第23話
下駄箱までの道のりを歩く途中、見知った顔とすれ違って思わず足を止める。
緑色のリボンタイを付けた女子生徒3人組は、ついひと月ほど前までは、頻繁になつめの所属する教室にやって来ていた。
以前、モデルをしてくれと教室に押しかけて来たデザイン科の先輩達だったのだ。
なぜファッションデザイン科の彼女達が普通科棟にいるのかと不思議に思っていれば、届いてくる声にどうしようもない違和感を覚える。
「流石にやりすぎじゃない?」
「いやだってうざくない?なんで王子があの子のモデルやるわけ」
「どうせいつものぶりっ子で無理矢理丸め込んだんだよ」
「可哀想、王子」
酷く忌々しそうに吐き出される声は、間違いなく嫌悪感に満ち溢れていた。
自分にかけられた訳ではないと言うのに、ドクドクと心臓が嫌な音を立て始める。
彼女達がやって来た方向には、普通科生徒用の被服室があるのだ。
「……ッ」
本来はファッションデザイン科と調理科、スポーツ科の生徒は普通科とは別の棟で生活をしている。
そのためコンテストの衣装制作は別棟の校舎にて行われているが、以前五十嵐眞帆は普通科の被服室を使わせて貰っていると言っていた。
ファッションデザイン科の被服室は人が沢山いて集中出来ないから、と。
あまりにも彼女がさらりと言ってのけるから、あの時はなんの違和感も覚えなかったのだ。
恐る恐る被服室の扉を除けば、室内にて呆然と立ち尽くす眞帆の姿があった。
「五十嵐先輩…?」
背後から名前を呼ばれて、眞帆は振り向き様に一冊のスケッチブックを背後に隠していた。
いつもと同じ明るい笑みだと言うのに、その笑顔の裏に何かが隠されていることを知ってしまった。
「春吹ちゃん!どうしたの?」
目には深い悲しみの色が広がっていて、周囲を心配させないように無理して笑みを浮かべる。
自分の心にすら気付かぬふりをして、傷ついていないふりをした悲しい笑みだ。
彼女のすぐ前の椅子に腰をかけて、そっと手を伸ばした。
「スケッチブック見せてください」
ゆっくりと、眞帆が首を横に振る。
過去に経験があるため、彼女の気持ちが痛いほどわかる。
いじめられていることを必死に隠そうとして、周囲の人に相談できない。
本当は辛くて仕方ないのに、心配を掛けないように明るく振る舞って、そして一人の時に涙を流すのだ。
「私がなんで先輩の作った服を着ようと思ったか分かりますか?」
「え……」
「嬉しかったから。王子だからっていう色眼鏡なしに私を見てくれて…本当に服作りが好きな先輩の作る服を着てみたくなったんです」
下唇を噛み締めた彼女の瞳が、ゆらゆらと揺れていた。
肩を震わせて、悲しそうにスケッチブックを差し出してくる。
「……酷い」
彼女の想いが詰まったスケッチブックは、殆どのページが黒い油性ペンで落書きされていた。
必死に考えたであろう彼女の洋服達は、落書きのせいで見ることが出来ない。
所々バカにするような言葉が書き殴られていて、怒りと悔しさが込み上げてくる。
「春吹ちゃんに着てもらう予定のデザインは、コピーしてあるから大丈夫なんだけど…後はもう、落書きで殆ど見れない」
酷くショックだろうに、眞帆はそこまで取り乱していなかった。
こういう経験がきっと初めてではないのだ。
傷つけられて、傷つけられ過ぎるあまり心が麻痺して痛みに疎くなっていく。
本来は慣れる必要のない痛みにも関わらず。
「……言ってなかったんだけど…私ね、ぶりっ子って言われて嫌われてるの。一年生の頃、同じクラスの子の彼氏がここの文化祭に来て…その時、教室を聞かれて案内したんだ」
少しずつ打ち明けてくれる彼女の声が、どんどんか細いものになっていく。
悲しさと悔しさで、本当は今にも泣き出してしまいたいのではないだろうか。
「その人が私のこと好きになったらしくて、それからはもう最悪。人の男とったビッチとか、ぶりっ子とか…散々悪口言われてきた」
「先生に相談は…?」
「私の学科ひとクラスしかないから逃げ場ないの。主犯が結構目立つタイプの子だから、先生もその子に媚びててうんざりする」
まだ彼女と知り合ってそこまで日が経つわけではないけれど、五十嵐眞帆が決して悪い人ではないことは、会話をするにつれて痛いほど伝わって来た。
服作りが大好きで、きちんと人と向き合う優しい女性。
そんな彼女が理不尽な理由で傷つけられていることが許せなかった。
過去の自分と似た理由で酷い目に遭っている眞帆を見捨てたくないのだ。
「春吹ちゃんは何かされたりしてない?私のモデル勤めることになったせいで…」
「……平気です」
「もし酷いことされたらさ、その……私のせいだし。出場用紙、今からでも取り消しても……」
落書きまみれのスケッチブックを机の上に置いて、椅子から立ち上がる。
真っ直ぐと前を見据えながら、彼女に力強い声で想いを伝えた。
「……見返してやりましょう。先輩と私で優勝して、いじめてきた奴ら見返してやりましょうよ」
「春吹ちゃん……」
「……先輩は何も悪くないんです…だから、堂々としてればいい。他のやつの言うことなんか、何も気にせずに…」
それ以上先を言えなかったのは、一体どの口が言うのだろうと冷静になったからだ。
怒りで感情的になっていたが、そもそもなつめが彼女を励ます権利があるのだろうか。
人の言うことを気にして、人からの目に怯えて。
偽りの王子を演じ続けているなつめが言っても、何も説得力がないというのに。
ハリボテの王子からの言葉を、眞帆は酷く嬉しそうに受け取るのだ。
「……ありがとう」
キラキラと希望の色が宿り始めた彼女の瞳から逃れるように、気づけば被服室を後にしていた。
数歩歩いただけで、一人廊下の片隅に蹲ってしまう。
込み上げてくる何かを必死に押さえ込もうとしても、今にも溢れ出してしまいそうになる。
「……ッ」
かつての自分を、彼女に重ねていた。
あの時、苦しんで仕方なかったとき、言われたくて仕方なかった言葉を、そのまま彼女に渡したのだ。
偽りの王子を演じて、自分から逃げ続けた。
だけど、感情的になって無意識に眞帆に渡した言葉。
あれが本心なのだとすれば、いったいどうしてなつめはこんな姿で本当の自分を仕舞い込み続けているのだろう。
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