024_questlog.風呂

 森を抜け、緩やかな斜面を下っていくと大きな街道に出た。

 驚いたことに、その街道はコンクリートで舗装されていた。一辺が20センチほどの角が面取りされたブロックがみっしりと敷き詰められており、外側にいくにつれ微妙な傾斜が付けられていた。

 かなり高度な舗装だ。

 その道路が、10メートルほどの幅を保って、領都の市街地まで続いている。


「この街道は、王都にまで繋がってるんですよ」


 ルルエがそんなことを言った。

 さらに聞けば、王都どころか外国にまで繋がっており、果てはヴォーズ帝国の帝都にまで達しているという。

 古くから、ヴォーズ帝国が侵略するたびに街道の整備を行い、コンクリートブロックの規格も決まっているという。

 どこのローマ帝国だよと言いたい。


 しばらく丘陵地帯を進むと平原に出た。

 そこは一面が麦畑で、地平線まで続いているのかと思えるほど広大な農地だった。

 ぽつぽつと農家らしき建物も建っており、サイロと思しき煉瓦積みの塔が立っていた。

 進むにつれ、まばらだった建物が次第に増えていき、最終的には街道の両脇はすべて建物で埋め尽くされてしまった。それでも、城壁は未だ遠く、領都の大きさをうかがわせる。


 佐々木ノートによれば、領都ディゾラの人口は約15万。


 とても城壁の中にすべての人が住めるとは思えない。人口の膨張に、城壁の建築速度が追いつかないのだろう。

 

 街道の両脇を埋める建物は典型的なハーフティンバー建築だった。ヨーロッパの古い街並みでよく見る、白壁に半分埋まった柱が外に出ている様式だ。

 通り沿いには商家らしい綺麗な三階建ての建物が並んでおり、窓にはすべてガラスがはまっていた。

 街道の両側には石畳で舗装された歩道が整備されており、そこを様々なデザイン、色彩をした服を着た人々が行き交っていた。

 しかも、街灯まで立っていた。聞けば、植物油のランプだそうだ。

 商店の看板は複雑な模様が描かれており、庇の色も多彩だった。


 そして極めつけは公衆浴場だった。

 ハーフティンバー様式なのに、入り口の庇の下にのれん・・・が掛かっていた。

 イシュはよく利用するらしい。のれんをくぐると大きな下駄箱。男女に分かれて入り、番頭台に銭を払うと、すぐに脱衣所。その向こうには洗い場と湯舟が分かれた浴室。そして、湯舟の背には山を描いたモザイク画。

 聞くまでもない。「日本人」再生者の仕業だ。


「私も、領都に来たときはいつも使ってましたよ」

 

 聞けば、ルルエは月に一度は領都に来ていたらしい。主に教会関係の仕事らしいが、ついでに冒険者ギルドで仕事も受けていたそうだ。

 佐々木さんがいなくなってからの6年、彼女は一人で領都と村を往復し、父親を待っていたのだ。そりゃ、銀級にもなるか。


 外国を放浪したカーライラによれば、どの国の公衆浴場も同じスタイルらしい。ヴォーズ帝国が侵略するたびに、この公衆浴場を建設したのだとか。

 俺の中で、ヴォーズ帝国皇帝は日本人説がブームになった。


 まあとにかく、文明レベルが高い。

 地球で言う、中世レベルではない。近世末期、産業革命直前の世界に見える。ただ、電気を使っている様子は一切ない。電気のない世界なのだろうか。

 

 ようやく正面に城壁と正門と呼ばれる大きな門が見えてきた。

 門の下を通る街道は、上りと下りにレーンが分けられており、どうやら馬車と馬は右側通行らしい。

 午後も大分過ぎた時間なので、城壁の内側へと入っていく馬車は少ない。

 てっきり城壁の内側に入るには、税金を取られるのかと思ったが、そんな税金はないそうだ。同様に、街道に関所的なものもないという。百年ほど前まではあったらしいが、流通と経済活動促進のために撤廃されたそうだ。

 

 城壁の内側は旧市街と呼ばれているらしく、古くからある建物がみっしりと建っていた。領主の城館や、ユグリア教会の神殿、行政機関などが集まっているそうだ。

 冒険者ギルドも旧市街の内側だ。領都の外に出ることの多い冒険者にとっては、歩く距離が長くなるので不評らしい。

 

 城壁のすぐ下まできた。

 正面の大門は二つの塔に挟まれた楼門ゲートハウスになっている。

 城壁の高さは10メートルほど。等間隔に円形の側防塔が建っていた。下部は傾斜がついており、分厚い城壁であることが分かる。


 城壁をほえーっと見上げていると、神殿騎士が一人こちらに駆けてきた。

 

