第11話


 人には誰しも秘密がある。

 良くも悪くも、大小も関係なく、本人にとっては触れられたくない存在。


 それはなつめにとって過去であり、衣類のさらにその下にもあるのだ。


 購入してまだ数回しか着用していない、白色生地に繊細な刺繍が施された可愛らしい下着。


 上下セットのそれは服を脱ぐたびに、こっそりとなつめの心を癒してくれる。


 「ちょっと高かったけど買ってよかった…」


 全身鏡で暫くじっくりと眺め後、風邪を引かないようにさっさと制服を着込む。


 朝から全身鏡で下着姿の自分を眺めていたなんて、絶対に誰にも知られたくない。


 普段可愛らしい格好をしていられない分、誰にも見られない下着くらい好きなものを身につけたいのだ。





 朝のホームルーム前は常に賑わいを見せているが、今日はいつにも増してガヤガヤとしていた。


 廊下にはひとつ年上の証である緑色のリボンを付けた生徒がチラホラといて、珍しい光景を横目で見ていた。


 学年ごとに階数が分かれているため、他学年が廊下にいることは殆どないのだ。


 不思議に思いつつ教室へ向かうために足を進めていれば、一人の上級生とパチリと目線が合う。

 

 彼女が「あ!」と大声を上げたことで、その場にいた殆どがなつめの方に視線を寄越してきた。


 「王子!」

 「きた、王子だ」

 「ちょっと抜け駆けしないでよ」


 我先にと上級生たちが一斉になつめの元へ押しかけてきて、ジリジリと後退りする。


 全員がとある用紙を握りしめており、彼女たちがここへやって来た理由をようやく理解した。


 今日は4月の第3週目。つまり、これから1週間はあの期間が始まるのだ。


 「おねがい、私のモデルになって欲しいの」

 「ずるい!私の方が良い服作るよ?思いっきり格好良くするから」

 「あんた邪魔だって!」


 ギュッと握り締めた用紙には、コンテスト出願届と記載されている。


 なつめが通う椿野山女子高等学校は普通科の他に、スポーツ科と料理科、そしてファッションデザイン科が存在する。


 彼女たちは敷地内の別棟にて学んでいるファッションデザイン科の生徒だろう。


 普通科に在籍していて、ましてや科も学年も違うなつめとは接点も何もない彼女たち。

 

 そもそも校舎が違うため、すれ違うことすら殆どないのだ。


 「えっと…」

 「お願い!モデルやってくれたら何か奢るし」

 「あんた金で釣ろうとしてんじゃないわよ」


 ファッションデザイン科の生徒は、通称陽キャの巣窟と言われている。

  

 勿論全員がそうではないだろうが、見た目が派手で明るい生徒が多いのだ。


 そのため、なつめに対してもモジモジせずに臆せず話しかけてくるのだろう。


 「王子、お願い!」


 手を掴まれて、ヒクッと頬が引き攣る。


 夏休み前最後の登校日である終業式。

 その式の最中に、ファッションデザイン科に所属する3年生によるショーが始まるのだ。


 出場は任意であるものの、3年間の集大成を発表する場として参加する生徒は多く、また他学科の生徒からの注目度も高い。


 評価対象はあくまで服で、どのモデルを選ぼうが関係はないのだが、少しでも目立とうと学内で知名度のある生徒にモデルへの依頼が殺到するのだ。


最終的にはトップスリーを決めるため、余計に彼女たちはやる気になっているのかもしれない。


 「王子が着てくれたら服も絶対よく見えるの」


 作品の良し悪しを決めるのは、ファッションデザイン科の教師。

 そして、ランダムに選出された他学科の生徒だ。


 一気に5人の上級生に囲まれて、どうするべきかと困ってしまう。


 モデルをやることは別に構わないが、この中から誰か一人をどうやって選べば良いか分からないのだ。

 

 その場で困り果てていれば、助け舟のようにホームルーム開始のチャイムが鳴り響く。

 

 「じゃあ、また来るから!」


 ドタドタと廊下を走りながら去っていく彼女たちを見送って、ホッと一息を吐く。


 面倒くさいことになったと、登校直後にも関わらずグッタリしてしまいそうだった。



 





