第4話:それは触れぬ障り者03


 零那が目を覚ますとそこは病室だった。


 白い天井に白い壁。白いカーテンに白いシーツ。


 記憶の前後に齟齬があり、一瞬では飲み込めない。困惑と同時に意識は倦怠感も覚えている。こちらはどちらかと云えば形而下に属する感覚だが。


「あーっと……」


 しばし自身の考えにふけろうとしたところで、


「零那ちゃん!」


 一子が抱きついてきた。視界には入っていたが、認識より先に一子のアクションが速かっただけのことだ。いつも通りのふわふわパーマで愛くるしい瞳のワンコ。声には哀惜がどうしようもなく含有される。


「目を覚ましたんだよ! よかったぁ!」


 大凡それだけで零那は自身の身に起きた出来事を推理できた。


「昏倒して病室に運ばれたらしい」


 QED。


「ワンコが看病してたのか?」


「私はお見舞い。心配したんだから」


「申し訳ない」


「無事なら良いの。大丈夫?」


「現時点で支障は無い。それより俺はどの程度寝てたんだ?」


「数えてないから知らないんだよ」


 いっそ清々しい返答だったが、一子の気質は零那もよく知っている。


「心配させたのは謝る。しかし一体……」


「トラックに轢かれたの。覚えてる?」


「あー……そんな記憶も無きにしも非ず」


 耳元のクラクションが仮想体験として想起された。そこから先の記憶はない。意識が封印しているのか。あるいは脳情報に記録されるより轢害が早かったのか。ここで思案して得する様な疑問でもないため、一時的に横に置く。


「お前は大丈夫だったのか?」


「ピンピンしております!」


 にゃは、と一子は笑った。


「頑丈な奴だな」


「お褒め与り恐悦至極」


「ともあれ」


 と自分の状況を顧みて、何をすべきか判断する。点滴が打たれてあった。下の世話は看護師の仕事だろう。あまり思考を進めない方が精神衛生上的に賢明と言える。ナースコールのボタンを押して、担当を呼ぶ。一分ほどで現われた。


「十三永さん!」


 女性の看護師は驚いたように零那を見やった。


「御苦労様です」


 これは嫌味ではなく他の言葉が思いつかなかっただけである。


「先生を呼んできます!」


 そう言って一時的に走り去っていく看護師。


「大変だねぇ」


 一子が感心したように頷いている。


「お前の無敵超人ぶりも検査して貰ったらどうだ?」


 車に轢かれて怪我一つもなければ逆方向に心配だ。


 それから医師が現われて、幾つか質問をされた。


「気分はどうか?」


「痛むところはないか?」


 要するに自己認識の確認だろう。零那が自身をどう捉えているか。物理的に肉体を心配するのなら、質問するより検査が先のはずであるから。


「俺はどれくらい寝てたんですか?」


 この問題は一子が役に立たないため、医者に頼るほかにない。


「三日です。事故の被害から鑑みて肉体はあまり痛んでいませんが、それでも意識の方は心配でした。十三永さんが目を覚ましてくださって安心しました」


 柔和に目を細めて医師は優しくそう言った。


「色々と心配をかけました。家族は……」


「連絡を入れています。大層心配されておりましたよ」


「お恥ずかしい」


 苦笑以外に表情は選べなかった。


「けれども家族以外は面会謝絶ということで……ご友人方にはもう少し待って貰えるよう対処するつもりですが……」


「此奴はいいのか?」


 零那は一子を指差した。


「は?」


 しばし呆気にとられる医師。表情が語っていた。曰く、


「何を言っているのか?」


 そんな素朴な疑問。


「いやだからワンコ……青春一子はいいのかと」


「ていうか駄目なのかな?」


 一子も困惑はしているらしいが、医師と付き添っている看護師たちの困惑に比べればあまりに軽薄であったろう。


「まだ混乱が見られますね。少しずつ癒やしていくのがいいでしょう」


「?」


 いまいち医師の言葉の意図が掴めない。


「家族以外に面会謝絶ならお前も此処にいられないんじゃないか?」


 零那が一子にそう言うと、


「今は落ち着いて休んでください。何事にも順序があります」


「ええ」


 そしてぐったりとベッドに身を任せた。背の部分が押し上げられているため、寝そべるというよりソファに身を任せている様な感覚だが。


「どうかしたのかな?」


 一子が不審げにそう呟いた。


「さてな」


 何かしらの食い違いは覚っていたが、零那も無理に突く気はなかった。

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