038_questlog.暴走

 その時の俺は、己がザン機甲兵である、ということを失念していた。

 この世界にきてしばらくは、視点の高さに戸惑いがあったが、今ではすっかり慣れてしまっていたのだ。さらに言うなら、傀儡くぐつ――ゴーレムとしてここに潜入していたという事実すら頭から抜けていた。

 俺の中で、「終わったこと」になっていたからだ。それに、直前まで監察官の大尉などという役になりきっていたのもある。

 いずれにせよ、完全な油断だ。

 

 何も知らない子供たちにとっては、この世の地獄はまだ終わってなどいなかったのに。

 

 俺が地下牢獄の床に足を付けた瞬間、悲鳴の大合唱が起こった。

 

「きちゃダメ!」


 カーライラが叫んだ。

 牢の中から魔族の男の子が手を伸ばし、カーライラのベルトに差されていたナイフを引き抜いた。

 俺は驚いて声をあげた。


「お、おい! カーライラ!」

 

「え……?」


 気づいたカーライラが振り向く。

 女の子を背に庇った男の子がナイフをこちらに向け、壁際に後退る。


「黒いゴーレム! また……また騙したな! お前たちは嘘ばっかりだ!」


「待って! 話を聞いて!」


 カーライラが必死な形相で格子から手を伸ばす。


「え、え? 何がどうしたんですか?」


 ルルエが俺の後ろから顔を出すと、目に見えて魔族の二人に動揺が走った。


「ユグリア教会の神官……やっぱり、俺たちを使うんだな」


 魔族の男の子が憎悪の炎をその瞳に燃え上がらせた。


「兄ちゃん……もう、嫌だよ……もういいから。あたし、ママのとこに行きたい」


 魔族の女の子が、兄と呼んだ男の子の袖を引いた。

 妹の目を見た兄の瞳が揺れた。

 

 あの少女の目は、かつて見たものと同じだった。

 どうしようもない悲しみに満ちて、すべてに絶望し……生きることを諦めた目だ。


「待て、待つんだ……!」


 俺の言葉など、二人には届いていなかった。


「兄ちゃん、あたし、つぎも兄ちゃんの妹がいい。だから、ね……」


「俺もだ。お前はずっと俺の妹だ。……ごめんな」


 兄が妹の左胸をナイフで刺した。


「俺たちは、お前らの玩具になんかならない!」


 鋼の意思を見せた兄は自らの心臓を一突きした。


 小さな二つの命の灯が目の前で消え、世界の音も消えた。

 存在しないはずの心臓が強く鼓動を打った。

 

 何が、何が、何が――何が起こった?

 殺した?

 兄が――妹を――殺した?

 殺した――妹を?

 

 聞き慣れた女の声が聞こえた。


『私を、殺してね』


 錆子が脳内で叫んだ。


〈違う! この子はアンタの妹じゃない!〉


 これを、こんなことを、こんな結末を、望んだ奴が、この世にいるというのか。

 許せない。許してなるものか。許すな!


「最優先目標設定。男爵と勲爵士二名の抹殺。最効率の戦術を立案し、実行しろ。それ以外のタスク実行を禁ずる」


〈了解。優先処理プロセスを起動〉


 俺は光学迷彩をかけ、階段を駆け上がった。


    ○


 目の前にいた黒いゴーレムが瞬時に消えて風が巻き起こったことで、止まっていた時間が動き出した。

 イシュは混乱をきたした獣人の子供たちに優し気な声をかけ続けている。

 カーライラは鉄格子の前に座り込み、嗚咽を漏らしていた。


「だから、来るなって言ったのよ! なんでよ、なんで!? なんでこの子たちが死ななきゃなんないのよ!」


「カーラちゃん……」


 ルルエがカーライラの背後に近づくと、カーライラが振り向きざまにルルエの頬を打った。


「なんでテツオをここに連れてきたのよ! 子供たちが怖がるって、ルルエなら気づけたでしょ!?」


 ルルエは無言でカーライラを抱きしめた。


「…………」


 カーライラはルルエの胸に顔をうずめ、慟哭した。


「カーライラ……」


 イシュがカーライラに何か言おうとしたが、ルルエは首を横に振った。


「私の落ち度です。子供の心理状態をもう少し想像すべきでした」


 イシュは苦い顔で首を横に振った。


「お前に落ち度はない。俺たちも先に言っておくべきだった」


 折り重なるように倒れた魔族の子供を見つめて、イシュは溜め息を漏らした。

 

