筆者様、私は近年人命が安くなっているのではと思っていました。
昭和の時代迄、七つまでは神のうちと言われ、七歳未満の幼児を口減らしした話。戦中の死のう団。此等は貧しさもあったと思います。徴兵も人々は一銭五厘と言い(赤紙通知郵便が一銭五厘の値段)自分の命の安さを笑ったとも。
ハンデのある人についての筆者様の寄添い、優しさを感じます。
置物の福助は水頭症の幼児を象ったともされ、ハンデのある子を大切にすると福が来ると言い習わしたとも。
ですがつい先日も自殺する為に他人を道連れにしようとし、死にきれず捕まった若者。
自儘な他人無理心中…
危うい動機ですが、経済の停滞か戦争の足音なのか…一億総中流、終身雇用、飽食の時代。どれも過去。貧しいのに人口は多い。閉塞した現代の病かとも。
更に巧妙な扇動も行われ、過激な主義が囃されるのは昔の軍部独走を思わせます。
そして先進国を名乗る国の中で日本は自殺者が飛び抜けて多いとも耳にします。
自殺や殺し合いはアポトーシスだと言う研究者も。
廃止された優生保護法の代わりに世間の圧力にさらされた上での自殺…
最近の自殺は無意識下の殺人事件なのではとも思いました。
作者からの返信
小さな物語の中では自殺も殺人もアポトーシスになってしまいそうだとも思ってしまうんですよね……
そこを転換することで最終的そのアポトーシスを無くすことは出来るでしょうと思っていますが。
社会不安は本当に十字架なんですよね……。なんか末法思想みたいに、世界はどんどん悪くなっていくように見えてしまうんですよね。それへの反論が『ファクトフルネス』でしたがそれでも……
しかも現代、希望が見えなければ自殺していい、むしろ幸せだ、と考えるブームがあります。小説の形式として、恋人で心中するメリーバッドエンドという言葉が生まれまして、その筆頭が楽曲の『夜に駆ける』でした。軽快な曲ですが、背景と歌詞がそういう意図です。この曲のヒットは、ある種殺人を犯したのではないかと言えそうです。
今の時代はやや個人主義なので、実は個人を公共の福祉で縛るのもまずいという考え方もあるから、そのような場合では個人の自殺はそれが波及しない限りは権力者によって規制していいものでもない、とも考えてしまいます。
でも、自殺を許容することは、その論理を提示したことにより他者の自殺を勧めるものになった場合、間違いなく人を殺したことに当てはまります。ですから自殺を許容することに対しては大きな責任が伴うでしょう。
その原因がいじめならもう寸分の間違いなく殺人に該当しますし、パワハラが微妙な点ですね。一種のカルチャーショックですから、どちらも悪いとも言いますし、ただ自殺をしたからと言って贔屓をするべきかどうか……でも『うっせえわ』にあるように上司の習慣にはある種の生きづらさがあるとは標準的に考えられるのではないか……その訂正を求める権力がないからこうして愚痴が歌になってるのではないか、と。
米津さんのレモンで有名なドラマ『アンナチュラル』でも一種自殺を英雄視する観点がありましたね。
申し訳ないが、前報のカントについてはさっぱりわかりませんでした。私がカント について全く知らんからです。ただ、今回のは理解しやすかったですよ(とっても)。それはなぜか⇒あなたの考えがあるからです。じっさいどうでしょうか?、わたしはこちらの文章の方が、あなたの思錐を感ぜられたので、好きです。
さて、高瀬舟ということですが、わたしはあの話において、幸福論を考えたことはあっても、生産性や倫理というところは見落としておりましたね。細部にまで心情が読み取れているということだと思われます。感服しますよ。
本題に入りましょうか。
神罰ですか、(外国人と話すときはアイムシュライネィスト!と言うが)私は無神論者なので(神仏よりも人間が一番好きなので)、良くわかりません。しかし、あなたが後述したように、生産性とかかわるという点は全く了解できます。ショーペンハウエルがイギリス人を叩くときにある一説ですが、「イギリス人は自殺を悪とする。そうして、そのよりどころに聖書を用いるが、聖書には自殺を禁じる文言が無い」(自殺について より)とあります。私は、かような自殺に対するネガテブなイメージュが一重に生産性に傾倒するとは言えませんが、重要な点を捉まえていると思われますね。
作者からの返信
カントは、僕も前稿で書いてあるとおり、人間はエゴから解放された善行をする者だから、神聖であり、各人の殺生は禁じられるべきだ、あのくだりが全くよく分からないんですよね。いくらなんでもそれは、と。
ちょっと拙著『世迷い事』の方に、そのカントはこうこうした人物である、と書こうとした前振りというにはあまりにも長過ぎて急遽移転させられた話があるので、良かったらお見通し下さいませ。
カントについてですが、なんか前に、カントの人間のみを対象とした生命観を非難して動物の生命倫理を訴えるという文章を模試でやって、興味を持ったことから来てます。動物の生命倫理についてが当初の主題なのでこの先も宜しくお願いしますね。
なんか、今考えると、日本人の場合では、災厄として降りかかるケガレである死を、自発的に引き起こすことが自殺への忌避感情に繋がってるのかも、と考えました。
あとですね、ちょうど昨日、カクヨムで社会学について執筆なさっている紫月冴星(しづきさら)という方がいまして、その人がデュルケムの『自殺論』というものを提示してくれました。それは、自殺が個人行動ではなく、社会により強制された行動であると述べるようです。ちょっと自殺を抑止すべき理由を考えるには違う話題ですが。