029_questlog.傀儡

 領都の南側には、「裏山」と呼ばれている山がある。

 標高はたいしたことはなく500メートルもないだろう。領都からなだらかな傾斜で頂上まで続いているが、そこを越えるといきなり断崖絶壁になる。

 山というより、派手に隆起した巨大な石灰岩だ。地球でいうと、ジブラルタルにある「ザ・ロック」と呼ばれる岩山に似ている。

 岩くればかりで土壌はよくないのだろう、背の高い木立はほとんどない。灌木や草がもしゃもしゃ生えている程度だ。

 

 俺は、そんな岩山の緩い斜面を一人で上っていた。

 辺りは灯り一つない、闇の世界だ。

 背後には、ほんのりとオレンジ色の光を漏らす領都の灯。21世紀の夜景を見慣れた目には、いささか控え目に見える。だが、これがこの世界の夜なのだ。

 

 自分が再生者であると明かした後、イシュとカーライラにはブツブツ言われた。

 間違いなく俺の落ち度なので、正座で拝聴した。

 二人は常識に欠ける俺のことを少し心配したのか、この世界について知りたいことはないのかと聞いてきた。

 俺はそこで、気になっていることを聞いた。

 

 ――燃える黒い水、燃える黒い石、地面から出てくる燃える気体に心当たりはないか、と。

 

 結論から言おう、この世界に化石燃料は存在しない。

 そう、ないのだ。

 二人とも見たことがなければ、聞いたことすらないと言った。

 石油はおろか、石炭、天然ガス、いずれもないようだ。

 

 特にカーライラは魔法学校時代、錬金術の授業を取っていた。様々な鉱石や液体を目にしたが、そこに燃える黒い水はなかったという。しかし、魔法学校あるのか。ちょっと胸の冷却ファンが回りそうになったが、そこではあえて追及しなかった。

 

 地球の歴史を振り返れば、化石燃料を使い始める前と後では文明の加速度が違う。化石燃料の使用量と比例するように、人口も爆発しているのだ。

 この世界、人口が希薄で、文明も19世紀レベルで停滞している理由がよく分かった。文明発展の「燃料」がないのだから当然だ。

 

 こうして、俺の石油王への野望は潰えた。

 エネルギーを牛耳って世界取ったらあと思ったのだが、スタートラインがなかった。


「アンタ、そんなこと考えてたの?」


 俺の肩に乗っている、身長20センチの妖精さんがそんなことを言った。


「いや、今思いついただけ」


 そもそも、さんざんやらかしている再生者が目を付けない訳がないのだ。にもかかわらず、化石燃料関連の品もサービスも存在しない。ということは、マジでないのだ。


「しかし、そうなると本気で燃料が酒になるな」


「今のところ問題はないけど。高濃度エタノールの生産工場でも持つ?」

 

「アリかもしれんなあ……いつも飲んでる96度の酒のメーカーを買収してもいいか」


 幸いにして、軍資金ならある。

 あとでルルエ……じゃダメな気がするので、カーライラに相談しよう。


 そしてもう一つ、気になっていたことも聞いた。

 

 ――爆発する黒い粉を見たことはないか、と。


 半ば予想通りだったが、やはり見たことも聞いたこともないと言われた。

 火薬もないのだ。

 ただ、粉塵爆発は知られているようで、製粉業者がたまに爆発しているらしい。

 

 文明レベルに対して軍事技術が低い理由が分かった。そりゃ、いつまでもクロスボウが現役なわけだ。ブリトンという島国は長弓が有名らしいのだが、いつかその国と百年ぐらい戦争しないかな、と思ったのは余談だ。

 

 過去の再生者が、トイレの土を掘り返さない訳はないので、やっぱり火薬もないのだろう。ただ、火薬なら化石燃料やトイレの土がなくとも作れる。水と空気からパンを作る法を使えばいいのだ。しかし、その技術が広まっていないのも明らかだ。もっとも、世界に覇をとなえる気なんかないので、手は出さないが。

 

 どうしても火薬が欲しければ、自分の腹の中でとんでもない爆薬ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンを直接合成してしまえばいいのだ。


