面喰いアプリ

藤 夏燦

……

(こんな顔で生まれたくなんてなかった)




 寝ながらスマホを見て、田無綾(たなしあや)は思った。


 頬がぽっくりと膨れていて、目じりが少し下がった変な目をしている。流行りのメイクは似合わないし、前髪を下ろしてみても、丸顔を隠しきれなくて膨れた面みたいだ。




(もういやだ……)




 ネットでいくつも動画を漁っても、自分に似合う髪型もメイクも見つからない。




(橘花レイちゃんみたいになれたらなあ)




 綾はスマホを見ながらそう思った。橘花レイはSNSを中心に活躍するモデルで、小顔に整った顔立ちと綾とは正反対の見た目をしている。


 レイの動画をよく見ているが、結局なんの参考にもならない。綾は枕に顔を伏せると、やってられなくなってスマホの画面を消した。


 真っ黒になった画面に綾の顔が反射する。ナメクジのような大きな唇が白い鼻のしたのっぺりと寝ている。




(生まれ変わりたい……)




 綾は今年で高校生になった。友達もそれなりにいるし、外では明るく振舞っている。顔面についてボケるとみんな笑ってくれるので、調子にのってボケ続けている。傍からみれば、とても幸せに見えるかもしれない。


でもそれは、綾が15年間生きてきた中で身に着けた彼女なりの振舞い方だった。みんなの中で居場所を作るために、自分の顔に相応しい役を演じているだけだ。




(私みたいな顔は、主人公にもヒロインにもなれない。だけどもしも願いが叶うなら、生まれ変わって主人公に相応しい顔になりたい)




 憎たらしい両頬をつねりながら、綾は天井を見上げた。明日も学校だから早く寝よう。




☆☆☆




 陸上部の綾の朝は早い。


 いつも通る駅前にはハトが寒そうに体を寄せ合っている。一見、同じような顔に見えるけどよく見るとハトにも個性がある。


 目の下に白い斑があったり、黒い羽が多かったり、ハトの世界にも美女やイケメンがいるのだろう。




(はあ……)




 綾はまた嫌になって、ため息をついた。すると後ろから高くよく通る声が彼女を呼んだ。




「あやちゃん! おはよう!」


「あっ、おはよう、まなみちゃん!」




 真田まなみ。綾のクラスメイトで、バスケ部だ。




「今日も朝練?」


「うん。そっちも?」


「そう。お互い頑張ろうね」




 まなみとは同じ駅なのでよく会う。でも学校ではもっと仲良い子たちがいるし、休みの日や放課後に遊ぶ仲でもない。だからお互いに友達同士程度な認識である。




「うん、頑張ろう。てかすごく寒いね」




 両手をさすりながら綾が言った。実はまなみに対して、綾は憧れの感情を抱いている。




(まなみちゃん、今日も顔が良い……!)




 まなみは女の綾からみても、とても綺麗な顔立ちをしていた。すっと通った鼻筋に、笑うと可愛い頬。美少女と呼ぶに相応しい透明感と存在感を兼ね備えている。




「うん、寒いね。ちょっと近づいてもいいかな?」


「えっ? うん、いいけど」


(まなみちゃん! 顔が近いよ!)




 綾は動揺しながらもまなみと体をすり合わせた。そのまま二人で電車に乗って、学校まで行く。車窓に薄っすらと綾とまなみと姿が映る。並んでみると顔立ちも体型も全く敵わない。


 途中の駅で同じ学校の男子二人が乗ってきた。一人は見慣れた顔の男子で、小学生からの付き合いである本島春樹(もとじまはるき)だ。




「あれ? 田無綾じゃん」


「おっ、春樹。おはよう」




 春樹は寝ぐせがかった短髪に、背の高い男子だった。綾の頭がちょうど春樹の肩あたりにある。ただ少し猫背で、身長が高い割には堂々としているという感じではなかった。




「朝練か?」


「うん。春樹も?」


「ああ。田無綾のくせに寝ぐせしっかり直してきてるじゃん」


「どういう意味よ」




 綾と春樹がそう話していると、他の男子ふたりが春樹に声をかけた。




「なんだ春樹、知り合いか?」


「うん。小学生からの腐れ縁だよ」


「へー、そっちも子も?」




 春樹の友達はまなみに目をむける。




「いや、あの子は知らない」




 二人の会話を聞いたまなみが春樹と友達に自己紹介をした。




「1組の真田まなみです」


「俺は山田かける。こっちは本島春樹」


「よろしくね」


「よろしく。確か女バスだよね?」


「うん。よく知っているね」


「俺たち、男バスだから」


「そうなんだ」




 春樹の友達のかけるはすぐにまなみと打ち解けようとした。綾には話しかけてこない。




(また、まなみちゃんばっかり……。春樹もあんなに鼻の下伸ばしちゃって)




