すことで、2000年の誤解を生み、エウクレイデスが望んでいたような賢き世界への発展を止めてやろうという、ものすごく壮絶で、スケール大きな悪戯であった。

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原論の大いなる秘密 ~賢者たちの悪戯戦~ 猫隼 @Siifrankoro

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