第39話


 密室のエレベーターが目的階に到着するのと同時に、心臓の音がさらに加速してしまう。


 カーペットが敷き詰められた床を彼女と歩きながら、どうしてこんなことになったのだろうかと考えていた。


 夕食はラーメンを食べて、そのまま新幹線に乗って東京へ帰る予定だったというのに。


 なつめの手を引いて、彼女が連れて来た場所はホテルだったのだ。


 チェックイン時には『予約していた雅です』とフロントスタッフに声を掛けていため、まさか最初からそういうつもりだったのだろうか。


 「ねえ雅……」

 「どしたの」

 「ほ、本当に泊まるの…?」

 「そう言ってるじゃん。部屋も取ってるのに……いまから東京帰るの?」


 ルームキーを見せつけられて、何も言えなくなってしまう。 

 部屋に入ればベッドが二つ並べられていて、緊張で一気に心臓の音が速くなっていた。


 ジワジワと頬が赤らみ始め、どこに座ればいいのか分からずに入り口で立ち尽くしてしまう。


 「先風呂入って来なよ」

 「え、でも……」


 言葉を詰まらせるなつめを見て、リアが怪訝な顔をする。

 ヒールを履いているせいでいつもより高いところから見下ろされて、必然的に上目遣いになりながら彼女に尋ねた。


 「さ、最初からそういうつもりだったの……?」

 「は……?」

 「え、えっちな事するつもりだったのかなって……」


 段々と声のボリュームが小さくなって、最後の方は殆ど音になっていなかった。

 声を聞き取ろうと、彼女がなつめの口元に顔を寄せてくる。


 その近さにドキドキしていれば、リアは一瞬考え込むように額を抑えた後、我慢が出来ないように爆笑し始めてしまった。


 ムードのかけらもない雰囲気に、戸惑いながら彼女を見つめる。


 「んなわけないじゃん!せっかく来たんだから友達と泊まって行けって、お父さんがここ予約してくれたの」


 全て自分の勘違いだったとわかって、みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。

 あまりの羞恥心に、じんわりと涙の膜まで貼り始めてしまっていた。


 「……さ、最初に言ってよ!」

 「普通わかるじゃん」

 「分かんないよ……」


 拗ねるように顔を背ければ、優しく頭を撫でられる。

 あやすようなその手つきに、キュンと胸を高鳴らせていた。


 「これ下着。さっき、コンビニで買っておいたから」


 他にも化粧水や乳液、ボディクリームなどのトラベルセットも購入したそうで、一色渡される。

 

 ずしりとした重みを感じでいれば、リアはまたこちらを揶揄う言葉を吐いてくるのだ。


 「なつめちゃんがそういうつもりならシてもいいけど」

 「……するわけないじゃん、バカ」


 スタスタとバスルームに入って、勢いよく扉を閉める。

 両手で頬を覆ってから、耐えられずにその場にへたり込んでしまっていた。


 「……余計なこと言わなきゃ良かった」


 シャワーを頭から被りながら、必死に頭を冷やす。


 そういうことをするかもしれないと分かっていながら、付いてきてしまった。

 

