一盃口の倫理観

 自分は感情論では人間の生命の価値に対して根拠付けができないと考えたので、経済価値から考えました。


 つまりは、アウシュヴィッツのように虐殺してもカネの無駄な訳です。百姓は生かさぬよう、殺さぬよう。それよりは進歩した時代ではありますが、私人間の殺生はカネの無駄です。これは、殺人が懲役刑になるからではありません。

 人一人の経済価値が、殺人によって失われて、それによって生活が苦しくなった遺族が道徳的に許可されるために、加害者の家に強盗に入ってというのを繰り返すことはいけません。そして、火事は周囲に波及しますし、強盗に入った遺族らが罪悪感を失って別の家に入ることもあります。自己責任どころか、公共の利益に反します。次はあなたに強盗が入るかもしれない。ですから殺生はだめです。

 少し古い時代を舞台にした考え方ですが私人間の殺生の禁止はこのように説明がつきます。


 公の手による殺人、の規制は歴史の視点から説明しましょう。

 まず私企業。極度の低賃金、労災、公害の三つがあります。公害が一番説明が付きやすそうです。赤の他人である地元住民が暴動を起こしかねないから。東京の外環道の地盤沈下事件もその一つになります。人こそ死んでいませんが、事業、そして利潤が遠ざかります。

 低賃金と労災、こっちが身内のことなので自分にとっては難しいものです。やはり、ここが問題になって解決が目指されたのは最近ですから、直接的には労働者が暴動を起こすからですね。日本初の労働事件は高島炭鉱事件ですが、あれはたぶん政治的な策略な気がするので少し違いそうです。炭鉱は三菱のものなのですが、ライバルの三井が政治勢力の争いのために非難したという。


 そして国、地方。死刑、戦争、政策の挫折の三つですかね。

 政策の挫折ですが、いい参考になるのは昔の中国の大躍進政策です。まさに苗を長くして成るを早める(助長)ような軽率な政策が取られ、多くの国民が苦しみました。土で作った粗悪品の熔鉱炉、稲に空気を与えないほどの密植といういい加減な農法によって、多くの時間が無駄になり、熔鉱炉のために寺が破壊されて現在だったら観光資源になるであろう国の文化資産が失れ、そして多くの国民が農業生産の停滞によって餓死しました。共産主義は、人を検閲し、粛清するからいけないという人がいますが、このような独断に基づく非科学的で無計画な行動を起こすことの方が問題でしょう。これは感情論でなくても経済的に繰り返してはなりません。

 戦争。日本人は総力戦の負のイメージが徹底的に植え付けられているというのは正しい話でしょう。高校に入って、日本史で当たりの先生を引いたら、戦争の姿が少し違って聞こえるはずです。日清日露戦争は、だったとまではいいませんが、あの戦争ではただ単に税金がちょっと高くなって、子供が戦地に行って少なくない稼ぎを得てくれる、その程度のものだったようです。税金が高くなったのはちょっと程度のものではありませんでしたが。ここは非難するのはまだ実力がないですね……。トンデモな日米開戦は例外ですが、日清日露はあまり避けようがなかった、そう考えられてしまう身なのです。

 死刑。死刑廃止を訴えるなら、出すべき事件は四つになります。大逆事件、三鷹事件、地下鉄サリン事件、池田小事件ですね。ですが、「その程度の罪状なら死刑にはならない。死刑はもっと大きな罪になるべきだ」、そうも訴えることができます。しかもこれくらいでは死刑論争の考えの全てはまだ出しきれませんね。

 大逆事件では、幸徳秋水ら共産主義者の無(廃)政府主義者十二人が天皇の暗殺を企てたとして死刑になりました。この事件はとても政府を悩ませるものでした。天皇の殺害を企てるような集団は、国家を転覆させて、明治維新をし、日清日露戦争に勝利して手に入れた日本の平和を破壊してしまう。そのような考えがありました。大躍進政策に代表される、共産主義者の政治的失策による大虐殺が起こるのはだいぶ後の時代の話になりますが、国家転覆は転換期の政府の動乱があり非常に危険であると、先の明治維新を経て考えたことでしょう。そのため、十分な審議を経ないで閉鎖された法廷の中で裁判が行われた結果このようなことになりました。しかし、幸徳秋水はその11人を静止しようとしていたなどの話がありましたし、また、死刑をすることにより、政府が悪者であるというイメージも生まれ、幸徳らが悲劇の英雄であるかのように崇拝されうる、そんなリスクを作ってしまいました。でも、実際のところでは、天皇制廃止をしろと言われていた第一回共産党が解散するためのいい脅しになったので、やはり見せしめとして成功したのではないか、そう思ってしまいます。