 イシュとカーライラにしてもこれほど子供たちが心理的に追い詰められているとは思っていなかった。何より、ユグリア教会の神官が関わっていたことを知ったのはついさっきなのだ。

 テツオに落ち度があったとするなら、不用意にその姿を見せたことだが、それを責めるのは酷というものだろう。

 黒いゴーレムとユグリア教会の神官。その二つが合わさったことで、魔族の子供は絶望に呑まれてしまったのだ。

 

「忘れろとは言わん。だが、これは事故だ。ここにいる誰も悪くない。こんな状況を生んだ者こそが悪だ」


「テツオさん、オラント男爵を殺す気ですよ。止めないと、テツオさんの立場が……」


「ダメね。こっちの呼びかけに、まったく応答しない」


 イシュの肩に乗った錆子分体が溜め息交じりにそう言った。

 イシュは首を横に振る。


「無理だな。テツオが本気で殺しにかかった者を守れるものか」


「ごめんね、ルルエ……」


 カーライラが涙を拭いながら立ち上がり、ルルエの頬を撫でた。


「ううん、私は大丈夫だから」


「モクレールよ。ルルエ、モクレールだけ、ここに呼んで……」


「騎士団長ですか?」


「そうだ。子供たちをここに集めたのは、ユグリア教会の神官だそうだ」


 イシュの言葉に、ルルエは息を飲んだ。


    ○


 オラント男爵の屋敷は、旧市街のほぼ中央にあった。

 領主の城館から通り一本を隔てた、多くの行政機関の建物に囲まれた場所だ。

 

 高さ2メートルほどの塀に囲まれてはいるが、機甲兵にはなんの障害にもならない。

 俺は一息で塀を飛び越え、前庭の芝生に降り立つ。

 そこから右腕のワイヤーガンを屋敷の屋根に生えている煙突へと向ける。煙突にワイヤーを巻き付け、一気に屋敷の屋根へと上がった。

 屋根を踏み抜かないように、足裏の面積を拡張して接地圧を分散する。言ってしまえば、かんじきだ。普段使いしないのは、拡大幅が大きく室内や物がある場所では色んな物を蹴飛ばしてしまうからだ。あと、見た目もあまりよろしくない。ちょっと不気味なのだ。

 

 背中からドローンを射出して、屋敷内部の調査を始める。

 ターゲットを見つけるためだ。

 