 自分が酷く不誠実な女のようで、それがなによりも恥ずかしくて仕方ないのだ。


 頬の熱も引いて、僅かに冷静さも取り戻してきた頃にシャワーを止める。


 新品のショーツに着替えてから、仕方なく今日と同じブラをつけて浴衣を羽織った。


 バスローブやワンピースタイプの部屋着ではなく、簡易的な浴衣は着るのが難しいため中々上手く着付けができない。


 どこか不恰好な姿でバスルームを出れば、揶揄うのが好きな彼女が冷やかしの声をあげるのだ。


 「浴衣可愛い、写真撮っていい?」

 「あとで一緒に撮ろう。早く入って来て」

 「はーい」


 間延びした返事が可愛らしくて、自然と笑みが零れ落ちる。

 バスルームに彼女が入ったのを確認してから、母親に泊まる連絡を入れた。


 突然の外泊に怒られると思ったが、リアの名前を出せばあっさりと承諾されてしまう。


 娘に仲の良い子ができたのが相当嬉しい様で、「楽しんできてね」と弾んだ声で言われてしまった。


 備え付けられたドライヤーで髪を乾かすが、短いためあっという間に乾かし終える。


 手持ち無沙汰にベッドに横になっていれば、同じ浴衣を着たリアが髪の毛をタオルドライしながら現れた。


 「暑いー……」

 「早くドライヤーしなよ」

 「暑いから嫌…あ、なつめちゃんが乾かしてよ」

 「しょうがないなあ」


 手招きをすれば、リアがちょこんとベッドに腰掛ける。

 その素直さが従順な犬のようで、また可愛く感じてしまうのだ。


 ピンク色のロングヘアはサラサラだけど、ずっと触れていたくなってしまうのは、きっと手触りだけが理由ではない。


 「ブリーチしてるのに髪綺麗だね」

 「オイルとかミルク付けまくってるからね」

 

 ドライヤーで髪の毛を乾かしてあげながら、彼女の胸元がはだけてしまっていることに気づく。

 あわせが開いているせいで谷間が見えてしまっていて、慌てて目を逸らした。

 

 見てはいけないモノのようで、気を抜けば心臓が高鳴ってしまいそうだった。


 「……前、みっともないよ」

 「じゃあなつめちゃんが直してよ」


 くるりと体制を直して、彼女と正面から向き合う。

 手を伸ばして、恐る恐る浴衣の帯に触れる。


 結び方を変えるために一度解いてから、浴衣をキツめに手繰り寄せてキッチリと着付けていた。


 やり方が合っているかは分からないが、このままどんどんはだけてしまったら心臓が持つか分からない。


 ベッドの上で彼女の浴衣帯を解いているという状況に、心は平常心を保つのがやっとなのだ。


 「……私もなつめちゃんの帯解いていい?」

 「ダメに決まってるでしょ」

 「ケチ」

 「雅は何するか分かんないもん」


 ドライヤーのコードを巻いてから、部屋の電気を落とす。


 もう夜遅いため、眠りにつこうとベッドに横たわっていれば、何故かリアもなつめの隣に寝転がってきたのだ。


 隣にもう一つベッドがあるのだから、一緒に寝る意味が分からない。


 「ちょっと、そっちにベッドあるじゃん」

 「私一人じゃ眠れないし」

 「部屋にベッドあるくせに…ねえ、もう……」


 正面からギュッと抱きしめられて、諦めてされるがままになる。


 互いの息をする音さえ聞こえてしまいそうな近さで、優しく髪の毛を梳かれていた。


 「……今日、何があったの」


 暗闇で落とされた質問に、そっと口を開く。

 優しく涙を拭ってくれた彼女には、聞く権利があるし、なつめ自身話すべきだと思ったのだ。


 「……中学の時に虐められてた子に会ったの…偶然だったけど…初恋の子だったから、驚いた」


 手を握る力が無意識に強くなる。

 二人とも同じシャンプーを使ったせいで、お揃いの香りがすぐ近くでするのだ。


 その甘い香りに癒されながら、額を彼女の首筋に擦り付けていた。


 「ずっと忘れたくても忘れられなかったのに……雅と会って賑やかで、毎日騒がしかったから…気づけばどんどん考えなくなって、未練もなくなった」

 「そっか……」

 「雅のおかげだよ」


 お礼を言おうとすれば、さらに強い力で抱きしめられる。


 少し息苦しいけれど、それ以上に温かくて心地良いのだ。


 「私もなつめちゃんのおかげでもう一度歌おうと思った…なつめちゃんが、私を勇気づけてくれたから」


 目が合えば、自然と笑が溢れ落ちる。

 二人で顔を見合わせて笑いながら、つい甘えた声を出してしまうのだ。


 「ねえ、なにか歌ってよ」

 「何がいい?」

 「そうだなあ……」


 額にキスを落とされてから、彼女の口が繊細な音を紡ぎ出していく。


 愛おしい声色に癒されながら、次第に眠気に襲われていた。


 贅沢な子守唄だと思いながら、彼女の温かい腕の中で心地よい眠りについたのだ。

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