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 俺の知っている「帝国」は二つしかない。

 佐々木ノートに書いてあったものだけだ。

 一つはヴォーズ帝国。そして、もう一つは、マステンカ帝国。

 ヴォーズ帝国は言うまでもない、通称「魔王」の治める帝国だ。

 マステンカ帝国は、佐々木ノートに詳しい記述はない。ヴォーズ帝国の南方に広がる国であり、亜熱帯から熱帯にあるという程度だ。そして、住人のほとんどが獣人らしい。

 俺の目の前にいる男たちは、只人ただびとに見える。実際、スペクトルも青だ。

 ということは、十中八九ヴォーズ帝国の人間だ。

 

 背の低い黒髪の男は、頭の潰れた狼の死体を蹴り飛ばしながら俺を見上げた。

 

「しかし、大きいな……潜入工作には使えんか」


 潜入工作って言ったか?


〈言ったわね……〉

 

 身長20センチの妖精さんは、体を細くしてスルリと俺の深呼吸穴に潜り込んでいる。中身がスッカスカなので、体型変更は自由自在だ。


 こいつらもしかしてアレか、帝国のスパイなのか。

 だとすれば、町民の見た目と中身の乖離にも納得できる。こいつら本職だ。


〈勝手にしゃべってくれそうだし、しばらくダンマリでいいんじゃない〉


「おい、御者がやられてるじゃないか!」


 背の高い茶髪の男が、息をしていないローブの男にランタンを向けていた。


「なんだと? 制御石は無事か?」


「……大丈夫だ。手に持ったまま死んでいる」


 茶髪の男が死んだ男の手から、制御石と呼んでいた物をもぎとった。

 三角おにぎりのような形で、幾何学模様の溝がびっしりと掘られた妙に艶のある石ころだった。


〈アレって、ユーグリアの傀儡くぐつ制御装置ね〉


 てことは、遺物アーティファクトか。

 見てくれからして、この時代の物じゃない感は出てるしな。


「ふーむ。ガタイの割に、大したことはないのかもしれんな」


 黒髪の男が俺を見上げながら、大変失礼なことを言った。

 まあでも、俺の軽い蹴りでバラバラになったデュラハンもどきなら、確かに大したことはなかったな。

 なんとも言えない気分になってしまった。


「まあいいだろう。ひとまず回収だ」


「そうだな」


 茶髪の男が、制御石を握り俺に向けて言った。


「その死体を引きずって、後をついてこい」


 制御石がほのかな輝きを発した。


〈制御コードが発信されたわ。間違いなく制御装置ね〉


 命令遂行型の半自動ロボットって感じか。

 しかし、どういうコードなんだ。


〈量子暗号化されてるから、私には解読できないかな〉

 

 アドリブでなんとかするしかないか。

 俺は言われた通りに、冷たくなったローブの男へと歩みを進める。

 なるべくロボっぽい動きを心掛けすぎたせいで、手と足が同時に出てしまった。


「……案外、ポンコツかもしれんな」


 黒髪の男がボソっと言った。

 後でこの男は酷い目にあわすと心に誓った。


〈プーッ、ポンコツ。ウケる〉


 錆子も戻ったら虫かごの刑だ。


 俺はローブの男の死体を引きずって、前を歩き始めた二人の男に続いた。

 ほんの20メートルほど歩いたところで、山の斜面にぽっかりと口を開けた洞窟があらわれた。

 前を歩く二人は、躊躇うことなく洞窟へと入っていく。


 この二人が突然現れた理由はこれか。


 洞窟の高さは2メートル弱。俺だと腰を屈めないと入れない高さだ。

 内部は真っ暗で、人の手が入った様子はない。天然の洞窟のようだ。石灰岩の岩山なら侵食されやすいから、他にもこの手の洞窟はいっぱいありそうだ。

 俺が茶髪の男に続いて中に入ると、すぐ内側で待っていた黒髪の男が、丸太で組まれた蓋のようなもので入り口を塞いだ。

 動物の侵入を防ぐためだろう。

 洞窟の内部は意外に天井が高く、3メートルはあった。

 そこから、緩やかな傾斜を下っていく。どうやら、領都の方向へと洞窟は伸びているようだった。

 

 前を歩く二人の帝国人に俺を怪しむ素振りはない。帝国の最新型傀儡だと思い込んでいる。

 まさか、忍び込もうと思っていた国の人間にこんな所で接触できるとは思っていなかった。

 これはチャンスだ。

 どこまで引っ張れるかは分からないが、可能な限り情報を引き出そう。

 

 ふふふ、チェンジリング計画の開始だ。


〈まーた、名前だけのノープラン計画が始まった〉


 だまらっしゃい。


    ○


 主の居ない大きな部屋の絨毯の上で、女二人と犬人が一人、酒を酌み交わしていた。

 娯楽の少ない世界とはいえ、いささか飲み過ぎのきらいはある。

 三人は言ってしまえば、新たにパーティを組んだ者同士の通過儀礼を行っていた。

 

 お互いの生い立ちから、今までどう生きてきたのか。家族のこと、冒険のこと、心に残ったこと。

 そうして、話題はこの場にいないパーティリーダーに及ぶ。


「へぇ、お父さんと同郷の人なんだ」


 とカーライラが言うと、ルルエは頷いた。


「育ての親ですけどね。カーラちゃん、ザン共和国って知ってる?」


「聞いたことないけど。そっか、冒険者ギルドがないぐらい遠い国なんだよね」


「みたいですねえ」


「でも、ルルエってほんと、テツオに警戒感ないのね」


「ザンの人は、安心安全なのでぇ」


「それは聞いたけどさ。それだけじゃないよね?」


 イシュが冷静に突っ込む。

 

