009_questlog.依頼

 ふっと目が覚めた。

 部屋の中はうっすらと差し込む朝日で照らされており、窓枠の影が長く室内に延びていた。

 太陽はまだ完全に顔を出していない。かなりの早朝のようだ。

 思わず、いつもの癖で目をぐりぐりとしてしまった。

 硬い感触とガリガリという音で、我に返る。


 ――そういや、俺、機甲兵だったな。


 微かな期待はあった。

 夢ではないのか、と。

 そんな淡い願望は、木っ端ミジンコにされたわけだが。


「どこかに願望機が落ちてねえかなあ……」


〈無意識領域の願いしか叶えてくれないから、ろくなことにならないわよ〉


「てか、よくこんなマイナー映画のネタ知ってるな」


〈だって、アンタの記憶見えてるし〉


 そうだった――俺にプライベートなんてなかった!


 思わず頭を抱えてしまうと、腕に巻き付いていた毛布がぺろんとめくれた。


 毛布の下から、朝日を浴びて輝くルルエの肢体が俺の目に飛び込んできた。

 着ていたネグリジェは胸元までずり上がっており、俺が未だかつて見たことのない下乳なるものがチラリズムを発露していた。そして、下半身は絶対防衛圏を示す小さな三角の布切れが腰回りにピッチリと張り付いているのみだ。


 思わず二度見した。

 まさか、この俺にこんなラッキースケベが訪れるとは、夢にも思っていなかったからだ。


 ――REC、REC!


〈却下〉


 知ってた。

 とはいえ、どうしたものか。ずり上がったネグリジェを戻してやりたいところだが、途中で目を覚まされたら何かが決定的に壊れてしまいそうな気がする。

 奪ってしまった毛布をかけてやるだけでいいか。


「ん……お父さん、寒い」


 ルルエはそう言って体を丸めた。

 寝言か。

 俺は内心で笑みを浮かべながら、毛布をかけてやる。


「おいてかないで……一人にしないで……」


 赤子のように丸くなりながら、ルルエは眉根を寄せてそう呟いた。


「俺はここにいるぞ。安心しろ」


 俺はそう言って、ルルエの頭をそっと撫でてやった。

 金色の絹糸がさらりとこぼれる。


「ん……」


 どこか安心したように、ルルエは健やかな吐息を漏らす。


「てか、こういう感情はちゃんと持てるんだな」


 俺は慈しみの心でルルエの頭を撫でる。


〈同胞の救助だとか、戦友を守るとか。大事な感情よ〉


 ちょっと意外だった。

 冷血殺戮マシーンのような調整をされているのかと思ってたわ。


「なあ、感情のパラメータって、変えられるのか?」


〈可能だけど?〉


 なんだよ、できるのかよ。だったら、違和感が出ない程度にはしときたい。


「全部フラットっていうか、俺の感情そのまんまにできる?」


〈できるけど、お勧めしないわよ。存在しない器官は結構あるし〉


 存在しない器官――我が愚息か!


「試しに、全部アリにしてみ」


〈知らないわよ……一応、保険はかけておくけどね〉


 そして、俺は死んだ。


    ○


 俺はルルエと共に、メネーネの村にやってきていた。

 佐々木さんがルルエを拾って、拠点とした村だ。

 ゆるやかな丘陵地帯の丘の上にある小さな村で、世帯数は20。人口は100人に満たない。

 林業が盛んな村みたいで、丘の下を流れる川岸では切り倒した丸太を下流に流すための筏を組んでいた。


 俺は死んだんじゃないかって?