 綾はまた自分の顔が嫌になった。正直、まなみと自分では顔面偏差値に格差がありすぎる。




「真田さん。このまま朝練いこうよ」




 学校に着くとかけるがそう言った。綾はグラウンドなので校門で別れることになる。




「うん。じゃあ、あやちゃんまた教室でね」


「うん、じゃあね」




 トボトボと一人で歩き出した綾は、なんだか惨めな気持ちになった。こんな顔じゃなければ、私だって人気者になれるんだ。




(春樹だって……)




 綾は胸に秘めた思いを仕舞いこんだ。小学生のころからずっと春樹のことが好きだった。




☆☆☆




 自分の顔に相応しい役を見つけるまで、綾は引っ込み思案な少女だった。心無い男子たちから「ブス」なんて影口も叩かれたりした。


 そんなとき、春樹だけが普通に話しかけてくれた。


 虐めてくる男子たちにも、




「おい、女子にあまりそんなこと言うなよ」




と言ってくれた。


 綾は気づいたら春樹のことばかり考えていた。そうして頑張って勉強し、春樹と同じ高校に入ったのだ。




(春樹は優しいけど、私を恋愛対象とはみてくれない)




 綾は高校になってからずっと、そんな悩みを抱えていた。そしてそれは自分の顔に原因があるのだと思っていた。




☆☆☆




 放課後、部活が終わると綾はよく屋上へ行く。「演じている」自分を捨ててリラックスできる唯一の場所だからだ。


 夕日が沈んで紫色になった校庭には、もう生徒はほとんど残っていない。




「はあ、今日も練習疲れたなー」




 下にいる生徒たちの声が遠くから聞こえる。フェンスに持たれながら何となく下を見てみると、春樹とまなみがグラウンド前の道を二人で歩いている。




(え?)




 同じバスケ部だから一緒だったのだろう。何か話しているが、よく聞こえない。しかしその春樹の表情が普段綾には見せない緊張した顔であることが分かる。


 頬は赤くなり、目が泳いでいる。まるで恋をしたかのような顔だ。




「春樹……」




 綾は絶望し、二人から目を背けた。そうして大きくため息をついて、空を見上げた。




(もう、死んじゃおっかな……)




 フェンスを昇って屋上から身を投げれば、楽になれる気がした。家族も、友達も、春樹も、本当の私を知らない。


 こんな顔はもう嫌だってことを。




(一度でいいから神様、私の顔を変えてください)




 結局、綾は飛び込む勇気が出ず、綺麗な宵の空に祈ることしかできなかった。




☆☆☆




(『面喰いアプリ』?)




 その夜、綾がスマホを眺めていると画面に知らないアプリがあるのに気づいた。黒い顔が笑ったようなアイコンだ。




「なんだろう、これ?」




 不気味な雰囲気のアプリだったが、好奇心から綾はタップしてみた。すると画面上に見たこともないフォントで説明書きが現れる。




『理想の相手の顔を奪い、あなたの顔に与えます。まずは奪いたい相手と二人だけで写っている画像をアップロードしてください』




 顔を奪う。恐ろしい表現だった。(まさかね……)と思いながらも、綾は画像一覧を開き、前にお昼休みの時に撮ったまなみとのツーショット写真を選ぶ。




(こんなバカなアプリに騙されるわけないけど、どうせ私なんてブスだし)




 アプリ上にはまなみの顔に四角い枠ができ、下に『顔を奪う』と出てきた。




(あほらしい)




 そう思いながら綾が『顔を奪う』をタップすると、写真の中のまなみの顔が黒くなって消えた。




「きゃっ」




 怖くなって思わずスマホを離してしまった。綾は気になって鏡を見てみたが、大嫌いな自分の顔があるだけだ。




「なんだ。残念」




 そう言いながら、その日は眠った。




☆☆☆




 しかし翌朝になって、信じられないことが起こった。顔を洗って洗面所で自分の顔をみてみると、そこにはいつもの綾の顔がない。


 代わりにまなみの顔になっている。




「うそ、でしょ……」




 体形や髪型はかわっていないので、顔だけが入れ替わっている。




「どうしよう……」




 驚いていると、お母さんが現れた。娘の顔が急に変わっていたら腰を抜かしそうだ。しかし、




「あら、綾。今日は早いのね」




と何事もなかったかのように言われた。




「うん、お、おはよう。私の顔、へんじゃない?」


「え、いつもどおりの可愛い顔よ」




 お母さんが不思議そうに綾を見つめる。




(どうなっちゃったんだろう)




 綾はそう思いながら、学校にでかけた。朝練でも、クラスでも誰も顔が変わったことにつっこんでこない。まるではじめから「この顔」だったかのような扱いだ。




「今日は真田さんが欠席です」




 先生にそう言われて、はじめて綾はまなみのことが気になった。




(私がまなみちゃんの顔になったってことは、まなみちゃんはもしかして私の顔になっているのかな……)




 そう思いながらも、綾はまなみに連絡しなかった。今朝から明らかに周りの視線が違うのだ。美少女になると、ここまでみんなの扱いが違うだなんて。


 部活の前に春樹のところにも行ったが、今までと目線が前線違う。




「よっ、春樹!」


「よ、よう。田無綾」


「どうしたのよ?」


「な、なんでもねーよ」




 照れているのだろうか。今までは同性を見るような扱いだった。それがここまで変わるとは。




「きょ、今日の放課後、暇か?」


「なんでよ?」


「よ、よかったら一緒に帰れないかなって?」


「うーん。まあいいけど」


「お、おっけ、じゃあ」




 春樹の動揺した態度、周りの男子たちの羨望の視線。美少女になるということはここまで気持ちいいものなのか。




(田無綾、完全復活よ!)




