生命倫理について

一盃口

はじめに 一盃口本人について

「人を殺めてはいけません。命があるでしょう。」


 先生が言ったこの言葉はまだ、納得できずにいる。18にもなったが、自分はサイコパスにあてはまるであろうと考えている。

 小3に、全てを失ったあの日から、自分は他人を信じなかった。世間では行動が幼稚、親に屁理屈、本当に屁理屈をつけて逆らう、言葉遣いが汚い、マナーが悪い、技術もない、このように忌み嫌われている9-12歳。本当にニコ動、YouTube、リアタイ型ゲーム、そこではそのような幼い者への嫌悪感が伝わってくる。

 でもしかし、そのような率直で素直な彼らは、そこで人間関係の軋轢を避けんがために他者への共感性を持ち、行動がよろしくなっていく。確かにネットによって子供と大人の交流が増えたことで、マナーの軋轢は増えたことだろう。あまりにもネット空間はオープンでありすぎた。


 この時代を自分は経験していない。早々に、いきがる前に罰されて、人との交流が絶たれてしまった。幸いなことに、友人、それとも遊びの快楽の増幅装置はなんとか残すことができたが、ずっと二人とか、一人の人間を独占することが多かった。小5ではある一人のその増幅装置の家に、カービィのwiiをやるために毎日通った。会話した記憶があまり覚えていない。そして確か、一巡目をクリアしたところで、その彼の友人が招かれた時、マリカーで横ハンドル操作ができなかったので負け続けてブチ切れて電源を落とした。ただ、交流する人間を間違ったと思って全く話さないようになった。


 中学もそれは続く。妙に立ち回りが上手く、交流するグループは増えたが、その増幅装置と見ることは変わらなかった。また、一人の友人の元にマイクラをするために通いつめた。そして、ある日彼がそろそろやめてくれと言ったときにはまたキレた。幸いなことに、キレたことは黒歴史とはなったものの、また人に背を向けることは避けられた。


 今でも、人間に共感性を持つことは叶っていない。少しそれに変化が起きそうだったのが高3だったが、芽を育てようとしていたら落第。まあ、それはいい。少し人間になることが近づいたから。大学に期待する。


 この身分になって良い点と悪い点がある。

 悪い点の方は、全く人に協調性がないこと。自分は嫌われていると被害妄想にかかりやすいこと。特に自分を嫌っていると(妄想が起こり得る)人、自分の解釈で愚かだと感じた人に価値を感じなくなること(この時自分が嫌っている人は含まれない)。人を信じていないこと。

 良い点の方は、自分の所属する集団の利益だけに囚われなくなったこと。感情論を排除できること。周りの目を気にしないで勉強ができたこと。


 諸刃の剣ですがね。自分は、先公に言いつけられた道徳のルールを守っているから自制できる。あと、不都合な地位にいても困るので、先公に言いつけられたルールを自分の手で正当化しようとする努力をしている。センセイの言い付けが理由が無い可能性があるのはエジソン君の1+1で分かったはずです。この辺でセンセイの一応まともな正義をへし折ったら暴走しかねませんから。


 尺があ……ですね。次に行きましょう。

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