「テッツォ卿、テッツォ卿! お待ちしておりました」


 俺は肩に乗ってる錆子に尋ねる。


「テッツォ卿って、誰……?」


「いや、アンタのことでしょ。モクレールに教えたでしょ」


 あー、テツオがテッツォになったってことか。ありえそうだ。

 そもそも、ラテン語に「サー」の呼称はない。北海に浮かぶブリトンという島国の言葉から輸入されたのだという。教会の爺がそう言っていた、とはルルエの談だ。


 こちらにやってきた神殿騎士は、若い騎士だった。

 キラキラした目を俺に向けてくる。


「テッツォ卿、私は神殿騎士のルバルポと申します。モクレール団長から、ご案内するようにと仰せつかっております!」


「出迎えご苦労。一つ聞きたいのだが……俺の名前って、どう伝わってる?」


 俺がそう聞くと、ルバルポと名乗った若い騎士はキョトンとした顔をした。


「は……? カッコ・カリ・テッツォ殿であると、そう聞かされておりますが……もしや、間違っているのでしょうか?」


 俺の肩の上で、錆子が「プー」と吹き出した。

 俺も茶噴きそうになった。


「……そうか。うん、間違いはないぞ。確認をしただけだ」


 黒騎士(仮)とか言うんじゃなかった。

 カッコとか何人だよ、まったく。


「自業自得すぎて笑うしかない」


「おだまり」


 俺と錆子のやり取りを見たルバルポは目を丸くしていた。


「俺も、テッツォ卿と呼んだほうがいいか?」


 イシュがニヤニヤしながら聞いてきた。

 

「やめろ」


「あなた、苗字持ちだったのね。でも考えてみれば、遺物アーティファクトの鎧を着ている騎士だものね。当然か」


 俺の背中から顔を出したカーライラはそんなことを言った。顔色がずいぶんと良くなっている。肌の艶ももどりつつあった。

 というか、この世界の人って、回復力がやたら高いな。


「テツオと呼んでくれればいい」


 ルルエはあまり意味が分かっていない様子で、ニコニコしていた。

 

 それから俺たちはルバルポに連れられて、旧市街を歩いた。


「団長とテッツォ卿の手合わせは、騎士団の語り草なんです。自分もあの場に居ましたから。直に見られて幸運でした」


 目をキラキラさせてルバルポはそう言った。


「モクレールのオッサンはともかく、俺の剣は参考にならんだろ」


「そうですね……ほとんど見えませんでしたから。己の修練不足を痛感させられました」


 なんなの、この人たち。

 神殿騎士って、修行大好きっ子の集まりなわけ。


「自分もいつか、あの領域に到達したいものです」


「人間辞めることになるから、近づかないほうがいいよ」


 俺がそう忠告すると、ルバルポは「なるほど、人を超える覚悟が必要であると……」と妙な納得をしていた。

 もはや何も言うまい。


    ○


 ルバルポに連れてこられた宿屋は、高級ホテルと言っても過言ではないところだった。

 しかも、一人に一部屋だ。しかもしかも、宿泊費も飲み食い費も、全部教会もちで、好きなだけ滞在していいとのことだった。太っ腹すぎて、逆に心配になる。

 建物は石造りで床もしっかりしており、床を踏み抜く心配はなさそうだった。

 ただ、絨毯を傷めそうで心配です。


「テツオさん、大変です。大変です」


 ルルエが俺の部屋に飛び込んできた。


「部屋にお風呂があるんです! お風呂ですよ、お風呂!」


 興奮した様子で俺の部屋の浴室に突撃していった。

 どうして、俺の部屋の風呂を覗くんだ。


「わー、こっちのほうが広くて素敵だー!」


 と風呂場で叫んで、すぐに俺の部屋を出て行った。


「なんやねん……」


 そういえば、ルルエの家に風呂場はなかったから、個室の風呂というのは珍しいのかもしれない。

 

 ルルエの言う通り、この部屋は広くて豪華だった。

 ベッドもダブルサイズで、俺が寝っ転がっても大丈夫そうな、スプリングのしっかりしたマットレスがひかれていた。スプリングですよ、スプリング。なんでここだけ20世紀なんだよと言いたい。もしかしたら、再生者の仕業かもしれない。


 浴室を覗いてみる。

 たしかに広い。8畳ぐらいはある。バスタブも大きく、俺ですら入れそうだった。


「俺って風呂入っていいの?」


「いいわよ。水深300メートルまで問題ない」


「潜水艦かよ。汚れも落としたほうがいいか」


「関節に汚れがたまりやすいから、長いブラシでも借りてきてよ」


「後で入るか」


 俺が浴室から出ると、ルルエがタオルを大量に抱えて入ってきた。しかも何故かカーライラを連れている。

 そういえば、カーライラの服を調達しなくちゃならないな。

 そう思ってカーライラを見ると、シーツをうまいこと巻いて、古代ギリシャのドーリス式キトンのように着こなしていた。両肩の部分を細いロープで縛っており、腰にも同じロープを巻いていた。

