第24話


 ポツポツと雨音が打ち付けられる音をBGMに、シャープペンシルを動かしながら目の前の課題と向き合う。


 宿泊予定の温泉旅館の大広間に集められた生徒一同は、ジャージ姿で勉強させられているのだ。


 林間教室当日。

 晴れであれば地獄の登山をする予定であったが、幸か不幸か土砂降りになってしまったため、こうして参考書と向き合う羽目になったのだ。


 あの登山を経験せずに済むなんて、過去の卒業生が聞いたら泣いて羨ましがるだろうと、部活に所属する生徒がポツリと呟いていた。


 「……山登りも嫌だけど勉強はもっと嫌なんですけど…」

 「そこ、喋らない!」

 「すみません……」


 夜ご飯は半合炊飯とカレー作りの予定だったが、土砂降りの雨なため勿論中止。

  

 夜は天体観測の予定だったが、この雨だとそれも無理だろう。


 虫が苦手なため、山に入るよりは勉強をしていた方がマシだと心の中でこっそりとつぶやく。


 「……えー、何もわかんない…」


 勉強が苦手な雅リアは苦戦しているようで、先ほどからちっともペンが進んでいない。


 宿泊班と同じメンバーが8人で1つの長机を囲んでいるため、自然と彼女の姿が視界に入ってくる。


 どれだけ注意されても相変わらず派手なピンク髪を貫いているようで、最近は教師陣も諦めた様子だった。


 「終わった順で自由時間だからな」

 「自由時間って何してもいいんですか?」

 「迷惑が掛からない範囲でなら」


 自由時間という言葉に、皆のやる気が俄然として上がったようだった。


 カリカリとペンを走らせる音が先程に比べて大きくなり、暫くすれば課題を終わらせた生徒が次々と現れ始める。


 1時間もすれば人の数はまばらになり始め、なつめの所属する班は、残りはリアを残すだけとなっていた。

 

 「……王子、勉強得意じゃん」

 「班長だから、皆んなが終わるの待つつもりだったの」


 それらしいことを口走りながら、本当は無理矢理リアと話がしたいだけだ。


 自由時間になっても友達がいないなつめはどうせ一人で過ごすのだからと、優等生のフリをして彼女の勉強を手伝う。


 教師陣も早く生徒のお守りから解放されたいのか、私語を話しても怒られなくなっていた。


 「どこが分からないの?」

 「……ここ」


 渡された数学の参考書に一度目を通してから、丁寧に説明をしていく。


 ルーズリーフに要点をまとめながら説明するなつめの言葉を、リアは熱心に聞いてくれていた。


 あの日、なつめが勝手に彼女のスマホを弄らなければ、こんなふうに勉強会を一緒にしていたのだろうか。


 リアは赤点を回避して、あの頃みたいに一緒にケーキを食べに行ったりしたのかもしれない。


 「王子、説明上手いね」


 また一緒にカラオケに行って、そこで彼女の歌を聴きたかった。

 大好きな雅リアの歌声を独り占めして、心酔してしまいたい。


 どうすれば良いのか。どうすれば、また前のように戻れるのか。


 「終わった……ありがと」


 課題を提出しようと立ち上がる、リアの腕を掴む。

 怪訝な顔をする彼女に声を掛けようとすれば、第三者の声によって遮られてしまった。


 「リア終わったの?待ってたんだよ」


 普段彼女と仲の良い女子生徒の声が聞こえて、パッと腕を離してしまう。


 友達の多い彼女に、なつめが声を掛けたら迷惑かもしれないと遠慮したのだ。


 「あれ、なんか話してる途中だった?」

 「……平気。行こう」


 ちらりとこちらを一瞥して、雅リアが大広間を後にしていく。

 結局勇気が出せないなつめは、この関係をどうすることも出来なかったのだ。






 部屋の隅で一人本を読みながら、こんなにも世界は静かだったろうかと顔を上げる。


 8人1組で利用する部屋にも関わらず、室内には誰もいない。なつめ以外の班員は、皆遊びに行ってしまったのだろう。


 夕飯までの間本を読んで過ごすことにしたのだが、雨音しか聞こえない静寂な世界がやけに寂しく感じた。


 立ち上がって窓の外を眺めれば、大粒の雨が地面に降り注いでいる。

 

 一人は慣れている。

 確かここ2年くらいはずっと一人だった。


 それで良かったはずなのだ。

 人から傷つけられるくらいなら、本当の自分を隠してしまった方がマシだと、2度と大切なものが傷つけられないように蓋をした。


 それを勝手にこじ開けて、ズカズカと踏み込んで。なつめの世界に突然現れたのがあの子だった。


 そんな彼女の優しさを十分過ぎるほど知ってしまったから、こんなにも寂しい。


 「寂しい……か」


 勝手に友情意識でも芽生えさせていたのだろうか。

 知られたら、きっと揶揄われるだろう。


 「……揶揄うも何も、喋ってくれないのに」


 これなら、揶揄われていたあの頃の方がよほどマシかもしれない。

 揶揄われて、手の上で転がされて、時折笑い合っていたあの頃が楽しかったからこそ、こんなにも彼女が恋しいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る