 錆子が俺を見上げてきた。


「ん? 合成する?」


「作らんでいい。まだ必要じゃないからな。そんな物騒な物、持ってたくねえし」


「まあね」


 とにかく、この世界は「デザインされすぎている」と言うしかない。

 新システムを試すアルファテスト世界でした、と言われても納得しそうになる。

 ただ、今の俺には現実リアル仮想バーチャルも確かめようがない。俺の主観で見る世界が現実である以上、死なないように踏ん張るしかない。

 結局のところ、魔王を討伐するしかないのだ。

 だからこそ、同じ目的を持っているはずの再生者に接触する。まずはそこからだ。

 

「それで、通信距離はどんなもんだった?」


 俺が夜中に山登り鉄夫をしている理由、その一だ。


「見通しで1キロ。街中で400メートル。室内だと100メートルがいいとこ」


「そんなもんだよなあ……」


 パーティメンバーに渡した無線通式機の通信可能距離を測定していたのだ。

 イシュには城壁の上。カーライラには領都の屋台街。ルルエには宿の室内にいてもらった。

 耳の後ろに張り付けられる程度のサイズなので、こんなもんだろう。

 周波数を落として、空中線電力を上げればもっと伸びるだろうが、サイズがでかくなる。なにより、発電能力の低いイシュが使えなくなってしまう。そう、あの無線機、各人の体内魔力――という名の生体発電能力に依存している。カーライラとルルエはかなり高いが、イシュは低いのだ。

 結論、現状の無線機を継続して使う。

 

 そして、その二だ。

 飛行実験をするためだ。

 錆子の実体インターフェイスの生成過程を見て思いついたのだ。

 中間ナノマシンを薄く引き伸ばして翼を作れないものかと。

 地球のグライダーが約250キロ。俺の体重とほぼ変わらない。ということは、グライダーと同程度のアスペクト比と面積を備えた翼を用意できれば、飛べるのだ。

 

 アイキャンフライ!

 

 うまいことに、この岩山は裏側が断崖絶壁だ。斜面上昇気流に乗ればポーンと飛べるはず。

 風のことを考えるなら、海風がやってくる昼過ぎがいいのだが、いくらなんでもそんな無茶はできない。翼の生えたデュラハンの目撃情報など、流布したくないのだ。下手をしたら、「対空戦闘用意!」と言われてしまう。

 夜なら、山に入るバカはいない。盗賊すら、夜の山など徘徊しない。夜目の効くモンスターにパックンチョされる未来しかないからだ。


 とにかく、馬が絶望的なので、長距離移動能力の確保は重要なのである!


「いや、アンタが飛びたいだけでしょ」


「だまらっしゃい」


 仮に翼が折れても、重力制御で軟着地すればいいだけだし。


「やめてよね、そういう電気の無駄遣い。電気は大切にネ!」


 どこのマスコットキャラクターだよ。

 そういや、漢字で書くと電子だな。まぎらわしいというか、普通にエレクトロンだと思うわ。だから平仮名だったんだな。


「とにかく重力制御は電力効率が悪いの。重力制御で無理やり滑空したとしても、同じ距離を走ったほうが30倍省エネだからね?」


「……重力制御ってそんなに燃費悪いのか」


「そりゃそうよ。重力って、隣接次元にほとんど漏れちゃうから。そのかわり、遮断が不可能っていう利点もあるの」


「それって利点なのか……さらばケイヴァーリット」


「ま、飛んだら飛んだで、上空から地形観測ができるからまるっきり無駄ってわけでもないんだけどね」


「無論だ。それも計画に含まれている」


「ノープラン計画なのは知ってるから……」


「飛べばよかろうなのだぁ」


 翼の設計と事前のシミュレーションは既に終わっている。言うまでもなく、錆子に丸投げした。

 あとは、実際に展開して飛ぶだけなのだ。


 俺がワクテカしながら岩山の緩い斜面を登っていると、犬の遠吠えが聞こえてきた。


「黒狼ね……距離500、数は5匹。どうする?」


「来たら来たで、お小遣いにするから放置で」


「了解……ん、待って。黒狼5匹以外に、動体反応が2。そのうちの一つは、人間ぽい」


「おいおい、夜の山でソロ活動か? 感心しねえな」


「アンタが言うな……」


 見殺しにするのも寝覚めが悪いので、俺は駆け出した。

 どうやら、その人たちは黒狼5匹に囲まれてしまったようだ。

 人間と思しき熱源が一つ。ただ、その人間を守るように剣を振り回している騎士っぽい人からは熱の放射がほぼ出ていない。

 よく見れば、その騎士っぽい人は黒い全身金属鎧フルプレートアーマーを着込んでいた。

 まさか生き別れの兄弟では?


