015_anotherside.神殿騎士団団長

 ユグリア教会南方教区神殿騎士団団長――という肩書は、フェリクス・モクレールという男にとってさほど価値のあるものではなかった。

 モクレールの真意を知らぬ他人が聞けば目を剥くことだろう。

 

 ユグリア教会は、東西南北の教区と教皇が座する総本山たる中央の合計五つの騎士団を抱えている。その騎士団の団長とは、教会の軍事部門の上位五指に入る存在なのだ。

 騎士団の序列で言うなら、中央騎士団が筆頭であるのは言うまでもない。他の四つの騎士団は基本的には同列とされている。ただそれは建前であって、発言力、影響力という点ではまったく横並びではない。特に武門である騎士団は、団長の強さと騎士団の精強さが重視される。

 

 その中で、南方騎士団は特出していた。

 団長個人の武もさることながら、士気が高く統率のとれた騎士団は南方随一の戦闘集団と言われるほどに精強であった。

 当然のようにモクレールの教会内評価は高く、ユグリア教会軍務省における発言力、影響力ともに無視できないものがあった。

 

 それでも、モクレールはいつ辞めてもいいとさえ思っていた。


 弱小貴族の四男坊として生まれたモクレールは、自身の価値を示すことでしか生きていくしかなかった。

 貴族の通例として、家督は嫡子が相続する。よほどの盆暗か、優れた弟でもいれば別ではあるが。貴族はなによりも子を残すことが最優先とされている。故に、女性当主はまれである。女性である以上一年に一度の出産が限界だが、男なら多数の女に産ませることが可能であるという理屈だ。

 女性蔑視にもほどがあるとモクレールは思っていたが、大多数の貴族はそんなことに思い至ることすらない。

 

 そんな貴族社会に早々に見切りをつけて枠組みから外れたモクレールは、各地を放浪した。

 ある時は冒険者として迷宮ダンジョンに潜り、ある時は傭兵として戦地を渡り歩いた。捕虜となって闘技場コロッセウムで幾度も死合をやらされたこともある。

 ただそのおかげというべきか、ユグリア教会の軍務枢機卿の目に留まった。

 軍務枢機卿の後ろ盾もあり、モクレールはかなりのハイペースで階級を上げていった。


 いまの地位は己の実力でのし上がったという自負はあるものの、本人の中では「たまたま」枢機卿の目に留まり、「たまたま」指揮官の才能があったというだけでしかなかった。


 栄達にも金にも執着は薄かった。モクレールの興味は、常に戦いに向いていたのだ。

 神殿騎士団に入ってからというもの、モクレールの心には漠然とした不満が降り積もっていた。それが何なのか、最近になって理解が及んだのだ。

 ――強者と戦い、勝つ。

 それこそが自らの欲していたものであると。

 それは、黒騎士との手合わせで、確信に変わっていた。


「やはり、俺はどうしょうもないケダモノなのだな」


 モクレールは独りごちる。

 黒騎士との手合わせを思い出すと、熱い塊が胸に去来する。

 それは、闘技場コロッセウムで泥にまみれて勝利を掴んだときの高揚に匹敵するほどのものだ。

 今まで勝てなかった相手は、東方の剣聖ただ一人だった。だが、二人目が現れたのだ。これで熱くなるなと言う方がおかしい。

 

 あの黒騎士、さぞや名のある騎士のはずだ。

 だが、かの黒騎士の名前は聞いたことのないものだった。偽名の可能性は高い。しかし、ザンという国の名もまた知らない。すくなくともユグリア教会の教区にそんな国はない。

 もしかしたら、ユグリア教会の威光すら届かぬ遠方の国からやってきたのかもしれない。

 密かに盗み聞いた限りでは、呪いを解除するために魔王を倒すということだったが、どこまで本気にしてよいものか。ただ、嘘の臭いはなかった。

 唐突に肩関節と股関節の幅を変えたことには驚いたが、あれが遺物アーティファクトの力なのだろう。鎧の遺物を見たのは初めてだったが、確かにあの黒騎士のまとったものからは禍々しさが感じられた。

 