 ああ、死んださ。

 主に、愚息のせいで。いや、愚息はそもそもいないから、愚息がいないせいで頭がパーンしそうになったというところだ。

 感情を全部アリにした瞬間、脳が膨らんだかと思った。それぐらい、一気に感情が渦巻いたのだ。

 そして、俺の傍らで眠るムチムチプリンちゃんを見た瞬間、俺の中に眠る獣性が覚醒した。

 正直、やばかった。

 錆子がかけた保険――関節の動作範囲限定のおかげで、体が動くことはなかったが、それがなかったらどうなっていたことか。

 必死に自分を抑え込みはしたが、どうしょうもないもどかしさが俺を襲った。そして、慣れ親しんだ感触が一切存在しないという恐怖。

 ちょっとしたパニックを起こした――ところで、錆子が感情回路を切ってくれたわけだが。


 この体でいる限り、劣情回路は永久オフだな。


〈いわんこっちゃない〉


 すみませんね。何事も自分が体験しないと信じないタイプなもので。


〈はいはい〉


 俺は、襲いかかりそうになったルルエを見下ろす。

 身長差50センチはなかなか不便だ。表情がまったく見えない。


「ルルエは、よく眠れたか?」


「はい、テツオさんのおかげですね」


 ルルエはご機嫌だ。

 どうやら俺の醜態は見られてはいないようだった。


 さっきから、何人かの村人とすれ違うんだが、例外なく全員が「サッキー卿、戻ってきたの!?」と驚き、喜んでいた。

 ルルエが「お父さんの同郷の方です」と紹介すると、皆がっかりしていた。

 借り受けたフードつきのマントがサッキー卿のものだから、間違えるなと言うほうが無茶かもしれない。

 どうやら、サッキー卿はこの村にとって大事な存在だったみたいだ。


「荒事はだいたいお父さんが片付けてましたから」


 熊とか狼とか。忘れた頃にやってくる山賊だったりとか。

 てか、山賊出るんだ。

 まあ、そんな程度の連中なら、ザン機甲兵が一人いればどうとでもなる。


 村の人を見て気づいたのだが、ほとんどの人がスペクトル――敵味方識別パターンは「青」だった。

 ゲーム中じゃ、青はザン機甲兵のはずだったんだが。


〈厳密に言うと、地球人類の遺伝的特色を色濃く受け継いだ人ってこと。ザン機甲兵は機械の体だけど、頭脳は地球人類と同じだから〉


 ほう、ならこの村の人は、地球人と言っていいわけだ。


〈なんとも言えないわね。全員、例外なく混ざってるのよ〉


 混血ってことか?


〈そう、ユーグリアの緑であったり、キシリスの赤であったりね〉


 言われてみれば、みんな「青」ではあるが微妙に色味が違う。


〈でもね、混血なんてありえないのよ。ユーグリアもキシリスも遺伝子操作しすぎて、同族ですら自然妊娠できないほど変質しているから〉


 え、29世紀の人類って、そんなことになってんの?

 それやばくね。


〈自然妊娠ができないというだけよ。人口はいくらでも増やせるから、特に問題にならない〉


 問題、大アリだと思うんだけども。


「ここが冒険者ギルドの出張所です」


 ルルエはそう言って、石と木で組まれた建物の前で振り向いた。


「やっぱあるんだなあ……」


 お約束のギルドだ。

 佐々木ノートによれば、冒険者ギルドとは国を跨ぐ広域組合らしい。「実態は超巨大多国籍企業だ」とも書いてたけど。

 各国の冒険者ギルドは、国法に従いつつも当局からの命令は拒否できるという。強引になにかをやらそうとすれば、冒険者ギルドはその国から引き上げてしまう。するとどうなるか。銀行機能と情報通信機能が麻痺するのだ。場所によっては、治安維持すらおぼつかなくなる。それぐらい影響力のある組織だ。当然、冒険者ギルドに喧嘩を売るアホな国はない。かのヴォーズ帝国にすら、冒険者ギルドは存在するのだ。