 コンテストに参加する生徒は、出場用紙にモデルを務める生徒の名前も一緒に記載して用紙を提出をする。


 それまでモデルの勧誘は一切禁止。

 出場用紙提出開始から終了までの僅か1週間の間で決めなければならないのだ。


 コンテストの公平性を保つためらしいが、それが意味があるのかは不明。


 お昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った直後に、沢山の上級生が教室に押し寄せる。


 用事があるからと彼女たちをのらりくらりと交わしてから、いつも通り空き教室へ逃げて来ていた。


 「あれ…」


 走って来たこともあって、まだ雅リアは来ていないようだった。

 約束をしているわけではないが、最近はどうしてか彼女と共に昼食時間を過ごしている。


 定位置となった窓際の壁沿いに背中を預けていれば、勢いよく扉が開かれる。


 息を乱しながら室内に転がり込んできたのは、相変わらず派手なピンク髪をした彼女だった。


 「…っ、なにあれ!?メスライオンじゃん!」

 「メスライオン…?」

 「デザイン科の先輩!」


 あまりの例え方に、つい笑みを溢してしまう。


 普通科の生徒と違って積極的でグイグイくるファッション科の生徒たちは、確かに捕食側のライオンがピッタリだろう。


 「ねえ、デザイン科の先輩やばいよ!私今サバンナにいる子鹿の気分なんだけど」


 すらっとした手足に端正な顔立ち。

 そして、学園で一番背が高いであろう170センチを越える高身長。


 知名度で言えばなつめの方が上かもしれないが、スタイルの良さは間違いなく雅リアなのだ。

 

 あらかた彼女もモデルになってくれとしつこく言われたのだろう。


 「雅はモデルやるの?」

 「やるわけないじゃん、めんどくさい」

 「けど服着てステージに立つだけだよ?」

 「それがめんどくさいの!」


 走ったせいで暑いのか、リアが窓を開ければ室内に新鮮な空気が流れ込んでくる。


 春も少しずつ終わりを見せ始め、以前よりも気温も高くなっていた。


 長袖のシャツを腕まくりしながら、リアがなつめの隣に座り込む。


 「王子は?やるんでしょ。モデル」

 「どの先輩と組むかは決めてないけどね」

 「私でこれだもん。王子とか争奪戦でしょ…去年は出たの?」

 「去年は丁度出場用紙の受付期間中にインフルエンザに掛かったから」

 「私も明日からそうしようかな」

 「仮病じゃないから!」


 勢いよく訂正すれば、想像通りの返事だったのかリアが楽しそうに笑ってみせる。


 本当になつめは彼女のペースに乗せられてばかりだ。


 いつもだったら叔母が作ったお弁当を食べているリアは、今日は購買で買ったパンを頬張っていた。


 小さめなパンはあっという間に平らげてしまったようで、手持ち無沙汰になった彼女は続いてスマートフォンを弄り始める。


 なつめもゆっくりと母親特性のお弁当を口に運んでいれば、突如綺麗な歌声が鼓膜を擽って、驚いて顔を上げた。


 「え……」


 赤色のマットなリップで彩られた彼女の口元から、その歌は紡ぎ出されていた。


 低音から高音への移り変わりが綺麗で、リズム感も申し分ない。

 最近人気の女性シンガーの曲は難しいと有名なのに、雅リアは軽々と歌い上げていたのだ。


 それがあまりに上手で、ジッと彼女を凝視して聞き入ってしまう。


 「…びっくりした。なに?」


 こちらの視線に気づいたリアが、驚いたように目をぱちくりとさせる。


 「歌、上手くない…?」

 「歌うの好きだし」

 「軽音部とかは入らないの?」

 「拘束されたくない。1人で好きな時に歌いたいし」


 彼女の自由奔放な言動も、どこか常人とは違う思考回路も、天才肌の芸術家と言われれば納得がいくような気がしてしまう。


 まさか彼女がこんな意外な才能を隠していたとは思いもしなかった。


 「もっと聞きたい」

 「いいよ、何が良い?」

 「じゃあ…」


 今話題のドラマ主題歌をリクエストすれば、聴いたことがある曲だったようですぐに歌ってくれた。


 男性ボーカルの低い音程の曲にも関わらず、自己流にアレンジしながら綺麗に歌っている。


 もしかしたら本家よりも好きかもしれないと、ずっと聴いていたいと思ってしまうほど彼女の歌声は魅力的だったのだ。


 結局それから3曲もリクエストしてしまったが、嫌な顔せずに音を紡いでくれた。


 「バンドとか組んだら?それか弾き語りでも、何でも…」

 「めんどいし」

 「ネットとかに上げるのもいいじゃん。せっかくそんなに上手なんだから、雅の歌声が好きって人沢山いるよ」


 この才能を自覚していないのが、何とも雅リアらしい。


 きっと彼女以上に上手な人は世の中に沢山いるだろうに、リアの歌声が世界で一番好きだと思ってしまうほど、彼女の歌声は魅力的だったのだ。

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