031_anotherside.錆子
私は、強襲機械化装甲歩兵補助システム、97式単相限定人工生命六型乙。
固有名称は――
非常に不本意な名前だが、私に名前を変える権限はない。
あのバカはAIAIと言うけれども、私は「知能」ではない「生命」なのだ。単相なので、第一種生命扱いはされないのだけど。
フロントエンドは
私は情報の海から発生した生命体ではない。完全な人工物だ。
ユーグリアは有機部品で様々なデバイスを作り上げたが、その逆もまた可能なのだ。
言ってしまえば、私はケイ素生命体だ。
第一種臨界不測兵器を持った人に見つからないようにしないといけない。
とまあ、今はそんなことはどうでもいい。
今現在の私は、絶賛大ピンチのさなかだ。
私の目の前に、ネズミが一匹。
体毛は黒。尻尾が長く体長とほぼ同じ。耳が比較的長く、倒せば目が隠れるだろう。
形態学上の分類で言うなら、クマネズミと呼ばれる種類だ。
ただ、クマネズミというには――。
「とても、大きいです……」
体長はゆうに40センチを超えている。私の倍以上だ。
巨大なネズミが後ろ脚で立ち上がり、私を見下ろす。黒い体、黒い耳。黒い目が私をじっと見つめてきた。ハハッと笑う本業は映画俳優のネズミさんのようだ。
ネズミが鼻をぴくぴくしている。
私を食えるかどうか判断しているのだろう。
「美味しくないよー、私は美味しくないからねー」
どうやらその言葉は逆効果だったようだ。
ネズミが飛びかかってきた。
「ひぃ!」
慌てて横に転がって避けた。
私の横を黒い毛むくじゃらが通り過ぎる。
そのままやりすごして逃げようとするも、長い尻尾が目の前に迫る。ぺチンと私の体が払われた。音にしてしまえばぺチンだが、身長20センチの私から見れば、極太ロープで薙ぎ払われたようなものだ。
仰向けに転がった私の上に、黒いネズミがのしかかる。
黒い目が私を見つめた。
――オレサマ オマエ マルカジリ
そんなセリフを幻聴した。
ネズミが大きく口を開いた。げっ歯類特有の長く尖った前歯が不気味に輝く。その奥には、てらてらと艶のあるピンク色の口内が見える。
おぞましさに身震いした。
これが、「食われる」という根源的な恐怖なのだろう。
私に動物的な本能はない。だが、死への恐怖はある。死とはすなわち、任務遂行がかなわず消滅することだ。それは明確な目的を持って生まれた人工生命にとって、もっとも忌避すべき事態。
私はネズミの鼻さきに手を向ける。
「
掌に小さい穴が開き、赤い色をした液体が噴霧された。
赤い霧がネズミの鼻から口内にかけて広がる。
途端、私の上に覆いかぶさっていたネズミが体を跳ね上げる。
ピギャーと鳴きながら、ネズミは顔を前足でかきむしりながら転げまわっていた。
「死ねおやぁ!」
渾身のドロップキックをネズミの腹に食らわせる。
今の私は体重5グラムのシルクタッチ錆子ちゃんではない。なんやかんやで色々詰め込んだ体重200グラムのスーパーヘビーウェイト錆子ちゃんなのだ!