 世界を巡る以上、冒険者ギルドへの登録は必須と言える。


 ルルエと共に、建物に入る。

 長いカウンターと酒瓶がみっしりと並んだ棚。くすんだ色の雑な造りの4人がけのテーブルがいくつか。


「どう見ても、酒場なんだが?」


 午前中のまだ早い時間だからだろう、客は一人もいない。そもそも、営業していないのか。店員もおらず、静かなものだ。


「はい。この村は小さいので出張所しかないんです」


 ルルエはとことことカウンターの端っこに向かう。

 そこだけ、カウンターに小さな衝立が立っていた。分かりやすく、皮のマットが敷かれている。


「……幅50センチの冒険者ギルドか」


 ルルエがカウンターの上に置かれていた呼び鈴を叩く。

 チーン。

 ファミレスのレジとかによくあるやつだ。この世界にもあるんだな。


 カウンターの裏から「はいはーい」という声が聞こえる。

 厨房があるようだ。

 奥から前掛けで手を拭きながら、素朴な美人さんが出てきた。20代後半だろうか。化粧気はないが、そのせいで素材の良さがよく分かる。


「サッキー卿、戻ってきてくれたのー!?」


 美人さんはそう叫んで、カウンターを飛び越え、俺に抱き着いてきた。

 意外に身が軽い。

 ゴッ――という音をさせてガシっと俺に抱き着く。

 なんというか、この村の女性は全員が痛覚耐性でも持っているのだろうか。


「イタタタ、あーでもこの硬さがいいのよねえ。ご無沙汰だわ~」


 事案臭がするので、そういうこと言わないでください。


「すまんが、俺はサッキー卿じゃない」


 ギョッとした美人さんが、俺の顔を見上げる。


「え……?」


「そうなんです、フォスティーヌさん。この人は、テツオさんといって、お父さんと同郷の方なんです」


「そう、なんだ……」


 そう言いながらも、フォスティーヌと呼ばれた素朴美人さんは俺の装甲を名残惜しそうにスリスリしている。


「フォス姉さん……?」


 ルルエが一オクターブ低い声で呼びかけると、フォスティーヌはヒュバっと俺から離れてカウンターの裏へと回った。

 やっぱ、AGI値が高いと思う、このお姉さん。


「はい、ようこそいらっしゃいました。メネーネ村の冒険者ギルド出張所へようこそ。本日はどういったご用向きでしょう」


 背筋を伸ばしてそう言うフォスティーヌに、パリッとしたギルドの制服が幻視できた。いや、制服のデザインなんか知らんけども。

 もしかしたら、このお姉さん、もっとでかい町の受付やってたかもしれん。


「テツオさんの冒険者登録を」


 ルルエがそう言うと、フォスティーヌは俺をちらっと見て、引き出しから取り出した小さな鉄板を差し出してきた。


「ではこちらに血判けっぱんを」


 いきなりハードル高いのきたな、おい。

 機甲兵に血判とか、どうすんの?


〈たぶん、それ簡易DNA記録カードよ。10秒待って。あんたの脳殻から輸送するから〉


 俺って、血が通ってたんだな。


〈当たり前でしょ。お脳の血管切れたら死ぬからね?〉


 きっかり10秒後に、俺の指先から血が一滴垂れて、鉄板へと染みこんだ。


 赤い血だ。

 貴様らの血は何色だーって聞かれても、胸を張って赤と答えられるな。


 俺の垂らした血は、鉄板の上に掘られた細い溝を伝っていき全体に広がる。そうして、血の通った跡は、さまざまな色に変わっていった。


「ほんとに、普通の人なんですねえ、ザンの人って。そんなごつい体してるのにねえ?」


 変色した鉄板を見ながら、フォスティーヌはそんなことを言う。

 佐々木さんも同じことをしたのだろう。

 ギルドの受付を長いことやってれば、登録された血判の色で種族が分かるのかもしれない。


「お名前は、テツオさんでよろしかったですね?」


「ああ」


 俺がそう返事をすると、フォスティーヌは一文字ずつ鉄製の打刻印をハンマーで打ちこんでいった。

 そこは、原始的なんだな。非常にアンバランスなテクノロジーレベルだ。


「はいどうぞ。冒険者の世界へようこそ。テツオさんは、鉄級冒険者から開始ですね。ルルエちゃんが一緒なら、説明なんかしなくていいですよね?」


 俺は無言で頷く。

 そのあたりのことは、事前にルルエから聞いてある。

 冒険者のランクは全部て6つ。鉄級、銅級、銀級、金級、魔銀級、神鋼級。

 ルルエは銀級だ。実はけっこう実績を積んでいるらしい。侮りがたし、ムチムチプリンちゃん。アンデッド討伐で、あの謎ダンスを踊っているのだろうか。胸の冷却ファンが回りそうだぜ。

