第29話


 これからキスの練習をしていこうと、あの日リアは確かに言っていた。


 恋愛初心者で些細な触れ合いにも顔を赤らめてしまうなつめに合わせて、ゆっくりと階段を上がって行く約束をしてから、一ヶ月も経過しているのだ。


 にも関わらず、雅リアとはあれ以来一度もキスをしていないかった。


 もう季節は6月後半で、梅雨も終わりを迎えようとしているにも関わらず、練習はちっとも捗っていない。


 別にキスをしたいわけではないが、これから慣れていこうと言っておいて、一度もしてこないリアの心境がちっとも理解できない。


 パラパラとした雨音が響く放課後の教室にて、リアと共に勉強をする。


 2週間後に控えた期末試験に向けて、一緒に勉強しているのだが、先程から彼女はちっとも集中できてないようだった。


 「もうやだ!勉強したくない」

 「赤点取ったら夏休み中補習だよ?」

 「それはもっと嫌」

 「なら頑張って」


 期末試験は中間試験に比べて科目数も多いため、その分沢山勉強をしなければいけないのだ。


 すでにリアの集中力は切れてしまっているようで、つまらなさそうにシャープペンシルをノックして意味もなく芯を出していた。


 「遊ばないの。その赤丸で囲んだところさえやれば、赤点は取らないから」

 「それをやるのが大変なのに……」


 子供のように唇を尖らせる姿をまじまじと見入ってしまう。


 派手なピンク髪にぱっちりとした瞳。

 今日はマスカラは塗っていないようだが、それでも十分に長くて量がある。


 前から綺麗でタイプの顔をしているとは思っていたが、どうしてかいつにも増して彼女が可愛く見えていた。


 「今日化粧してる?」

 「してない。あ、眉毛とリップは毎日やってるけど」


 それは化粧に入んないからね、と何とも女の子らしい言葉を口にしている。


 化粧はいつもと変わらないというのに、何故昨日に増してリアが魅力的に見えるのかが分からなかった。


 「赤点取らなかったらご褒美ちょうだい」

 「いいよ、何が良いの?」

 「夏休みどっか行こ」


 そんなのご褒美としてでなくても、気軽に誘ってくれたら首を縦に振るというのに。


 しかし彼女のやる気を出すために、その言葉をグッと飲み込んでいた。


 「赤点取らなかったらね」


 参考書に視線を向けながら、どうか雅リアが赤点を取りませんようにと、なつめの方が祈ってしまう。


 雨音が鳴り響く室内で、彼女と過ごす夏に想いを馳せていた。




 真っ黒のタンクトップに、シースルー素材のロングカーディガン。

 幾つもスパンコールが縫い付けられた衣装は一見派手に見えるが、黒色なため上品さを醸し出していた。


 ファッションデザイン科3年生によるコンテストまでもう一ヶ月を切っているため、五十嵐眞帆作成の衣装も完成を目前としていた。


 被服室にて調整のために衣装に着替えているが、なつめから見ても彼女の作る服が魅力的だと思ってしまう。


 ハイウエストなパンツに、厚底のブーツを合わせた衣装は、確かに女性でも男性でも着られて、尚且つスタイルがとても良く見えるのだ。


 「春吹ちゃんのスタイルの良さ、目一杯強調できる服にしたくてさ……ここもうちょっと生地詰めようかな……?」


 一生懸命に調整をする彼女に対して、ずっと気になっていた言葉を口にする。


 「あれから、何かされたりしてませんか?」

 「基本的には言葉で言われるくらいだから、全然平気」

 「……辛くないんですか?」


 いじめを受ける辛さは身を持って知っている。

 自信を無くして、自分が全て悪いのだと思い込んで、誇りさえ捨ててしまいたくなる程の痛み。


 過去を思い出して、キュッと胸が締め付けられる。

 なつめが受けたいじめも、彼女と同じように言葉によるものだった。

 

 金品を取られたり、肉体的に暴力を振われたりはしなかったが、仲間外れにされて酷い言葉を掛けられるイジメは随分応えたのだ。


 SNSで悪口を書き込まれることも、気にしていないふりをしていても次第に心は蝕まれていった。


 自分の好きなものを手放してしまおうと思うくらいには、嫌な思いをしたのだ。


 「だって、私悪くないし」

 「……ッ」

 「バイト先の先輩とか、中学校の頃の友達とは普通に仲良いの。誰も悪口なんて言ってこないし、私もその子達が好き……ここは、私にとってたまたま相性が悪い場所だったんだと思う」


 制服のリボンを指先で摘みながら浮かべる笑みは、どこかカラッとして見えた。


 強がっているのではなく、それが彼女の真意なのだと目を見れば分かってしまう。


 「……私と相性の悪い子が多い環境だった。私に原因があるんじゃなくて、相性が悪いから上手くやっていけてないだけ……そう思うことにしたんだ」


 酷く達観した言葉に、なんて強い女性なのだろうと思う。

 いじめられて挫ける所か、それを跳ね返してしまうほどの強さを彼女は持っているのだ。


 「強いですね……」

 「春吹ちゃんのおかげだよ?春吹ちゃんが私は悪くないって言ってくれたから……やっとそんな風に思えるようになった」


 そっと手を取られて、優しい力でギュッと握り込まれる。


 なつめに比べて小さな彼女の手。

 この小柄な体で、一体どれ程辛い思いを受け止めてきたのだろう。


 「ありがとう、春吹ちゃん。やっぱり王子って言われるだけあって格好いいね」

 「私は、そんなに格好いい人間じゃない」

 「え……」


 戸惑ったような表情を見て、すぐに自分の発言を後悔する。

 お礼を言われたにも関わらず、なんとも返事に困る返答をしてしまったのだ。


 「すみません、変なこと言って……」

 「ううん…そうだ、出場するコンテストね、テーマは自由だから自分で決めなきゃいけなくてさ」


 ゴソゴソと鞄からノートを取り出して、こちらに見せてくれる。

 沢山の候補と思われる言葉が並ぶ中、「ここ」と指差しで教えてくれた。


 「あなたらしさ、にすることにしたんだ。春吹ちゃんが一番輝いて見える服にしたつもりだから」


 酷く満足気に笑みを浮かべる眞帆は可愛いというのに、それ以上にとても格好良く見えた。


 辛くても自分を曲げず、他人に何を言われても自分の好きを貫く眞帆と比べで、なつめはどうだろう。


 彼女の何気ない言葉が、ズシンと心に重く伸し掛かる。


 一生懸命可愛さを捨てて、側から見たら格好良いと言われる見た目になったつもりでいたけれど、結局は過去から逃げて楽な方へ身を任せているだけ。


 格好よくも可愛くも見えるこの衣装はとても素敵だというのに、一体どこがなつめらしいのか。


 魔法使いに格好良い衣装を作って貰って、舞台上でも多くの人々を騙す。


 こんなズルくて格好悪いハリボテの王子様を、一体いつまで演じなければいけないのだろうか。


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