 綾はそのまましばらくまなみのことを忘れて、学校生活を満喫した。




☆☆☆




 それから一週間がたっても、まなみは学校を休み続けていた。




(まなみちゃん、大丈夫かな。私の顔と入れ替わったのが、ショックだったのかな。でもそれはそれでなんか嫌だな)




 綾はそう思った。もう自分のもともとの顔すら忘れ始めている。この「真田まなみ」の顔が本当の顔だったかのようだ。


 スマホの中の写真も、卒業アルバムも、小さい時の写真もみんなまなみの顔になっている。




(この顔が私なんだ。不細工なまなみちゃんが学校を休んでいるなんて私には関係ない)




 綾はそう肯定して、学校に通い続けた。


 お昼休みに何気なくネットニュースを見ていると、『橘花レイ、自殺か』のニュースが飛び込んできた。モデルの橘花レイが今朝、自室で首を吊って亡くなったというのだ。




(えっ、うそでしょ。せっかくマネできる顔を手に入れたのに、残念)




 綾はレイの着こなしやメイクをまなみの顔で真似ようと、レイの動画の更新を待っていた。だから亡くなったことはショックだし、残念に思った。


 悲しみにくれてスマホを置くと、同じクラスの友達2人が話しかけてきた。2人はまなみのことを心配しているようだ。




「まなみちゃん、全然学校にこないね」


「あー、そうだね」


「なんかシホたちが家まで行ったんだけど、部屋から出てこないらしいよ」


「そうなんだ。心配だね」




 綾とまなみの顔がお互いに入れ替わったことを知っているのは本人たちだけだ。




「それよりさ、橘花レイちゃんが……」




 綾はそう言って話題を変えようとした。まなみに対しての申し訳ない気持ちと優越感が心のなかで葛藤する。




(やっぱりこんなことって、悪いことだよね)




 今日、家に帰ったら顔をもとに戻そう。そう思ったときだった。




「あっ、まなみちゃん!」




 驚いたような声を歓声が、お昼休みの教室に響いた。




「みんな心配かけてごめんね」




 綾がそう言って謝るまなみの方に顔を向ける。しかしそこには、まなみの顔でも綾の顔でもない全くの別人の美少女が立っていた。




(え? 誰?)




 綾が心でそう呟くと、まなみは綾と目を合わせて小さく口角をあげた。




(橘花レイ……)




 まなみの顔は見覚えが美少女の顔になっていた。それは綾がずっと憧れ続けていたモデルの橘花レイの顔だった。




(どういうことなの?)


「みんなごめんね。すごく体調がわるくて……。でももう大丈夫、私完全復活したから!」




 明るく振舞うまなみ。その顔はもともとまなみが持っていた顔よりもはるかに良くなっていた。男子の視線もまなみに注がれる。




(もしかして……!)




 綾はスマホを開き、画像フォルダに保存した橘花レイの写真を確認した。間違いない、あのカリスマモデルの顔が綾がずっと嫌い続けた「あの顔」になっている。




(顔を入れ替えたんだ)




 おそらくまなみは橘花レイのイベントに参加してツーショット写真を撮り、『面喰いアプリ』で顔を入れ替えたのだろう。橘花レイは不幸なことに商売道具でもあるその美貌を失ったことにより自殺した。


 まなみは綾の席までくると、顔を近づけて手を握り、




「あやちゃん、私完全復活したから、これからもよろしくね」




と言った。




「う、うん……」




 綾は絶望した。まなみが自分を絶対に許さないような目つきをしていたからだ。




(橘花レイが亡くなった以上、私のもとの顔と入れ替えることはできない)




 さらに放課後、一緒に帰った春樹が綾に言った一言が、もっと綾を追い込んでいった。




「俺さ、橘花レイの顔好きだったんだけどな。全然、可愛くないってみんなに言われるんだけど、頬がぷっくらしてて、近くにいたら絶対に好きになってるタイプだわ」




 綾はそのとき、全身の力が抜けて、歩くこともできなくなった。




(私の本当の顔はもう二度と戻ってこない。私の私らしさはもう、どこにもない)




 綾はまた、自分の顔が嫌いになっていた。

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面喰いアプリ 藤 夏燦 @FujiKazan

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