 モクレールはふと顔を上げる。

 部屋の外に何者かの気配を感じたからだ。

 かすかに衣擦れの音が耳に入った。

 モクレールの聴覚は常人を遥かに超えている。集中すれば相対した人物の心音すら聞けるほどのものだ。

 衣服を整えているのだろう、と思い至ったモクレールはこの部屋を訪れた人物が誰であるのかすぐに悟った。


「入れ、スランジュ」


 部屋のドアが開くと背筋を伸ばした女騎士が立っていた。副団長のスランジュだ。

 きっちりと着こまれた制服には皺ひとつなかった。


「失礼します……」


 機先を制されたことが恥ずかしかったのか、かすかに頬が赤い。


「領主のほうはどうだった? まあ、聞くまでもなく上機嫌であったろうがな」


 モクレールの言葉に、スランジュは苦笑を漏らした。


「それはもう、ご機嫌でしたよ。何度も何度も一欠けらも思っていない世辞を聞かされて、耳が腐りそうでした。ただ、角と手がないことに嫌味を言われましたけど」


「鉄貨一枚も使わずに角熊二匹を駆除できたのだ。駄賃としてもらい受けたとでも言っておけ」


「もちろん、そう言ってやりましたよ。経費としていただきました、と。あの豚の鼻白んだ顔を団長にも見せてあげたかったですよ、ほんと」


 モクレールはスランジュの言葉に笑い声を漏らす。

 怜悧で物静かな印象を受けるスランジュだが、信頼関係を築いた者の前では歯に衣を着せぬ物言いをする。


「領主を豚扱いか」


「実際は、こちらの丸損なんですけどね? 最も価値のある角と、高値で取引される手がない状態の角熊ですから、それほど高価なものではありません。とはいえ、安くもないんです。それを二匹、ギルド価格で引き取りましたから。あと、予備とはいえ、制式の剣を二振り屑鉄にした人がいますし」


「それは……まあ、アレだ。訓練中の損傷ということでいいだろ? 実際、俺にはいい訓練になった」


「どこの世界に、たった一度の訓練で、鍛冶屋が匙を投げるほどの屑にする人がいるというんです。数打ちとはいえ、騎士団が採用した制式剣ですよ。そこいらの武器屋に並べたら金貨5枚しますからね。それが二振りですよ……はぁ、経理の追及が厳しそう」


 スランジュはわざとらしく眉根を寄せて額を押さえた。

 本気で心配などしていないのだろう。そう見て取ったモクレールは大仰に肩をすくめる。


「それは、すまなかった。なんだったら、俺の財布から出してもいいぞ」


「いいえ、結構です。変な前例を作るわけにいきません。それに、必要な経費でしたから。剣の二振りにしても、トータルで見れば安上りです。正面から角熊二匹とやりあえば、装備の損耗は激しかったでしょうし、下手をすれば負傷者も出たでしょう。むしろ逆に突っ込まれるかもしれません。損耗が少なすぎるって」


「それは、俺が勝手に突撃したと言ってくれていい」


「もちろん。全部、団長がやらかしたと言いますよ。安心してください」


 モクレールがたまらず噴き出した。


「ははっ、有能な副団長のおかげで、俺も楽ができるってもんだ。ところで、黒騎士のことは領主に伝えてくれたか?」


「はい。一応伝えはしましたが、興味は薄そうでしたね」


「そうか……角熊二匹を屠るほどの騎士なのだがな」


 モクレールの雲った表情を見て、スランジュはばつが悪そうに視線を下げた。


「あの、そのことなのですが……黒騎士はあくまで協力者・・・としています。ですから、領主の反応も薄かったのだと……」


 その言葉を聞いたモクレールは一瞬怒りの表情を浮かべるが、スランジュの顔を見て溜め息を漏らす。


「……そうか、そうだよな。教会のメンツってものもある。先に黒騎士にやられてましたなど、言えるわけはないか」


「はい、申し訳ありません」


「お前が謝ることではない」


 そこでスランジュがこころもち声を潜めた。


「団長、あの黒騎士、何者なのですか……?」


「分からん、としか言いようがない。名をカッコ・カリ・テッツォと言っていたか」


「カッコ……ですか。聞いたことのない響きです」


「私もだ。ザン共和国という名に聞き覚えは?」


「ありません」


「だろうな。私も知らん。たぶん、遠い異国からの来訪者だ」


「とても異邦の蛮族とは思えませんが。言葉遣いこそくだけたものでしたが、礼儀の筋は通していたと思いますし。なにより、あの剣は洗練されすぎていました」


 モクレールは重く頷いた。

 脳裏に黒騎士の放った斬撃の軌跡が幾筋も浮かぶ。そのすべてが一切のブレも傾きもない完璧な剣筋であった。


「……美しいと言っても過言ではない。本人は遺物のおかげだと謙遜してはいたが、たかが物一つで到達できる領域ではない。そして、あの身のこなし、膂力、体幹の強さと判断の早さ。世にはまだまだ傑物が埋もれているのだと痛感したよ」


「ですが、団長ほど泥臭い戦を経験しているようには見えませんでした」


「それはすぐに分かったな。だが、彼は強すぎて、誰も泥の中に引きずり込めなかったのではないか?」


「それほどですか?」


 スランジュの疑いの視線を受けて、モクレールは初撃をかわされたときのことを思い出す。


「そうだな……お前は信じないだろうが……最初に俺が必殺の突きを放ったろう?」


「はい、あれを避けられる者がいるとは思いませんでした」


「あれが殺し合いなら、俺はあそこで死んでいた」


 スランジュが目を見張る。


「彼は、私を殺すのをためらったのだ。そして、手加減した蹴りを放った」


「あの一瞬でそこまで……」


 スランジュが驚くのも無理はなかった。モクレールにしても、あのとき黒騎士の左手がこちらに向くのをギリギリで察知できたぐらいなのだ。しかし、黒騎士は左手を止め、ゆっくりと蹴りを放ったのだ。あれが手加減されたものであると気づけたのは、その後の体術を駆使した戦いをはじめてからだった。


