第2話
「なんでお前がここにいるんだ」
目の前でキッチンの収納を確認する栗色の髪の男を見ながら、俺は目を細めた。
俺の言葉が耳に入らなかったかのように、八坂は細い指先で最新型のシステムキッチンに一喜一憂を繰り返す。
「やっぱり新築マンションは違うね」
「冷やかしなら帰れ」
「冷たいなぁ、お客様に対してその態度は営業マンとしてよくないんじゃないの?」
「客じゃねぇだろ」
はぁ、と深くため息を零す。
リビングで作り笑顔を浮かべながらこちらを見る町村さんの瞳がいつもと違ってキラキラと輝いている。
友達っていうフィルターを除いても、やっぱり八坂はいい男なのか、と再確認する。
足元の収納を確認しながら楽しそうに笑う八坂の頬に、長い睫の影が落ちる。中性的な顔立ちと、華奢だが手足はすらりと長い。身長こそ高くはないが、むしろそれが顔の小ささを引き立たせる。
友人がこれだけ目を引く外見をしていれば、自分の評価が低くなるもの仕方がない。美醜の差はどうしようもない神様からのプレゼントだ。
「で、本当に何の用だよ」
「暇だったから会いに来たんだよ」
あっけらからんと応える八坂に、がっくりと肩から力が抜けるのを感じた。
暇だからと言って友人の仕事場にふらりと遊びにくる奴は、古今東西探してもそんなに数多いものではないだろう。
「今日は担当が俺だったからよかったけど、違うやつだったらどうすんだよ」
「僕が間違えるとでも思ってるの?」
「っていうかなんで俺のシフト知ってんだよ」
「冷蔵庫に貼ってるじゃん」
そうだった。
俺が飲みつぶれるたびに家に来る八坂からすればそれくらいの発見は珍しいものでもなんでもない。
町村さんがその会話に訝し気な表情を浮かべる。が、それも一瞬のことで次の瞬間には完璧ないつもの笑顔に変わる。
2年間培った受付嬢としてのプライドはしっかり持っているようだ。
「で、このマンションいくらだっけ」
「ほんとに検討してんの?」
「悪くはないよね。パソコンさえあれば仕事できるし」
目の前にいる八坂の職業を思い出して小さくため息を零す。安居酒屋にしか行けない俺とは違い、目の前の男は指先からお金を弾き出すプロだ。
「先生、今日は部屋の中で数字追わなくていいんですか?」
「朝から六万円稼いできたから満足です」
証券会社で5年間営業職を務めた後、満足すぎるほどの給料をもらっていたくせにその会社を軽く見捨ててデイトレーダーの世界に飛び込んだ。
デイトレになった当時、興味本位でその仕事の話を聞いた。が、いろいろな意味で桁違いの世界に具合悪くなって、それ以来八坂から仕事の話は聞かない。
へらり、といつもの柔らかい笑みを浮かべながら、八坂は席をダイニングへと移動した。町村さんがすっと椅子を引く。
「ありがとう」
「いえ」
いつもよりも町村さんの笑顔が輝いて見えるのは気のせいだろうか。八坂は楽しそうに座って周囲を見渡してから、目の前に俺が座るのを確認して笑みを深くした。
「で、例の件考えてくれた?」
「……やっぱり本題はそっちかよ」
思った通りの話だ、と思いながら目の前にあったパンフレットをぱたり、と遠慮なく閉じる八坂を見る。深い笑みを浮かべているにも関わらず、目の奥には深い深い闇色が浮かんだ。
「本気?」
「当たり前じゃん。僕はお前の親友だからね」
その言葉に、ごくり、と唾を飲み込む。町村さんがとんとん、と最小限の足音を立ててキッチンへと消えた。オープンキッチンだから姿は見えるが、視界からは遠くなる。
「賛成できない」
「なんで」
「なんでって……」
八坂は軽くいうが、言っていることの重さがわかっているのか。
表情はいつも通りだ。へらりとした笑みを浮かべた、軽薄な空気をまとって八坂は首を小さく捻る。
安居酒屋で、八坂が言った言葉をもう一度思い返す。
「殺そうと思うんだ」
八坂の言葉はいつだって唐突だ。突然大学のランクを下げて俺と同じところを選んだときも、会社を辞めるときも、俺への報告は唐突で、そして軽い。
その言葉の中にある重たさを何も感じさせない。薄く赤い唇から紡がれるのに相応しい柔らかい音には、重力が存在しないのか。
キッチンでお茶を準備しているだろう町村さんに聞こえないように、声のトーンを下げた。
「犯罪だ」
「だから何」
何事もないように八坂は軽く返す。
不思議そうに俺を見る八坂を見ていると、俺と八坂が同じ話題を話しているとは思えなくなってくるのが不思議だ。
どう返していいのかわからず、口の中にたまっていく唾液を嚥下するのと同時に、町村さんの足音が帰ってきた。
「どうぞ」
「ああ、すいません。ありがとうございます」
「いえいえ」
町村さんはにこり、と笑って机の上に八坂の分のお茶を置いて、少し離れたところでにこりと笑いを浮かべながら立つ。
その目に何かを見咎められる気がして俺は視線を無理やり八坂に戻した。町村さんはいつも通りなのに、俺がいつも通りじゃない。
「返事は急がないよ」
ず、と唇を湿らせるように八坂がお茶を飲む。「おいしい」と笑みを浮かべる八坂に、俺は自然と視線を机の上に落としていた。
八坂は、俺の望みを知っている。
だからこその、提案だ。
