第25話


 皆が大浴場へ移動する中で、なつめは一人部屋に備え付けられた風呂に入っていた。


 生理だと嘘をついて一人でゆったりとバスタイムを堪能してから、ドライヤーで髪を乾かす。


 「……何してるんだろ」


 自分の裸を見られることも、他の生徒の裸体を見ることも興味はない。


 ただ、雅リアには見られたくないと思った。

 彼女の何も纏っていない姿を見ることに、罪悪感のような何かを感じてしまったのだ。


 洗面所から畳の部屋に戻れば、室内には誰も戻って来ていなかった。

 夕飯も既に済ませているため、皆就寝までの自由時間を思い思いに楽しんでいるのだろう。


 就寝時の寝巻きは自由だったため、わざわざこのためにシンプルなTシャツと白色のラインが入った黒色ジャージを購入した。

 

 髪もショートカットなため、遠くから見れば男の子に見えるのかもしれない。この行事が終われば、もう2度と着ることもないのだろう。


 「あ……」


 窓を覗き込めば、あれほど土砂降りだった雨が止んでいた。

 ずっと室内に閉じ込められていたため、外の空気を吸おうと屋上へ向かう。


 途中で自動販売機を見つけて、何を買おうか悩んでしまっていた。


 「……どうしよう」


 もし万が一いちごフレッシュジュースを飲んでいる所を見られたら、王子様のイメージを損なってしまうかもしれない。


 結局いつも通りミネラルウォーターを購入して、一人で夜の屋上へやって来ていた。


 こんな山奥、本来だったら無数の星が輝いていただろうに、昼間の大雨のせいで何も見えない。


 真っ暗な暗闇がつまらなくて、部屋に戻ろうとした時だった。

 ずっと聴きたくて堪らなかった、繊細なあの子の歌声が鼓膜を震わせたのだ。


 「……ッ」


 隅っこにしゃがみ込んで、スマートフォンを弄っている彼女。

 夜でもピンク髪が目立つおかげで、すぐに見つけることが出来た。


 ゆっくりと彼女に近づいて、勇気を出してリアに声を掛ける。

 

 「雅……何してるの」

 「びっくりした…!別に、ちょっと歌いたくなったから一人になりたくて……」


 相変わらず、なつめ以外の人の前では歌おうとしないらしい。

 それに特別感を感じつつ、何と声を掛ければいいか迷ってしまっていた。


 うろうろと視線を彷徨わせてから、リアは気まずそうにその場から立ち去ろうとしてしまう。


 気づけば半ば無意識に、彼女の手を掴んでしまっていた。


 「待って」


 どう声を掛ければ伝わるのか。

 何と言えば、リアと以前のような関係に戻れるのか。


 彼女とすれ違っていた間寂しくて仕方なかった。

 一人で空き教室で過ごしていても、リアのことばかり考えていた。


 もうなつめは彼女なしでは生きていけないのだ。


 「…写真がないとダメなの…?」

 「え…」

 「脅しあってないと、私たちは一緒にいられない…?」


 彼女が喋る隙も与えずに、さらに言葉をぶつけてしまう。

 拗ねる子供のように、次々と寂しさを露にしてしまうのだ。


 「……なんで、避けるの」

 「それは…」

 「私のこと嫌いになったわけ」

 「…ッそんなわけないじゃん」


 食い気味に返されて、じんわりと胸が暖かくなる。

 焦ったような表情から、それがリアの本音であることはすぐに分かった。


 その場にへたり込んでから、観念したように彼女が本音を漏らし始める。


 「…引いたでしょ。勝手に盗撮して、それ宝物とか言ってるの」

 「ずっと意味が分からなかった…なんで私の写真が、雅にとっての宝物になるの」

 「……どうせ王子は覚えてないよ」


 ぽつり、ぽつりとリアが秘密を話し始める。

 彼女にとって大切で、ずっと宝箱に仕舞い込んでいた過去の思い出。


 紡ぎ出される言葉にじっと耳を傾けた。


 「中学3年生の時…王子は私の歌を褒めたんだよ」

 「え……私たち会ってたの?」


 こんなに綺麗な人と話していたとすれば、間違いなく記憶の片隅には残っていたはずだ。


 覚えてない記憶に戸惑っていれば、リアが懐かしむように笑みを溢した。


 「覚えてなくて当然だよ…木陰でこっそり歌ってたら、偶然通り掛かった王子が褒めてくれたの。誰だろう今の歌声、すごく上手だって…直接言われたわけじゃないけど、その言葉が聞こえてきた時本当に嬉しかった」


 よほど大切な思い出なのだろう。

 楽しさや喜びとはまた違う、幸せそうな笑みをしているのだ。


 「…前言ったでしょ?有名曲のカバー動画をネットに上げてたことがあるって。その時、一緒に年齢も公開してたから…結構誹謗中傷酷くて」

 「……ッ」

 「下手くそ、そんなに上手くないとか、子供が調子乗るなって酷かった」


 こんなに上手なのに、どこか自信がない理由。

 現在彼女が投稿している動画も、コメント欄は全て封鎖されているのだ。


 「初めて作曲した曲もさ、褒めてくれる人の方が多かった。けど…しつこく酷いコメントされるたびにいちいちショック受けて、動画全部消しちゃったの。あんなに歌うことが好きだったのに…歌うことが、怖くなった」 


 だから、あんなに不安げだったのだ。

 この子にとって歌は本当に大切で、宝物のような存在。


 それを過去に引っ張り出されて、めちゃくちゃに痛めつけられたから、守ろうと必死だった。


 「……だから余計に王子が褒めてくれたのが嬉しくて…試合中にスコアブックつけてる王子の写真、勝手に隠し撮りした…可愛かったから。その時は好きとかじゃなくて……ただ、大事な思い出だったの」


 決してふざけている訳ではない。

 リアにとってその出来事は本当に大切な思い出で、なつめの写真を見ることでその時の幸せな想いを込み上げさせていたのだ。


 可愛いという言葉に頬が赤らみ始めて、何と返せば良いか分からない。


 「……けど、3年生で王子が通ってた中学校は初戦敗退だったから…もう2度と会えなくて」

 「え……それって、3年生の中学総体初日の話……?」

 「そうだよ。本当に嬉しくて…大事な思い出だから、忘れるはずがない」


 雫を拭う間も無く、瞳から涙が零れ落ちていた。

 一つ、また一つと勝手にこぼれ落ちていくそれを必死に拭うが追いつかない。


 大事な思い出と言われて、キュッと胸が締め付けられたのだ。

 泣いているというのに、心は酷く暖かくて仕方ない。


 「王子!?なんで泣いてんの……」

 「……っ、嬉しくて」

 「隠し撮りされてたのが…?」

 「なんでそうなんの、バカ」


 悪態をつけば、嬉しそうにリアが笑みを浮かべる。

 またいつものペースに戻った気がして、なつめも釣られて笑ってしまう。


 あの子に酷い言葉を掛けられたのも、3年生最後の公式試合初日だった。

 初戦敗退をして、一度会場から学校に戻ったあの日。


 忘れ物を取りに教室に行った際、後から入ってきた親友に鋭いナイフを心に突き刺されたのだ。


 それからイジメが始まって、地獄が始まった日だと思っていたけれど、そうではなかった。


 なつめにとって地獄のような思い出の日が、リアにとってはかけがえの無い宝物のような日で。


 それだけで、過去の自分がどこか救われたような気がしたのだ。

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