第9話
帰りのホームルームに現れた担任である女性教師は、どこか呆れたような顔をしていた。
今にもため息を吐きそうな顔つきで、ポケットからあるものを取り出している。
「これ誰の?」
一斉に教室中の視線が壇上にいる女性教師へと注がれる。
彼女が手にしているのは、昨日から発売された五十鈴南プロデュースのコスメであるリップだった。
「あれ、南ちゃんプロデュースのじゃん」
「まじだ。しかも一番可愛いって話題なってた色じゃない?」
同じように五十鈴南を応援している仲間がこのクラスにいるのだと、こっそりと胸を暖かくさせる。
やはり彼女は多くの女性の憧れで、慕われているのだ。
「今正直に名乗り出たら生徒指導の先生には言わないから」
てっきりすぐに名乗り出ると思ったが、持ち主は一向に手を上げない。
もしかしたら他のクラスの子の物かもしれないと考えながら、もしやと自身のスカートのポケットに手を当てた。
「……ッ」
にゃんぴょんのキーホルダーは入っているが、五十鈴南プロデュースのリップがない。
先ほどまで悠長に考えていたが、間違いない。
いま担任教師が手にしているリップはなつめのものなのだ。
一体いつ落としてしまったのか。後悔しても遅く、教室内は更にザワザワとしてしまっていた。
「あんた南ちゃん好きじゃなかった?」
「えー。リップ買うほどガチオタじゃないし」
正直に名乗り出たとして、間違いなくなつめが五十鈴南のファンであることはバレてしまう。
王子が元アイドルの現大人気女優を応援しているなんて、彼女たちはどう思うのか。
そもそも化粧をしていることすら、王子のイメージを損ねてしまうだろう。
諦めるという考えも過ぎったが、あの色は一番人気で昨日のうちに完売してしまったとSNSで発信されていた。
再販がいつになるかも分からないものを、目の前にあるというのに手放していいのだろうか。
焦りで冷や汗を込み上げさせていれば、ジッとこっちを見つめている存在に気づいた。
「あ……」
遠い席のピンク髪のあの子。
頬杖をついてなつめをジッと見つめた後、雅リアは右手を大きく上に上げた。
「それ私の」
長い足を前に進めて、雅リアが教卓で足を止める。
想像通りの持ち主だったのか、担任教師は怒らずに呆れたようなため息を吐いた。
「あんまり派手な化粧はしないように」
「気をつけまーす」
「リア、五十鈴南好きだったの?」
「すき、超好き」
「なんか意外かも」
無事に持ち主が見つかったことで、ホームルームに入る。
ジッとその場で俯きながら、瞳の奥底から込み上げてくる涙を必死に堪えていた。
助けてくれた。
勝手に心が震えて、ギュッと下唇を噛み締める。
ピンク髪で派手で、散々こちらを揶揄って脅迫だってしてきたくせに。
こんな時だけ助けてくれるのは、あまりにも格好良くてずるいじゃないか。
もう2度と来ないと思っていた家の近くのケーキ屋に、学校帰りにやって来ていた。
といってもホームルームからは既に3時間経過しており、素直に来ることができず公園で時間を潰していたのだ。
真っ白なワイシャツに制服のエプロン。また、いつも髪を下ろしいる彼女が後ろで一つに縛っているのが、今更ながらに新鮮だった。
「いらっしゃい…て、王子じゃん。リップ持ってくるから待ってて」
数分もしない間に戻ってきた彼女の手には、なつめが大事にしていた五十鈴南プロデュースのリップが握られていた。
一体何なのだろう、この人は。
なつめを散々揶揄って、あんなふうに脅してきたくせに、いざというときは助けてくれた。
自分が犠牲になって、なつめを守ってくれたのだ。
「はい、これ」
リップを受け取って、それをギュッと掌で握りしめた。
たったあれだけで恋に落ちるほど単純ではないけれど、何も感じないほど馬鹿でもない。
「……りがとう」
酷く小さい声でお礼を言えば、雅リアはまた楽しそうに笑うのだ。
こうしてじっと見つめていたせいで、彼女の目元に泣きぼくろがあることに気づいた。
「声小さすぎだし」
「ブルーベリータルト、2つちょうだい」
「はいはい」
ケーキボックスに包んでもらって、お金を払ってから帰ろうとした時だった。
カウンターから出てきた彼女は、なつめに向かって人差し指を差し出してきた。
「じゃあ、貸し1ね」
「は…?」
「何で返してもらおうかなあ」
「…お金はないけど」
「そんなんじゃないって。王子自身で返してもらうから」
咄嗟に思い浮かんだのは、空き教室での出来事だった。
ひとつ年上の先輩といやらしい空気感を作り出していた光景を思い出して、僅かに頬が赤く染まる。
「最低…えっちなこともしないから」
一瞬ぽかんとした後に、より楽しそうに雅リアが笑い出す。
「今のでそれ想像しちゃう王子も中々えっちじゃない?」
薄ら染まっていた頬が、更に赤くなっていくのが分かる。
余計なことを言わなければ良かったと後悔していれば、彼女の手が赤らんだなつめの頬に触れた。
「またいつでも来てよ」
「雅がいない時しかこない」
「こっちは写真あるって忘れた?」
「お互い様でしょ」
噛み付いているのに、全然気にしていない様子で雅リアは楽しそうだった。
そんな彼女に釣られて、なつめもつい笑みを溢してしまう。
こんな風に猫被らずに話すのが久しぶりで、気が緩んでいたのかもしれない。
ピンク髪で派手な転校生。
自由奔放でこちらを揶揄ってばかりくるけれど、一緒にいて嫌なわけではない。
それにたぶん、彼女の叔母が言うように雅リアは腹の底から悪い人では絶対にないのだ。
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