「お前が嫌がることはやらない。いいと言われるまで、僕は動かないよ」
「八坂」
「だからさ」
そう言ってから、ごくり、とお茶を一気に飲み干す。入れたばかりの熱いお茶だろうに、八坂は冷たいものを飲むかのようにすべてを流し込んだ。
「楽になんなよ」
耳に落ちる冷たい囁く声に、自分の心が覗かれているような気がして慌てて視線を八坂に戻した。
その冷たい声の似あわない柔らかい笑みを浮かべたまま八坂はこちらを見ていた。その目は何も望んでいない。
「仕事中に邪魔してごめんね」
「……いや」
「でもいい部屋だね。ほんとに買っちゃおうかな」
はは、と声をあげて笑う八坂に俺は何も言えず、ただ八坂を見るだけだった。
俺のその目に、八坂の眉尻が少しだけ下がる。
「そんな目で見ないでよ」
そう言いながら八坂は立ち上がる。つられるように俺も立ち上がると、町村さんがぺこり、と小さく頭を下げてリビングと玄関をつなぐ扉を開いた。
八坂はそれに小さく頭を下げると、俺の横をすり抜けてリビングの出口へと足を向けた。
「ゆっくり、考えて」
ふふ、と笑う八坂に、俺は何も言えずに玄関へと向かう八坂の後ろをただついていく。
俺の後ろに、町村さんが続く。無言の廊下に、ぱた、ぱた、とスリッパで歩く八坂の足音が大きく響く。
「じゃあまたね」
「ありがとうございました」
ぱたぱた、と手を振って八坂が玄関から消えていった。本来なら建物の入り口まで送ることが鉄則だが、それも忘れて扉から姿を消す八坂を見守るのが精いっぱいだ。
扉が閉じると同時に、肺から息が一気に漏れた。ふぅ、と大きなため息の音が響く。
「翔平さんのお友達ですか? 今の人」
「親友、かな」
それだけ返して、俺はリビングへ戻る。町村さんは何も言わず俺の後ろについてリビングへと戻って行った。
リビングに戻ると町村さんはいつものように空になったゆのみをキッチンへ運んで洗う。
ザーザーと食器を洗う水の音が静かな部屋の中を支配する。
きゅ、と蛇口が捻られる音と共に、町村がゆっくりと口を開いた。オープンキッチンの向こうから視線を送られる。
「何の話だったんですか?」
きっと聞かれるだろうと想定していた話にも関わらず、言葉に迷った。その答えは準備していない。
「ちょっとした話だよ」
「でもなんか、重たそうな話でしたよね」
「まぁ、ね」
町村さんは「ふぅん」と小さく応えてから、洗い終わったゆのみを仕舞い込んで居間に帰ってきた。また人気のなくなったモデルルームの中に静かな時間が流れる。
八坂によって閉じられたパンフレットの表紙をぼんやり見つめる。
発売開始から1年が経過し、マンションは完成。先月から入居も始まっているにも関わらず、まだ4戸売れ残っている。地下鉄駅から徒歩15分という立地の悪さが客足を鈍くしているのだろうと会社では専らの話題だ。
「八坂さん、でしたっけ」
町村さんが居間のソファに戻りながらうっとりとした口調で呟いた。
「本当に綺麗な人ですね」
「だよな」
口寂しくて内ポケットの中に隠し持っている煙草を探した。さすがにモデルルームの中で吸うことはしないが、ベランダで一本ぐらい吸うのは許されるだろう。
この胸の重さを煙にしてすべて吐き出してしまいたい。
「……でもなんだか」
町村さんはこちらを見ながら、ソファの背に頬を置いた。淡いピンク色のアイシャドーで飾られた柔らかい瞳が歪んだ。
「なんだか?」
「ちょっと怖い、感じです」
町村さんの感想に、生唾を飲み込む。
それは俺も八坂に時折覚える感情だ。
女性もうらやむだろう白い肌の上にきれいに並ぶ目や鼻、唇はどこか無機質で、美しいサイボーグのように思う瞬間がある。完璧すぎるのも問題なのか。
いや、八坂から感じる妙な恐怖は、外見だけが要因なのだろうか。
「でも、目の保養になりました」
「そう」
なるべくそっけない口調で返したつもりだが、町村さんの耳にはどう届いただろうか。
町村さんはまたくるりと俺に背を向けて、ポケットにソファの下に隠していたスマートフォンを引っ張り出してまた指先で小さくなぞった。
俺はポケットから煙草を取り出して、部屋のベランダへと足を向けた。
六月の涼しさと甘さの残る風を全身で感じると、少し頭の中がすっきりしたような気がした。
シュッと音を立ててライターに火をつける。煙草の先端が赤く光る。
何気なくマンションの入り口あたりを見下ろして、そこに栗色の頭を見つけて慌てて身体を引いた。
無意識に、八坂から逃げた。
「……何してんだか」
はぁ、と煙草の煙を吐き出してからもう一度覗き込むと、たまたま上を見上げたのだろう八坂がくるりとこちらを見た。
俺の姿に気が付いたらしく、ぱたぱたと手を振ってきたので、俺も適当に手を振り返す。
八坂は満足気に笑ってから、またくるりと振り返っててくてくとマンションから離れていった。
その頭と背中を見ながら、ゆっくりと煙草の煙を吸い込んで、しっかりとその味を味わってから、今度は丁寧に吐き出す。
八坂は本気だ。
あいつは本当に、俺の父親を殺そうとしている。
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