 三鷹事件。実を言えばよく知りません。東京の三鷹で車庫にあった列車が勝手に動き出して暴走し、街に突っ込んで六人の死者と二十六人の負傷者を出しました。そしてなぜか共産党員も同時に検挙され、列車を動かしたとされる男が汽車転覆罪で死刑を言い渡されました。これも反共産主義的な狙いがあったそうです。となりの中国で、共産党が覇権を握ろうとしていたために日本国内でも共産主義が盛り上がったのと、国鉄(現JR)の中で職員の労働運動が盛り上がり、不審事件が連続して起こったことが背景にあるようです。この時代の労働運動は日本史の授業では学ばなかったのでよく分かりません。

 ただ、死刑になる罪で特殊なものが二つあります。汽車転覆罪と、上水道に毒を混入させた罪です。テロを引き起こそうとしたもの、殺人を繰り返した者、その二つは分かりますが、先に述べた二つは、過失の罪にも当てはまるものです。裁判にミスが起こるとも思いませんが、死刑の規定は削除すべきでしょう。

 地下鉄サリン事件。これは有名中の有名ですね。オウム真理教の人間が地下鉄の霞が関駅で無臭透明で揮発性の毒ガス、サリンを地下鉄で散布して十四人が死亡し、6400人もの人が負傷しました。そして、教祖ら、犯行に直接的に加担せず、指示をしたとした人八名に死刑判決が下されて近年執行されました。誰が見ても凶悪な行為ですが、これを実行した者を果たして死刑にするべきかと言われると疑問があります。

 殉教です。キリスト教はまさに殉教の歴史でした。祖であるイエスは磔刑、十二使徒ペトロもパウロも殺されました。しかし、信者はますます増加し、迫害をする側であったローマ帝国が国教であると遂に認めます。日本でも、鎖国のキッカケとなり、長崎での聖26人殉教や、元和の大殉教等の殺害を含めた迫害に遭い、絵踏みと宗門改めの強い政策によって改宗を余儀なくされたり、もしくは大黒天像の中に十字架を隠してひっそりと隠れキリシタンになったりしました。宗教はまさに弾圧すればするほど広まる類のものでもありました。よって、教祖への死刑執行はむしろ彼を神とならしめたのではないかという危惧があります。聞く話では、教祖が収監された東京拘置所付近を徘徊し、教祖の神気を得ようとする教徒がいた等。

 ただし、執行後ですがそのような神聖化にも対抗する手段は取られました。教徒の遺体を海に散骨したことです。これで一定の墓所が教徒らの聖地となることは避けられました。ただしかし、教祖は大海になられた、そうも言えますがね。

 自分ははたして名前を出すことが良いのか悩みますが、教祖のあるご令嬢にはお悔やみは申し上げます。義務教育の場である小学校で、教師にまで責められて追放されたりされたそうです。教祖の罪には強い嫌悪がありますが、でもどうか、平穏な生活を送られますように……


 あと池田小事件です。犯人の言葉では、薬物にも染まり、恋人にも見放された自分を公が断罪して欲しかった、そう述べています。

 これには大きな衝撃があるものです。自分も一時、その考えがよぎったことがあります。死刑制度の歪みの形がこれです。自殺幇助(手助け)。まあ、カリタス小事件のように、自決する人もいますが、このように考える人を生み出してしまいます。そして、この事件に死刑判決が下されたことにより、その知名度はますます上がり、その時代に生を授かってなかったであろう僕もその名前、犯人の発言を知っています。

 巻き添え自殺が現代では問題になっています。なるべく一人でも行って欲しくないものですが、世は、『夜に駆ける』のメリーバッドエンドブームを生み出したんです。結局、その苦痛を和らげる根本的な解決にはなりませんが、無辜の人々を巻き込んで自殺を図る行為はもっと抑止するべきです。


 これは一応自力で書き上げました。事件での死者や被執行者はウィキからです。歴史上の事件を調べる時は、結構ウィキも役立ちますよ。

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