第1話


 一歩教室から出れば、廊下で立ち話をしていた女子生徒2人組がこちらに視線を寄越した。


 目があって微笑んで見せれば、分かりやすく彼女たちが嬉しそうに顔を綻ばせる。


 「王子かっこいい〜」

 「ね、王子だったら女の子だけど付き合いたいってなる気持ち分かるもん」


 ひそひそと聞こえてくる声を聞き流しながら、目的地である第一体育館に足を進めていた。


 階段を登っていれば、下級生と思わしき赤色のリボンを付けた女子生徒に引き留められる。


 「あの、王子…じゃなくて、春吹はるふき先輩。これ、調理実習で作ったんです。良かったら…」


 ピンク色の透明な袋には、ハート型のクッキーが2つ入れられている。


 色味からして、チョコ味とバニラ味だろう。

 そっと袋を受け取ってから、もはや慣れてしまった格好付けた笑みを浮かべた。


 「ありがとう、後で食べるね」

 「……っ、ありがとうございます!」


 感極まったように口元を抑えながら、女子生徒が嬉しそうに去っていく。


 その後ろ姿を見送ってから、王子こと、春吹はるふきなつめは一人で足を進めるのだ。


 





 春吹なつめは椿野山つばきのやま女子高等学校にて、女子校にも関わらず王子と呼ばれて崇拝されていた。


 165センチを軽く超える高身長に、地毛であるブラウンヘアはショートカットに整えている。


 長めの前髪を斜めに流して、サイドの髪を耳に掛ければ元の小顔がより強調されてスタイルが良く見えるのだ。


 小さい頃から容姿をよく褒められていたが、ここまで女子生徒から熱い眼差しを送られたことはない。


 これも全て、異性のいない女子校だからこそだろう。





 体育の授業ですっかり体力を疲弊してしまったせいで、お昼を迎える頃には空腹だった。


 運動神経は悪い方ではないため、体育の授業は苦痛ではない。

 バスケットゴールにシュートを決めるたびに、女子生徒から浴びせられるキャアキャアとした歓声は中々悪いものではなかった。


 嫌悪ではなく、好奇の視線。

 悪意もなくただ崇拝対象として向けられる視線は、高校2年生ともなれば慣れてしまった。


 母親の作ってくれたお弁当が入ったランチバッグを片手に、一人で空き教室へやって来る。


 ネイビーカラーの無地バッグからお弁当箱を取り出してから、部屋の隅っこに座り込んで卵焼きを頬張った。


 「…美味しい」


 当然、返事などない。

 決して嫌われてはいないけれど、王子と崇拝されるあまり気軽に話せる友達がいないのだ。


 そのため休み時間はこの空き教室に忍び込んで、いつも一人で昼食を取っていた。


 なつめとしてはクラスメイトと仲良くなりたいが、彼女たちはなつめと一定の距離を置いて、アイドルのように遠い存在であることを望んでいる。


 勇気を出して声をかけたことは何度もあるが、皆どこか余所余所しく、その気力も次第に失われていった。


 食事を終えて、スカートのポケットに仕舞っていた手鏡を手に取る。


 「……これの、どこがいいの」


 鏡に写る自分は、いまだに知らない誰かのように見える。

 ショートカットで化粧けのない顔の良さが、なつめ自身ちっとも理解出来ていなかった。


 せっかく女子校に入学したのに、望んでいた学園生活とは随分かけ離れている。


 これで良かったと思い込ませているが、本当にそうだろうかと自問自答する回数は日に日に増してしまっているのだ。





 恋人も友人もいないなつめは、授業が終わり次第真っ直ぐに家に帰るのが日常だ。


 寄り道もせずに問題も起こさない優等生。


 頼まれるままに学級委員長を引き受けて、その様が余計に女子生徒からは品行方正の王子様に見えているのかもしれない。

 

 帰宅してすぐに、堅苦しい制服を脱ぎ捨てる。

 鞄を勉強机の横に掛けてから、お気に入りである可愛らしいルームウェアに着替えた。


 メイクボックスを机の上に置いて、温めたコテで流していた前髪を軽くワンカールにする。

 

 「……よし」


 仕上げに薄い色付きリップを滑らせて、ようやく本当の自分に戻る。


 学園の王子様から解放されて、本当の自分でいられる時間が堪らなく好きなのだ。




 エプロンを腰に巻いて、台所で母親と共に晩御飯の準備をしていれば、玄関から明るい声が聞こえてくる。


 「ただいま。今日夜なに」

 「オムライスだよ」

 「ほんとう!?私も手伝う」


 ウキウキとした様子でキッチンに入ってきた妹は、姉の贔屓目をなしに見てもとても可愛らしい。


 3つ歳が離れていることもあって、つい妹のきょうを甘やかしてしまうのだ。


 スカウトされて以来、雑誌のモデルをしている妹を密かに自慢に思ってしまっていた。


 「何したらいい?」

 「京、おいで」


 嬉しそうにエプロンの紐を結んでいる妹に手招きをして、そっと彼女の長い髪に触れる。


 以前からサラサラとしていたが、モデルとしてより気を使うようになったからは更に艶やかで綺麗さが増していた。


 「料理する時は髪結びなって言ってるでしょ」


 手櫛で髪を梳きながら、妹の綺麗な髪を羨望の眼差しで見てしまう。


 長いロングヘア。ストレートアイロンで伸ばしても、コテでいろんな巻き方も出来る。


 ヘアゴムで一つに結んでやりながら、今更ながらに自分のうなじがやけに涼しいことを思い出す。


 2年前に切ってから随分日が経つにも関わらず、未だに寂しさを覚えてしまうなつめは本当に未練たらしい。

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