「ふむ。やはり黒騎士の武は底が知れんな。ますますもって、我が好敵手たるに相応しい」


 スランジュがふふっと笑みを漏らした。


「団長、なんだか理想の恋人に出会ったみたいですよ?」


「なに? そうか。だが、否定はせん」


「ちょっと妬けますね……でも、久々に見せてもらいましたよ。『野獣モクレール』を」


 そう言われたモクレールは、いたずらが見つかった子供のように視線を逸らした。


「その二つ名は部下の前で言わないでくれよ」


「もちろんです。私はアリーナ時代の団長を見てファンになって、ここまで昇りつめたんですから。他の奴に分け前なんか与えませんよ」


 そう言って、スランジュは笑みを深める。

 モクレールは困惑した様子で髪をかきまわした。


「……相変わらずで安心したよ。私の恋心は別として、黒騎士に監視を付けて欲しい。奴の真意を探りたい。そして、可能なら我が騎士団に引き入れる」


「黒騎士……なのですよね? 仕えるべき主君を求めて放浪しているのでは」


「そうではないようだ。遺物の呪いを解くために、魔王を倒すそうだ」


 スランジュが怪訝な顔をする。

 

「本気で言ってませんよね……?」


「それを含めての監視だ」


「もし、本気で魔王を倒すつもりだったら、どうします? 魔王討伐はユグリア教会の悲願でもあります」


「それが分かった時点でまた対応すればいい」


 スランジュは頷き、しばし思索を巡らせる。


「了解しました。……それでは、黒騎士には事あるごとに便宜を計ってはいかがでしょう。南方神殿騎士団団長が身分を保証してもよろしいかと。名をあげる前に、恩を売れるだけ売っておきましょう」


「なかなか悪どいな。貧乏人のうちに金を与えておけ、か。いいだろう、採用だ。必要なら若いのを使ってもかまわん」


 モクレールは己の部下が優秀であることに、満足していた。

 能力さえあれば男だの女など関係ない。長く戦いの場に身を置いてきたモクレールはそう実感していた。古い慣習に囚われた貴族や枢機卿には理解されがたいものではあったが。

 確かに体力や膂力という物理的な部分では女性が劣るとされている。だが逆に女性は魔力が多く、魔法器官が発達していることが多いのだ。それを裏付けるかのように、筋肉量と魔法器官の大きさはトレードオフであると、魔法省の研究で分かってきたのだ。


 やる気に満ちた表情で去ろうとするスランジュを、モクレールは呼び止める。


「待て。もう一つ大事な報告があるだろう」


 一瞬だけ何のことだか分からないといった顔をしたスランジュが、ポンと手を打った。


「そうでした! 申し訳ありません」


 非常に有能な副団長ではあるが、たまにそそっかしい面を見せる。

 モクレールにしてみれば、何を考えているのか分からない鉄面皮な人間よりよほど使いやすいのだが。

 欠点を把握しておけばいいのだ。そのための団長なのだから。


「遺物の捜索ですが、進展がありました。有力な盗賊団のアジトを二か所に絞り込めました。現在、そのうちの一か所を襲撃すべく部隊を編成中です。明日中には出発できるかと」


 モクレールは満足気に頷く。


「大変結構」


 領都で盗まれた遺物は、世俗的な価値はない。そもそも、それが何であるのか解明されていない。分かりやすい「道具」ではないのだ。ただ、歴史があるのは確かであり、ユグリア教会発足当時から遺物であったのだ。

 故に、それが盗まれたという事実は、教会にとって大失態であった。


「あと……明日の作戦にはあまり影響が出ないとは思いますが……」


 スランジュの歯切れの悪い言葉に、モクレールは眉根を寄せる。

 副団長がこのような物言いをするときは、たいがいがろくでもない事であったからだ。


「何だ?」


「慌てん坊の枢機卿が、検邪聖省に異端掃滅官の派遣を要請しました」


 モクレールの表情がひきつる。


「まさか、受理されたのか……?」


「はい」


 溜め息を漏らしてモクレールは天井を見上げる。

 異端掃滅官。異端――すなわち、教会の敵――を見つけ出し、「処す」連中だ。

 群としての武を追及する騎士団と違い、彼らはとことん個の武を追及する。そして、やり口も過激だ。

 そんな連中と騎士団が連携してスムーズに事を運べるわけがない。


「またしても泥を被るのは現場か……ああくそ、修練の時間が減る!」


 己の意思で今の地位にまで昇ったのだ。当然、立場には責任も伴う。

 部下の家族を路頭に迷わせるわけにもいかない。

 モクレールは戦闘狂バトルフリークであると同時に、責任感の強い男でもあった。


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