第38話
人生の大半を過ごした地元まで、新幹線で1時間ほどで帰れると言うのに、2年近く一度も戻っていなかった。
辛い記憶のある土地に戻ることが怖くて、ずっと逃げていたのかもしれない。
お気に入りのワンピースを着込んで、一人でかつて暮らしていた街を歩いていた。
一緒にここまで来たリアは夕方まで両親と一緒に過ごすため、それまでの間は一人で時間を潰さないといけないのだ。
当初はカフェでのんびりとする予定だったが、気づいたらこの街に足が進んでいた。
「懐かしいな……」
かつて通っていた小学校、中学校を見て回った後、行き先もなく足を進める。
小さい頃に足蹴なく通っていた駄菓子屋や、友人らと訪れていた河原。
どこもなつめが居た頃と何も変わっていなくて、堪らなく懐かしさが込み上げてくるのだ。
歩きやすいバレエシューズを履いて来て良かったと思いながら、一番の思い出が詰まった実家近くの公園に立ち寄る。
「……ッ」
ここによく、親友の明音瀬良と一緒に来ていた。
小学生の頃は遊具で一緒に遊んで、中学校に進学してからは部活帰りに買い食いをしてここでよく食べていた。
「……もう2年前か」
2年前。
なつめは初めて恋心を抱いた親友からいじめを受けていたのだ。
瀬良から恋の相談をされるたびに胸が痛んで、好きだった彼女から虐められるようになった時は、帰り道に泣きながらここへ逃げ込んでいた。
懐かしいけれど、不思議と胸は痛まない。
もう乗り越えて来たのだろうか…とベンチに座ってぼんやりと考えていた時だった。
「なつめ……?」
忘れるはずのない、好きで堪らなかったあの子の声で名前を呼ばれて、驚いて顔を上げる。
同じように目を見開いてこちらを凝視しているのは、私服姿の明音瀬良だった。
足元にはリードが付いたチワワの姿があって、中学生の頃、彼女の家に遊びに行った時は一緒にボールで遊んだこともあった。
おそらく散歩途中に偶然通り掛かったのだろう。
「びっくりした……東京に行ったんじゃ…」
「夏休みだから帰って来たの。日帰りだけど…」
「そっか……」
それ以上何も言葉が出てこなくて、気まずい沈黙が続く。
あれほどなつめに憎悪の目を向けていた彼女のことだから、すぐに立ち去るかと思っていた。
そもそも声を掛けてきたことすら予想外だったのだ。
「ずっと……なつめに言いたいことがあったの」
ようやく沈黙を引き裂いた瀬良の声は酷く震えていた。
リードの紐をギュッと握りながら、絞り出すように彼女が懺悔の言葉を口にする。
「ごめん……」
その言葉を聞いても、驚くほど心は揺れ動かなかった。
ただ淡々と脳内で処理をして、言葉の意味だけを理解する。
言葉を貰うのが2年前のなつめであれば、また違う感情を抱いたのだろうか。
「ごめん…なつめを虐めたこと本当に後悔してて…また、前みたいに戻れない…?」
時間の経過と共に嫌悪感を忘れたのか。
覚えているのは、虐めた罪悪感だけ。
後悔するくらいなら虐めなければ良かったのにと冷静に考えられるくらいには、彼女の言葉はなつめの心に何も響いていなかった。
「……もう、いいの」
ホッとしたような表情を浮かべる彼女を見て、言葉が足りなかったとすぐに後悔する。
今度はハッキリと、誤魔化すことなく自分の本音をぶつけた。
「……もう、瀬良のこと全く思い出さないの。昔は瀬良の写真見返すだけで胸が苦しかったけど……今はもう、なんとも思わない。仲直りしたいとも、会いたいなとも…何も思わない」
傷ついたような顔をする瀬良に、畳みかけるように言葉を続けた。
彼女を傷つけたいのでも、仕返しがしたいのでもなくて、これがなつめの本音なのだ。
「……私たちの人生が交わったのは一瞬で…もう、2度と交わることもないと思う。私は瀬良のいない今の生活がすごく楽しくて…今が幸せなんだ」
ベンチから立ち上がって、最後に何か言おうと口を開く。
小学生の頃から約4年間片思いをしていた相手。
想いを告げるならきっと今が最後のチャンスだろうに、出てきた言葉は酷くありふれたものだった。
「……だから瀬良も瀬良で、幸せになってね」
背後からすすり泣く声が聞こえて来たが、振り返らずにグッと前を見据えて歩き続ける。
きっとこの恋心はとうの昔に廃れていて、それでも執着していたのは彼女にではなくて、過去の思い出。
初恋の淡い記憶に焦がれていたのであって、明音瀬良への恋心はずっと前に消失してしまっていたのだ。
気づけば無意識に歩みは速くなっており、息を乱しながらあの子との待ち合わせ場所に向かっていた。
早く会いたい一心で足を進めれば、待ち合わせ時刻の15分前だというのに待ちぼうける彼女を見つける。
堪らず想いが込み上げてきて、ピンク髪のあの子に背後から抱きついてしまっていた。
瞳からはとめどなく涙が溢れてきて、拭う余裕もないまま必死にリアを抱きしめる。
「なつめちゃん…?」
鼻を啜る音を聞いて、こちらが泣いていることは伝わっているようだった。
困惑しているだろうに、なつめが落ち着くように優しい声を掛けてくれる。
「雅……」
「どうしたの?何かあった?」
「……分かんない…けどなんか雅の顔見たらホッとして……」
待ち合わせ場所にいる彼女の顔を見て、堪らなく愛おしさが込み上げてきたのだ。
ぶわりと一気に流れ込んできた感情は、みるみるうちに心を温かくしていって、同時にようやく立ち切れたと思った。
ずっと逃げ続けた過去と向き合って、想いが全て断ち切れたような気がした。
これで胸を張って、前を向けるような気がしたのだ。
「……雅と出会えて本当に良かった」
リアと会ったから、本当の自分に戻れた。
ハリボテの王子をやめて、好きな自分でいられた。
ずっと前に腐っていた初恋の執着心を、未練なく捨て去ることが出来たのだ。
友情にしては度が過ぎているが、恋と呼ぶにはまだ確証がない。
何とも中途半端な感情だけど、彼女に対する愛おしさだけは本物なのだ。
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