「はいはい。サイズ的にそれはないと思うけどね。でも、なんか弱くない?」


「びっくりするぐらい、動きが遅いな……」


 あのままじゃ、二人とも狼の晩飯一直線だ。

 俺は狼の囲いの中に飛び込む。


「義によって、助太刀いたす!」


 一度言ってみたかったのだ。もちろん、義などない。

 

 俺の乱入に驚いたのか、狼がビクッとして動きを止めた。傍らの二人のうちローブを着ていた男は心底驚いたようで、文字通り飛びあがっていた。

 だが、フルプレートの騎士っぽい人は何の反応も示さず、いきなり斬りかかってきた。

 

「いやまあ、そうでしょうけど。ちょっと、お話を……」


 ゆるい斬撃をひょいとかわして話しかけるも、反応がない。

 その後、何度も無言で斬撃を繰り返してくるので、埒が明かないと思った俺は、軽く騎士の胴を蹴った。

 尻もちでもついてもらおうと思ったのだが、蹴った瞬間、胴鎧がすっ飛んでいって、フルプレートがバラバラになって四散したのだ。


「えぇ……!?」


 俺が蹴った胴鎧はガゴンと岩に当たって、向こうに転がっていき、残された四肢と頭の鎧はカラカラと斜面を転がっていった。

 中の人などいなかった。


「あ、やっぱりか」


 錆子がそんなことを言った。


「まさか、マジもんの彷徨える甲冑デュラハン?」


「これって、ユーグリアの傀儡くぐつシステムね」


 なんだそれ。

 死霊術とか、ゴーレム召喚とか、そんな感じか。


 俺があっけにとられていると、悲鳴が聞こえてきた。

 ローブの男が黒狼に首筋を食いちぎられていたのだ。


「しまったな……」


「無理ね。即死」


 俺の内心の後悔などお構いなしに、黒狼3匹が一斉に飛びかかってきた。

 右手、左手、右足を同時に繰り出す。

 最適位置に軽く置いただけだが、完璧なカウンターになった。

 ほぼ同時に、3匹の頭が潰れてその場に落ちた。

 

 残った二匹は泡を食ったように逃げ始める。

 俺は足元に転がっている適当な石を二つ拾い、両手を高く掲げる。


「だめだぞー、真っ直ぐ走って逃げたら」


 瞬時に錆子の弾道計算が完了。俺は両手を振り下ろす。

 俺の手から離れた石ころ――500グラムほどあるが――は低い軌道を描いて逃げる狼の頭を潰した。

 

 ひとまず狼は撃退したが、肝心の助けたかった人を死なせてしまった。

 デュラハンもどきなんか放っておいて、さっさと狼を始末すればよかった。

 

「……どうしようかね」


 突然、脳内に錆子の声が響く。


〈動体反応、2。9時方向、距離20。人間よ〉

 

 緊急だと脳内直接会話らしい。

 距離20って、どうやって近づいたんだ。


〈不明。突然現れた〉


 俺は最大限警戒しつつ、そちらへ体を向ける。

 質素で地味な服装をした二人がこちらに近づいてくる。二人とも腰に手斧を吊り、手にはランタンを持っていた。

 一人は背が高く茶色の髪。もう一人は、中肉中背で黒髪だ。二人とも薄い褐色の肌をしていた。

 見た目だけならただの町人だが、所作が洗練されすぎている。何よりちらりと見える筋肉は鍛え抜かれているし、姿勢がいい。視線の動きも鋭い。


〈かなり鍛えてるわよ〉


 中身と服がちぐはぐすぎて、怪しいにもほどがある。

 しかも、夜の山で俺の姿を見ても驚いていない。

 いったい、何者だ?


 背の高い茶髪の男が口を開いた。


「待たせたか。ん……? 黒狼に襲われたのか」


 どうやらこの二人、死んでしまったローブの男と待ち合わせしていたようだ。

 ここは素直に、ありのままを語ったほうがよさそうだ。


 もう一人の、黒髪の男が感心したように言った。


「だが、撃退しているじゃないか。帝国の最新型というのは本当らしいな」


 その言葉で、おれは出そうとしていた言葉を引っ込めた。


 ――帝国?

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