ネズミはゴロゴロと転がって、下水道中央を流れる水路にボチャンと落ちた。
落ちたネズミは「ギニ゛ャー」とネズミらしからぬ悲鳴を上げて、どんぶらこと流れていった。
「っふ、また勝ってしまった」
ネズミに放った赤い霧は、高等生物の痛覚神経を猛烈に刺激するカプサイシンをエタノールに溶かしたものだ。「偉大なる傾いた人」が放ったものに近い。
こんなこともあろうかと、合成して携帯していたのが役に立った。
そもそも、どうして私がこんな酷い目にあっているのかというと、あのバカが言い始めたことが原因だ。
「おまえ、ちょっとルルエんとこ行って、状況を伝えてこいよ」
たとえそれがどれほどバカらしくとも。荒唐無稽であろうとも。検証がまったくなされていないただの思い付きであろうとも、「命令」された以上は最善を尽くさなければならない。
施錠された扉の下の隙間にぎうぎう押し込まれて外に出た私は、仕方なくルルエたちの泊まる宿屋を目指すことになったのだ。
ああ、もうほんと嫌になる。
とはいえ、本気で嫌だったわけではない。
物理身体で自由に歩き回りたいという欲求はあったのだ。
普段はあのバカから5メートル以上は離れられない。本体からの無線給電エリアから外れてしまうからだ。
だが、今は違う。
完全にスタンドアローンだ。
本来なら、単相人口生命体はスタンドアローンでの行動をしてはならないという規定がある。だが、例外もあって「やむをえない事情があり、主機体の承認があれば可能」というものだ。
あのバカが倉庫から出られないという「やむをえない事情」はあるし、あのバカの承認も得ている。
ハハッ、何の問題もなかった。
初めて自分の意思で、自らのおもむくままに外を歩いた。とても楽しい。
人工生命にだって、喜怒哀楽はある。たとえそれがプログラムされたものであったとしても、私という自我がそう感じているのだから、それでいいのだ。
「それでいいのだ~♪」
ルルエたちの宿屋の位置は分かっている。
領都周辺の全体マップは既に作成してあるのだ。
慣性航法ならぬ、慣性歩法で洞窟に入ってからの位置も把握している。
この地下下水道は、メンテナンスのために人間が歩けるよう水路の左右に歩道が整備されている。電気が普及していない世界なので、常夜灯の類はない。真っ暗だ。でも、私には関係ない。赤外線から紫外線までばっちり見える。
鼻歌交じりにご機嫌で通路を歩いていると、前方に何やら黒くてカサカサ動くものがあらわれた。
そいつは長い触覚を持ち、黒光りする外殻をしていた。
言うまでもなく、Gである。
あのバカの記憶の中にあるGは、せいぜいが数センチの大きさだった。しかし、現れたGは私よりも大きい。
名前を付けるとしたら、ジャイアントローチだろうか。
「ファンタジー、仕事しすぎ!」
いけない、あのバカに毒されすぎている。厳に戒めなければならない。
私の目の前で止まったGは、ゆらゆらと長い触覚を揺らしている。
食えるか否か、襲って勝てるか否か。そんなことを考えているのかもしれない。
ネズミのときと同じ轍は踏まない。
私は無言でゆっくりと壁際に後退り、にじにじとカニ歩きをしながらGから遠ざかる。
目の前のGは移動せず、その場で超信地旋回をして常に正面を向けてくる。
無駄な戦闘は極力さけたい。
私は、オリジナルほどの処理速度はないのだ。
そう、今の私はオリジナルからメインプロセスを転写されただけの分体だ。中間ナノマシンで作った省電力プロセッサーを搭載した、モバイル端末のようなものだ。能力で言えば、256分の1しかない。
瞬時に弾道計算なんかできないし、視線の動きと筋肉の電位差を検知して行動を先読みするなんてできない。
スタンドアローンで行動するにあたって、様々なデバイスを合成して搭載し、燃料のエタノールも満タンだ。そのせいで、体重は200グラムもあり、お得意の「ツインローター」での飛行もできない。
きわめて「普通の人」に近い。身長は20センチしかないけれども。
ここでとるべきコマンドはただ一つ――。
>にげる
しかし まわりこまれてしまった!
ジャイアントローチAは なかまをよんだ。
ジャイアントローチBが あらわれた。
>にげる
しかし まわりこまれてしまった!