 ぱっと見だと、白いドレスを着ているように見える。細くて背が高いカーライラに良く似合っていた。


「え、ちょっと……どういうこと?」


 カーライラは戸惑っていた。

 俺も当然のように戸惑っている。


「お風呂ですけど?」


 ルルエが「何を言っているんだこいつは」的な顔をした。


「それは聞いたけど、どうしてテツオの部屋なの?」


 俺もそう思う。


「二人で入るなら、広いここのお風呂のほうがいいですよ」


 ルルエがさも当然という顔をした。


「……いや……いいの? よくないでしょ!?」


 カーライラは混乱している。

 もちろん、俺も混乱している。


「体をしっかり洗うのって、けっこう体力つかいますから。カーラちゃんは、じっとしてていいですからね」


 ルルエが何故かお姉ちゃん風を吹かしながら、カーライラを浴室に押していく。

 背はカーライラのほうが大分高いが、ルルエはあれで力が強い。


「……お姉さんのつもり?」


 カーライラも同じことを思ったようだ。


「え? どう見たって、カーラちゃんのほうが年下じゃないですか」


「「え」」


 俺とカーライラが同時に漏らした。


「ルルエって、何歳なの……?」


「20歳ですよー」


「うわ、ほんとにお姉さんだった」


「でしょ~?」


 俺はたまらず聞いてしまう。


「待て。カーライラは幾つなんだ?」


「19歳よ……」


「マジですか」


 まさかの10代だった。ガリガリに痩せてる上に、薄汚れているから、まったく分からなかった。

 しかし……31歳のオッサンの部屋に、10代の女子が風呂に入りにくるとは。


「事案よ、事案」


 お前が言うな、錆子。


「でも、その、お風呂はいいんだけど……男の人の部屋のお風呂に入るのはちょっと……」


 カーライラが顔を赤くしてもじもじしている。

 まったくその通りだと、俺も思う。


「大丈夫です。問題ありません。テツオさんは、ザンの人なので、世界で一番安心安全な男の人なのです」


 ルルエが胸を張って言う。

 カーライラは目を何度も瞬いた。


「ザンの人……? あ、もしかして、そういう……? 騎士の人って多いっていうし」


 カーライラがチラッと俺を見た。

 さらに顔を赤くして、両手で顔を覆う。

 なにやら、たいそう嫌な予感がした。


「違うからな、それ絶対、違うからな!」


 ルルエが優しくカーライラに囁いた。


「心配しなくてもいいですよ。ザンの人って物理的に存在しないそうなので」


「え、何が……?」


 俺は慌ててルルエを止める。


「やめろルルエ。それ以上、言ってはいけない」


「はーい」


 と言って、ルルエはカーライラを浴室に押し込んだ。

 それでいいのか、カーライラ。押しに弱い子は、おじさんちょっと心配になるのだ。


「私も、お風呂入ろうっと」


 錆子が俺の肩から飛びあがり、浴室へと向かう。

 どうやって飛んでいるのかと思ったが、サイドツインテールをヘリのローターのように回して飛んでいた。交差反転式ローターというやつだ。

 器用なことしやがって。


「お前が風呂入る必要あるのかよ」


「何事も、経験でしょ? 知らないことを知るってのは、ご馳走だもの」


 そう言って、身長20センチのAIが浴室にプーンと飛んで行った。

 そして俺は広い部屋に一人佇む。

 浴室からは、女子二人とAI一匹のキャッキャウフフで楽しそうな声が聞こえてくる。

 だが、俺の心には、さざ波一つ起きなかった。


「……早く人間になりてえなあ」


 しばらくして、部屋のドアがノックされた。

 足音から、イシュであることは分かっている。仲間の足音は既にインプットされているので、間違えることはない。


「開いてるぞ」


 イシュがさっぱりした顔で入ってきた。

 どうやら彼も風呂に入ったようだ。


「ん……? 部屋の隅に座って何をいしている?」


「人間とは何か? という命題について思索を巡らせていたのだ」


「そういう冗談を言えるんだな……」


 そう言ってイシュは、鼻をスンとやって、浴室のほうを見る。


「女どもは、ここの風呂に入っているのか」


「ああ。この部屋の風呂は広いらしいぞ」


「なるほどな。ルルエは面倒見がいいな」


「で、どうしたんだ?」


 俺がそう問うと、イシュは手に持っていた瓶を掲げる。

 瓶は二本。ワインと96度の酒。


「気が利くな」


「一人で飲んでもつまらんだろう。それに、明日のことを話しておきたい」


「元仲間の遺族か」


 イシュは頷いた。

 角熊に殺されてしまった、かつてのイシュのパーティメンバー二人。その二人はこの領都出身で、両親と共に暮らしていた。

 そもそも、イシュは死んだ二人とはこの領都で臨時パーティを組んだだけの関係でしかないそうだ。それでもイシュは、遺族に遺品を渡しにいく。本来なら、そんなことをする必要はまったくないにもかかわらず。

 それが生き残った者の責務だと言って。

 俺がとやかく言うことではないのだろうが、真面目過ぎだとは思う。それが彼の美点ではあるのだけども。


「俺もイシュに話したいことがあるんだがな」


「なら、ギルドに昼でいいか」


「ああ。盗賊から分捕ったものもあるしな」


 俺たちはそう言って、酒瓶を打ち鳴らす。

 その後、女子二人とAI一匹が風呂から出てきて、酒盛りが始まったのは言うまでもない。

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