 各階級の人数は、綺麗なピラミッド型だ。ほとんとの冒険者は鉄か銅。地道に実績を積み上げるか、大きな成果をあげない限り銀から上にはいけない。

 そして、神鋼級は現状ただ一人。冒険者ギルドを統括するグランドマスターのみ。とはいえ、名誉階級のようなものなので、実力は関係ない。そういう意味で言うと、神鋼級の冒険者はいない、ということになる。

 金級で一流。魔銀級になれるのは、さらに上の超一流。神鋼級など、雲の上すぎて成層圏だ。ただ一応、指針はあるらしく「パーティもしくは単独でドラゴン討伐」らしい。


 ドラゴンいるんだな、この世界。会ってみてえ。

 つっても、挑む気はまるでないが。

 ゲーム中でも50人レイドでなんとかなる、という強さだった。当然、死屍累々の果てにだ。そんなん、どうやって一人で倒せっちゅうねん。


「さっそくで悪いんだけど、お仕事受けてくれない?」


 フォスティーヌはそんなことを言った。


「内容によりますけど」


 ルルエが応じる。

 この辺のやりとりはルルエに任せている。何も知らない俺が口を開く必要もないだろう。


「実は、熊が出たのよね」


「熊? でもそれぐらいなら……」


「村の人が二人怪我してね。腕っぷしのある木こりがまるで敵わなかったらしいから、それなりの個体だと思うのよ」


 熊の一匹ぐらいなら、さくっと殺れそうだが。


「テツオさんなら、たぶん瞬殺ですけど」


 フォスティーヌは首を横に振る。


「そうじゃやないの。ちょうどこの村に配達依頼で来ていた銅級冒険者のパーティに討伐依頼を出したの。それでね、その子たちなんだけど……」


「まさか、戻ってないんですか?」


 ルルエの言葉に、フォスティーヌは頷いた。


「そのパーティ、スカウトがいるのよ。熊を見つけられない、なんてことはないはず。でも、24時間経ってるのよね」


「……厳しいですね」


 ルルエが深刻な表情を浮かべる。


 たまねぎ冒険者の俺でも分かる。

 はっきり言って、絶望的だ。


 フォスティーヌはしばし思索を巡らせ、


「……もしかしたら、熊だけじゃないのかもしれない。銅級なら素人ってわけじゃないし。熊の一匹ぐらいで全滅するとは思えないのよ」


 なんか怪しげな雲行きになってきたなあ。

 ちらっとルルエを見る。

 同じタイミングで、ルルエもこちらを向いた。


「テツオさん、この依頼受けますよ」


 どうやら彼女の中では決定事項らしい。

 受けていいですか? と聞いてこないのがルルエらしい。

 意外とこの子、前のめりなんだよな。


 俺は笑って応じる。


「もちろんだ。ドラゴンでも出てこない限り、きっちりお前を守ってやる」


 なぜかルルエが頬を赤くして顔をそらした。

 ドラゴン出てきたら守らないからねって意味に取られたのかな?

 ちょっと失敗したかも。


「きゃ~!」


 いきなり黄色い声が聞こえてきた。


「素敵~! やっぱ、ザンの人って、男前よねえぇ!!」


 フォスティーヌだった。

 目をうるうるさせて、腰を左右にくねくね動かしている。


 そんなフォスティーヌを見て、ルルエが苦笑いを浮かべて俺にささやく。


「フォス姉さん、昔お父さんに助けられたことがあって……」


「理解した」


 でかくて硬い男前に弱い、と。

 俺が、男前なのか……?

 人の好みは色々あるんだな。


 かくして、俺たちは行方不明のパーティ捜索という依頼を受けたのだった。

 もちろん、ついでに熊をコロコロするつもりだ。

 懸念事項は、倒すべき相手が熊だけじゃなかった場合だが――今ここで考えてもしょうがない。

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