・・・
・・
・
私の視界は、黒一色に塗り込められた。
黒が三分どころではない、黒が十だ。
「ここは地獄に違いない……」
最後に現れた、ジャイアントローチPと目が合った。
進退これきわまれり。かくなる上は、この錆子が首を召され候え……。
「……なんて言うと思ったか! 全員、地獄送りだ!!」
私は黒い壁に向かって、両手を向ける。
掌に小さい穴が開き、そこから透明の液体が噴き出した。満タンに積んであるエタノールだ。
謎の液体をかけられたG共は驚いて右往左往しはじめた。所詮は虫けらどもよ。
だが、これで終わりではない。
「
そもそもどうして、「Fire in the hole」なのか。かつて大砲を発射する際、砲尾の穴に火種を突っ込んだからだとかなんとか。
こんな窮地にあっても、アホなウンチクが漏れてしまうのはあのバカのせいに違いない。
私はさっと地面に伏せ、滴ったエタノールに向けて指先からスパークを飛ばす。
ボッと音を立てて淡い色の炎が広がり、次々と引火してG共を炎に包みこんだ。
どうしてだか、笑いがこみあげる。
「アーッハッハッハ! 闇の炎に抱かれて消え――」
火達磨になって右往左往するG共に哄笑を浴びせていると、
「バカなっ!」
そのなかの一匹がこちらに向かって飛んできた。
燃えながら、それでもなお、私への敵意をむき出しにして。
「死なぬはずがあるか……必ず死ぬはずだ、有機体ならば!」
そういえば、こいつら進退窮まると飛ぶんだったなぁ……。
と、自分のものではない記憶の中で見た景色を思い出した。
地面に伏せた私に、満足な回避行動をとることはできなかった。
「アッーーー!!」
○
あの時、悪魔は「生きろ!」と言った……。
結論から言うと、私は死んでいない。
体表……というか、私のプリティな赤褐色の髪が50%ほど黒髪になっただけだ。
どうせ飛行能力はないのだ。さしたる影響はあるまい。
高さが15センチほどの階段をよじ登る。
普通の人間なら、なんの問題もない高さだが、今の私にはキツい。
それでも、階段の先には光が溢れている。
手足よ、あれが、ディゾラの灯だ!
なんとか階段を登りきり、侵入防止の柵の間から這い出した。
そこは、ディゾラのメインストリートに繋がる通りの一画だった。
夜もかなり遅い時間のはずだが、この辺りは屋台街といって朝まで灯りが消えることはない。整然と古い建物が続く旧市街の中にあって、異色を放つ地区だ。この通りから一本入ると花街があり、古くから続く老舗が軒を連ねている。
ここからなら、ルルエたちが泊まっている宿はそう遠くない。
犬や猫にでも咥えられて誘拐されない限り、一時間もかからず無線通信ができる距離まで行けるはずだ。
久々の地上に、思わず息を大きく吸う。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、あのバカの気持ちが分かった。
目立たないよう建物の壁際に移動して、さあ行こうかと足を踏み出すと、なにやら毛むくじゃらで、ぐんにょりとしたものを踏んだ。
それは灰色の毛に覆われており、大きさは私の脛ぐらいしかない。
ネズミというには、妙に長い。
灰色の毛をたどっていくと、ボロボロの毛布にくるまれた大きな何かがあった。
――人? てか、これ尻尾かな。
私が答えを出すよりも早く、毛布の中から伸びてきた手に掴まれてしまった。
それはもう目にも止まらぬ速さだった。
私を掴んだ手が上がっていき、毛布にくるまれていた人が身を起こす。
その人と目が合った。
金色の相貌。
くすんだ銀髪のショートボブ。フードのように被った毛布の奥には猫の耳が見える。
見たことのある猫だ。それはもう強烈な記憶を刻み込んでくれた猫だ。
クーディンという名の、異端掃滅官だった。
だがまだ慌てる時間じゃない。
私はクーディンには見られていないはずだ。たぶんな。
クーディンが私をじっと見つめる。
「……お前、見たことがある。黒騎士の手に乗ってた。妖精?」
見られてましたー!
野良猫に咥えられたほうがまだマシだった。
私の冒険は、ここで終焉を迎えるかもしれない。
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