「神殿騎士団が動いただと!?」


 オラント男爵は、目をむいて驚いていた。


「はい。既に孤児院は制圧されています。中尉、少尉ともに生死不明です」


 地味な町民の格好をした男がオラントの前に跪いていた。


「バカな!? そんな兆候はまったくなかったぞ。まさか、誰かが裏切ったのか? お前の上司は、中尉は何も言っていなかったのか?」


 男は首を横に振る。


「まったく情報がありません。それと……あなたの子飼いの騎士二人が、何者かに殺害されました」


「は……? さっきまで私と一緒にいたぞ?」


「つい先ほどです。二人とも首が刎ねられていました」


 オラントは目に見えて震え始めた。


「まさか、神殿騎士に!?」


「いいや、俺だ」


 跪いた男の首を720度ほど回して、俺は光学迷彩を解いた。

 くたりと絨毯の上に崩れる男を跨いでオラントに近づく。

 いきなり目の前に沸いた俺を見たオラントは文字通り飛び上がり、着地に失敗してその場に尻餅をついた。


「ひっ! な、なに、ものだ!?」


「黒騎士」


 有無を言わせず、認識誘導装置をオラントの頭にねじ込む。


「はげっ!」


 禿げ頭に黒い棒を突き立てられたオラントは、口をだらしなく開けて視線を彷徨わせた。


「面倒臭いから、さっさと吐けよ。領主はヴォーズ帝国のスパイと繋がっているのか?」


 単純な質問だけに、すぐに答えが返ってくる。


「いいえ」


「お前は帝国のスパイと組んで何をするつもりだった?」


「それは……」


 オラントの語った謀反のシナリオはしごく単純なものだった。

 今の領主はダメだと市民に印象付けて、帝国の侵攻に合わせて蜂起。領主を殺害して帝国に寝返り、領主に代わってこの地を治める――というものだった。


「なんの捻りもないな」


 俺が呆れた声を漏らすのとほぼ同時だった。庭に面した窓が開き、銀色の髪をしたしなやかな猫が入ってきた。


「む……先をこされた」


 異端掃滅官のクーディンだった。


「お呼びじゃねえよ。帰れ」


「こいつが異端だって聞いた」


 俺の言葉を無視して、クーディンは男爵の部屋を物色しはじめた。

 猫は放っておくことにした。

 気を取り直して、最後の質問をする。


「次だ。子供を集めた神官とは誰だ?」


 つい先ほど、錆子分体からもたらされた情報だった。

 まさか、ユグリア教会の中にもクソが居るとは思わなかった。だが、不思議なことではない。あれだけでかい組織だ。碌でもない奴は山ほど居るだろう。


「プランケ司祭だ」


 知らない名前だったが、そもそも俺は教会の知り合いはルルエと神殿騎士団ぐらいしかいない。

 部屋を物色しているクーディンに聞いてみる。


「プランケ司祭って知ってるか?」


 引き出しを片っ端から開けているクーディンが耳をピコピコ動かした。


「ん……新市街北側の教会司祭」


 さすが異端掃滅官。教会関係者の名前は頭に入っているようだ。

 この猫、思考回路は途轍もないポンコツだが、仕事は真面目なんだよな。

 クーディンは、鍵のかかっていた引き出しを粉砕して中身を床にぶちまけていた。

 繊細さは一ミリもないようだ。


「あ、あった。邪教の経典。異端確定。滅する?」


 クーディンは黒い表紙の小冊子を指先でくるくると回しながら、獲物を狙う獣の目をオラントに向けていた。


「待て。ステイだ」


「すて?」


 こいつには通じないか。


「こいつは俺の獲物だ。お前には別の獲物をやるよ。さっき言ったプランケ司祭が異端だ。帝国とつるんで子供を売り飛ばしていた」


 俺の言葉を聞いたクーディンの目が、すっと細められた。


「異端のうえに、子供を売る。二回殺さないとダメ」


「そうだな。このハゲにも死んでもらおう」


 俺はオラントの胸に、指を突き入れる。

 皮膚と筋肉を貫通、肋骨を粉砕して肺に穴が開いた。


「ぐぼっ!」


「なあ、信じられるか? 兄が自分の妹を殺したんだぞ。信じられねえよな」


 さらに指を腹に突き入れる。

 オラントは苦痛に身をよじる。だが、認識誘導装置のせいで体がうまく動かせないようだ。


「うがあ! やめ、やめてくれ。死んでしまう……」


「死ね。見ててやるから、ゆっくり死ね」


「いや、いやだ……おれは領主になる、んだ」


 この期に及んでもまだ欲の皮がむけないらしい。

 さらに胸に穴を開ける。両方の肺に穴が開いたので、そろそろ死ぬだろう。


「やめ……て……」


「不公平だよなあ。なんであの子は死んじゃったんだろうな? 公平にお前も理不尽に殺されろよ」


 死にゆくオラントをじっと見ていたクーディンが呟いた。

 

「お前、異端掃滅官の素質ある。なるか?」


「ならねえよ。それにお前、俺をアンデッドだと思ってんだろ?」


「は! そうだった。お前、アンデッド……証拠見つけないと……ないかも……」

 

 自分で言ってて、「ないな」と気づいたのだろう。しおしおと言葉が弱くなった。

 気付くのおせえよ!


〈最優先タスクの完了を確認。マインドスレッショルドを超えているため、鎮静剤を投入します〉


 錆子の声が脳内に響き、一気に思考がクリアになった。

 心中に渦巻いていたくらい炎が消えていく。

 目の前のオラント男爵は息をしていなかった。


〈もういいでしょ、テツオ……〉


 錆子が泣きそうな声を出した。

 こいつAIのくせに感情過多じゃないかな。


「ん……誰か来た」


 クーディンが部屋の入り口に目をやった。

 しばらくして、少女と言ってもいいほどの若い女が、扉を乱暴に開けた。女の背後には男爵家の私兵らしき男が二人。


「お父様、大変で……す!?」


 オラント男爵の娘のようだった。


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