「ひたすら甘えているだけだ」


 むっとルルエが唇を尖らせるも、己の現状に思い至ったのか、


「……それは、お父さんみたいだなあって思うことはありますけどお。でもでも、31歳らしいので、お兄ちゃんみたいなものですよね!」


 と言い返すも、まったく反論になっていなかった。


「え、あれで31なんだ」


「やはり、そう思うか」


 イシュトカーライラの反応はしごくまっとうなものだった。


「でも、お兄ちゃんって呼んだらダメなんです」


「どうして?」


「それは……えっと……」


 口ごもるルルエに代わって、イシュが答えた。


「どうも、テツオは妹と何かあったようだ。あからさまに妹のことを触れてほしくなさそうだったからな」


「……ふーん。今度それとなく聞いてみよっかな」


「聞いちゃうの?」


「私、知りたいと思ったことには躊躇しないから」


 それを聞いたイシュがふっと笑う。


「魔法使いらしいな。しかし、ずいぶんとテツオに懐いたものだな」


「だって、テツオ、私を怖くないって」


「カーラちゃんは、怖くないよ?」


 イシュも首を傾げている。

 カーライラは微かな自嘲を浮かべる。


「ルルエもイシュも優しいから……普通の男なら、私をおんぶなんかできないよ」


 カーライラには父親を含めて男に背負われた記憶はなかった。それが、己の魔法のせいだとも理解している。不思議なもので、女はカーライラに触れることを躊躇しないが、男は例外なく一定以上の距離からは近づいてこなかった。

 そんなカーライラの内心とずれたことをルルエがいいはじめた。


「ザンの人って、背中が冷たいんですよね。夏はいいですけど、冬はつらかったです」


「え、テツオの背中、すごく暖かかったよ?」


「む、それは、聞き捨てなりませんね。カーラちゃんだけ、ずるいです」


「今度してもらえばいいじゃん」


 ルルエは、はにかんだ笑みを浮かべた。


「え~、おんぶしてって言うんですか? 子供みたいで恥ずかしいじゃないですか」


 たまらずイシュが吹き出した。


「っぷ」


「どこか、可笑しいとこありましたぁ?」


 ルルエの口は笑みを浮かべてはいるが、目は微塵も笑っていない。

 イシュは素早く状況の修正を計った。姉や妹たちに揉まれまくった成果である。


「む……いや、テツオに背負われたルルエの姿を想像してしまってな。親子のようだと思ったのだ。微笑ましいとな」


 嘘である。

 本音は「二十歳にもなって、子供みたいなお前が言うな」であった。

 本人を前にして、吐いてはならない言葉だ。


「そうですよねえ。そう見えちゃいますよねえ」


 そう言いながらも、まんざらでもない表情を浮かべるルルエ。

 カーライラがどこか冷めた目でイシュを見て言った。


「……イシュって、実は女たらしの素質あるかもね」


「人聞きの悪いことを言うな」


 ルルエはカーライラを真剣な表情で見つめた。


「でも……だめだよ、カーラちゃん。テツオさんは再生者だから」


「それって、どういう意味……再生者って危ない人なの?」


「違うの。再生者は……十年でいなくなるから。お父さんもそうだった」


 そう言ったルルエは、どこか悲しみを噛みしめるような顔をした。

 一瞬、言葉を失ったカーライラだったが、まっすぐとルルエを見返す。


「……だから、入れ込むなってこと?」


 ルルエは視線を落とした。


「ほんとに、悲しくなっちゃうから」


「だったら……魔王を倒しちゃえば、消えないんじゃないの?」


「え……そう、なのかな?」


「いやわかんないけどさ……」


 不確かなことではある。だが、思ってしまったのだ。

 

 ――魔王を倒してしまえば、いなくならないのでは、と。

 

 それは計らずも、この場に居る女性二人の心に刻みこまれてしまった。


    ○


 というわけで、俺は絶賛チェンジリング計画を遂行中なわけだが……。


〈見事に閉じ込められたわね〉


 あれから洞窟を延々と歩いた末に、領都の地下下水道にたどり着いたのだ。

 途中から明らかに人の手によって掘られたものに変わっていた。そして、下水道と洞窟の狭間は、板に下水道と同じ煉瓦を張り付けた、壁に偽装した蓋のようなもので仕切られていた。

 松明やランタンで灯りを得るしかない下水道なら、あの偽装が見破られることはないだろう。

 そうして、しばらく下水道を歩いた後に、倉庫のようなこの場所に入れられたというわけだ。

 

 ご丁寧に、外から南京錠らしき錠前で施錠されて。

 

 さすがのスカウト七つ道具の一つ、マスターキー君でも扉の裏から錠前を開けることはできない。


「どうしようかね……?」


〈蹴破れば?〉


「せっかくここまで潜り込めたんだ、もう少し情報が欲しいな」


〈ルルエたちに連絡したほうがいいよね?〉


「だよなあ……」


〈でも、難しいわね。ここからだと通信機じゃ届かない。ドローンを飛ばしても、通話はできないし〉


「あ、いいこと思いついちゃった」


 俺は深呼吸穴に潜む身長20センチの妖精さんを引っ張りだした。


「ちょっと、何すんのよ!」


「出番だ、錆子」


「は……?」


 錆子はAIらしからぬ怪訝な顔をした。


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