第20話


 マンションの廊下に居座ることは他の住人の迷惑になると分かっているのに、既に10分近く立ち往生してしまっている。


 彼女の叔母が経営するケーキ屋と同じ建物内のマンションにて、雅リアは暮らしているためここまでは迷わずに来ることができた。


 部屋番号も事前に聞かされていたため、後はインターホンのボタンを押すだけだというのに。


 「……帰ろうかな」


 ひらひらと風に揺れるワンピースの裾が視界に入って、大きなため息が溢れる。


 リアであればなつめの過去を知っているのだから問題ないと思ってこの格好で着たけれど、あの子のことだからどんな反応をするか分からない。


 また写真でも撮って、事あるごとに揶揄ってくるのではないかと不安になったのだ。


 どうするべきか頭を悩ませていれば、玄関扉がガチャリと開いて、中から目当ての彼女が顔を出した。


 「わ、びっくりした…て、王子……?」


 つま先からてっぺんまで視線を向けられて落ち着かない。


 「なかなか来ないから迷ってるのかなって…迎えにいくつもりだったんだけど…」

 「なに……」


 珍しく言葉を詰まらせていて、どうせまたどうやって揶揄うか考えているのだろう。


 先手を打とうと、また可愛くない言葉を口にしてしまっていた。


 「似合ってないならはっきり言えば」

 「そうじゃなくて……やっぱ可愛いなって」

 「は……?」


 あまりに予想外の言葉に、反射的に頬に熱が溜まり出す。


 誤魔化そうにも真正面から見られてしまっているため、どうすることもできなかった。


 「は、早く中入れてよ」


 室内に入れてもらえば、中はシンと静まりかえっていた。


 普段は叔母と二人暮らしで、ケーキ屋が忙しいために一人でいることが多いらしい。

 

 入って左側の部屋に案内されて、初めて立ち入るリアの部屋にソワソワしてしまっていた。


 「じゃあ、そこ座ってて。紅茶持ってくる」


 クッションの上に座り込んですぐに、部屋の中にアコースティックギターがあることに気づいた。


 ミニテーブルの上にはピックや楽譜が散乱していて、隅っこには撮影用と思わしきマイクまである。


 「……やっぱり歌うことめっちゃ好きなんだ」


 他にもテニスラケットの他に、棚の上には幾つかトロフィーまで飾られている。


 なつめが通っていた中学校の女子テニス部と違って、強豪校だったのかもしれない。


 「お待たせ。はい、これ」


 室内に現れた彼女が手にしていたのは、お皿に盛られたブルーベリータルト。

 すぐに紅茶も用意してくれて、何とも優雅なティータイムが始まってしまいそうだった。


 「これ、お店のじゃん」

 「叔母さんが出してあげてって」

 「いいの?」

 「好きなんでしょ?」


 早く食べなよと急かされて、両手を合わせてからフォークを使って口内に運ぶ。


 途端に繊細な生クリームのふわふわ食感と、ブルーベリーの甘味が広がり始めた。


 大好きな味に頬を綻ばせていれば、リアが自分の分のケーキをなつめに渡そうとしてくる。


 「私のも食べる?」

 「いいよ、雅は自分の分食べなって」

 「私はいつでも食べれるし」

 「でも……」


 食べる気はないらしく、紅茶を飲みながらスマートフォンを弄り出してしまう。


 悪いなと思いつつも、言葉に甘えてリアの分のケーキにも手をつけていれば、途端にインターホンの音が室内に鳴り響いた。


 「あ、荷物受け取ってって頼まれてたの」


 スマートフォンを机に置いてから、リアが部屋を出て行く。


 「……あ」


 不用心なことに、彼女は画面を落とさずに付けっぱなしの状態でスマートフォンを放置していた。


 パスコードや顔認証をせずとも、彼女のスマートフォンを誰でも弄ることが出来る状態。


 恐らく、数十秒触らなければ画面は暗くなってしまうだろう。

 

 「あれ……そう言えば」


 たった今目の前にある、このスマートフォンの中になつめの弱みが収められている。


 中学時代の姫と呼ばれていた時代の写真。

 急いで操作をして消してしまえば、弱みもなくなって脅されるこもとなくなるのだ。

 

 彼女のペースに呑まれることも、振り回されることもなくなる。


 気づけば手を伸ばして、勝手にリアのスマートフォンを手にしてしまっていた。


 そのまま画像フォルダを探そうするが、何故か指が動かない。


 「……っ」


 何をしているのだ。

 春吹なつめの黒歴史。誰にも見られたくない秘密なのだから、さっさと消してしまえばいいのに。

 

 「消したら、どうなるんだろ……」


 脅されることはなくなって、彼女の言うことも聞かなくて済む。


 今まで通り、学校で殆ど誰とも喋らない日々に戻るだけ。


 ひとりぼっちに戻るのだ。


 「……何してるの」


 キュッと鷲掴みにされたように、驚きで心臓が嫌な痛みを上げていた。


 すぐに持っていた荷物を放って、リアが慌てたようにこちらに近寄ってくる。


 「返して…っ」

 「まって落ち着いて……」

 「消すつもりだったんでしょ?写真」


 図星を突かれて肩を跳ねさせれば、リアは更に興奮したようにこちらに覆い被さってくる。


 手を伸ばされて、今にもスマートフォンを奪い返されそうになっていた。


 「…やめてよ……か、ないのに」


 ぽつりと吐き出された声はあまりにも小さくて、よく聞こえない。


 必死に耳をすませば、酷くか細い声が信じられない言葉を口走ったのだ。


 「……昔のなつめちゃんの写真、それしかないの…」

 「え……」

 「宝物だから…お願いだから消さないで」


 衝撃で目を丸くさせていれば、リアも自身の失言に気付いたのか恥ずかしそうに耳まで赤くさせてしまう。


 ジワジワと涙まで込み上げさせる姿は、普段の姿と別人すぎてこれは一体誰だろうかと、唖然としてしまっていた。


 「み、雅…?」

 「帰って……」

 「え、ちょっと待って今のどういう…」

 「帰って!帰らないなら私が帰るから!」


 平常心を失って、今にも部屋を飛び出していきそうな彼女の腕を必死に掴む。


 その手にスマートフォンを握り込ませてから、落ち着かせるように優しい声で諭した。


 「落ち着いて…もう帰るから……」

 「ん……」


 その場に体育座りをして、顔まで俯かせてしまう。

 よほど恥ずかしかったようで、耳はこれ以上ないほど赤くなってしまっていた。


 こんなに取り乱す姿を見るのは初めてかもしれない。


 「お邪魔しました」


 まだ太陽が沈むには早い時間帯に、一人で自宅までの道を歩く。


 あまりにも予想外の出来事に、脳がキャパオーバーしてしまいそうだ。


 昔のなつめの写真が宝物だと言っていた。

 散々こちらを揶揄って、いつも揚々としている彼女が思わず溢れ落とした本音。


 あの子にとって、一体なつめはどういう存在なのだろうか。

 

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