第44話


 長かった夏休みが明けて初めての登校日。

 皆がどんよりとした表情で長期休みとの別れを惜しんでいる中、なつめはずっとソワソワしていた。


 登校時刻5分前にようやくピンク髪の彼女が現れて、慌てて駆け寄る。

 スカートのポケットには新曲の歌詞が綴られた紙も入っているため、早く見せたくて仕方ないのだ。


 「雅、どうだった?」

 「え……」

 「電話、したんでしょ?」


 興奮するこちらに対して、リアはどこか暗い雰囲気を纏っていた。


 「日曜にカフェで一回会ったよ」

 「すごい……何話したの?」

 「それは……」


 どこか歯切れが悪く、よく見れば顔色もあまり良くない。

 初めて見る表情に、どうしようもない違和感を覚えてしまう。


 それから直ぐに担任教師が教室に現れたため、モヤモヤが解消されることはなく話は途切れてしまった。



 



 9月に入れば真夏ほどの暑さはなくなってしまうため、ポニーテールを卒業して髪の毛を降ろしていた。


 食事中に邪魔にならないように耳に掛けながら、ちらりと彼女の姿を盗み見る。

 やはり元気がなくて、いつもと様子が違うのだ。


 二人きりの空き教室にて、どう切り出そうかと悩んでいれば、彼女の方からとんでもない言葉が溢れ落とされる。


 「……断ろうと思う、あの話」

 「…え?」


 あんなに喜んでいたのに、一体どんな心境の変化があったのか。

 訳が分からずに、混乱する頭で必死に理解しようと努力をする。


 「どうして…?」

 「あんまり良い話じゃなかったから」

 「けど、妹の話では悪い事務所じゃないって……」

 「……けど、いいの」

 「何か変な誘いとかされたの…?」

 「そうじゃない」

 「じゃあなんでよ」


 しつこく尋ねれば、彼女が握り締める拳が僅かに震えていることに気づいた。

 グッと感情を抑え込んで、悔しそうにキツく眉根を寄せている。


 「……作詞は他の人に頼むつもりだって言ってたから……だったらやらないって言った」


 サプライズで見せようとポケットに忍ばせていた、新しい歌詞が綴られたルーズリーフ。


 見せなくて良かったと思ってしまうのは、取り乱さずに済んだからだろう。


 彼らが認めたのは、リアの歌声と作曲で、なつめの歌詞はダメだったのだ。


 天才肌で芸術的センスを兼ね備えた、人を惹きつける才能のある彼女に、なつめの実力は追いつけていなかった。


 素人の女子高生ではなくて、天才に相応しい実力のプロに任せるつもりなのだろう。


 一度大きく深呼吸をしてから、そっと声を漏らす。


 「勿体無いよ、受けた方がいい」


 信じられないと言わんばかりに、リアは目を見開いていた。

 直視することが出来ずに逸らしてしまうのは、これがなつめの本心ではないからだろう。


 「何言ってるの?…歌詞はなつめちゃんじゃない人が描くんだよ?」

 「でも、またとないチャンスじゃん。絶対受けるべきだと思う」


 なつめが身を引けば、リアの夢は叶う。

 彼女の歌声が世に放たれて、多くの人を癒すのだ。


 それはなつめの夢でもあった。

 彼女の歌声が多くの人に届いて、大好きで堪らない声をみんなに知って欲しかった。


 そのための手段を、選ぶ余裕なんてあるはずがない。


 なつめの言葉を聞いて、彼女の瞳が悲しそうに揺れ始める。


 「なつめちゃんにとって…そんなものだったの?」

 「え……」

 「私にとって…一緒に作った歌は宝物なの。私が作曲して、それをなつめちゃんが作詞して…初めて作った曲はこれから先もなつめちゃんに聞いてほしいって思ってた」


 大きな彼女の瞳から、堪え切れずに涙が一筋零れ落ちる。

 美人は泣いていても綺麗だと思うほど、彼女の泣き顔は美しかった。


 「でも……なつめちゃんはそうじゃないの…?」


 今口を開けば余計なことを口走ってしまいそうで、必死に感情を抑え込む。


 1年間、彼女と共に歌を作ってきたのだ。

 本当は今すぐにでも、ポケットの中にある歌詞が綴られたルーズリーフを彼女に見せてしまいたい。


 だけど、今のなつめの実力では彼女のお荷物になってしまう。

 所詮は素人の子供が描いた歌詞よりも、プロに書いてもらったほうが良い曲が出来ることは確実なのだ。


 「……私は、雅の歌を沢山の人に知ってほしい」

 「……ッ」

 「本当に好きだから…独り占めせずにいろんな人に聞いてもらって…私と同じように癒されてほしいって思う」


 最初は一粒だったそれが、どんどん溢れ出して彼女の頬を濡らしていく。

 こんなに悲しそうに涙を流す姿なんて見たくなかった。


 「それじゃあもう、一緒にいられないじゃん…」

 「……しょうがないよ」 


 自分で言っておいて、泣きそうになっているなんて馬鹿みたいだ。


 それでも必死に堪えているのは、ここで泣いたら今までの言葉が全て無駄になってしまうから。


 胸がヒリヒリと痛んで、喉がキュッと締まるような痛みを感じる。


 辛そうに涙を流すリアを抱きしめてやりたいけれど、今のなつめは彼女を慰める権利すら持ち合わせていないのだ。

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