第35話 呪い


けがれてるって……蓮司れんじ、あなた何を言ってるの」


れんくん、れんくんも同じなの? ねえれんくん、答えてよ」


 自身のことをけがれていると言った蓮司れんじの言葉に、れん花恋かれんも動揺した。


「僕はね、花恋かれん。今でもずっと、自分のことをそう思ってるんだ」


蓮司れんじあなた……そんな風に思ってたの? そんな風に自分を否定しながら、今まで生きてきたって言うの?」


「そうなるね。れんくん、君もそうなんだよね」


「……はい」


 言葉と同時に膝から崩れ、れんが地面に座り込んだ。

 頬に涙が伝う。何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」そうつぶやく。

 そんなれんの元に駆け寄り、れんが肩を抱く。するとれんの感情は更に高まり、涙が嗚咽と共にこぼれ落ちていった。


「どういうことなのか、分かるように言って。自分のことを、なんでそんな」


花恋かれんも覚えてるだろ? 僕が中学時代、いじめられていたことを」


「……勿論よ。忘れられる訳がないじゃない」


「あの三年間は、本当にきつかった。今すぐこの世から消えてしまいたい、そんなことをいつも思ってた」


「クラスが別だったし、蓮司れんじも話してくれなかったから、詳しくは分かってないと思う。でも友達から聞かされてたし、酷い目にあってることは分かってた」


「酷いなんてものじゃなかった。まあ教師の言葉を借りるなら、いじめられる僕にも原因があるらしいけどね」


「何よそれ、そんな馬鹿なこと言った教師がいたの? その時に聞いてたら私、絶対職員室に怒鳴り込んでたわ」


花恋かれんならそうしてただろうね。でもね、いじめを受けてます、こんな酷いことをされてます。そんなことを話すなんて情けないって思ってた。そしてそれ以上に僕は、花恋かれんを巻き込みたくなかった。優等生の花恋かれんが職員室に怒鳴り込んでいく、そんな光景は見たくなかったんだ」


「いじめられてる側に原因があるなんて、それは加害者側の屁理屈じゃない。運動が出来ないからいじめられる。だったらその人が努力して、運動が得意になったらいじめられない? そんな訳ないじゃない。そうなったら彼らはきっと、また別の何かを探していじめだす。いじめる理由なんて何でもいい、ただ面白いからやってる、それだけなんだから」


「そんな風に思ってくれる人が一人でもいたら、僕の中学時代も変わってたかもしれないね。でも現実は残酷だった。

 嫌がらせ、暴言、暴力。授業で発言をするたびに笑い声が聞こえる。そんなことが続いていけば、流石に自己否定の気持ちが生まれても仕方ない。

 いじめはだんだんエスカレートしていってね、最後に行き着いたのがこれだった。ばい菌扱い」


「え……」


 花恋かれんれんの中に、中学生にもなってそんなことをする人間がいるのか、との思いが同時に生まれた。


「僕は最後の1年間、ばい菌扱いされていた。幼稚だよね、本当。でもね、その幼稚極まりない行為が、クラス中に蔓延してたんだ。

 誰も僕に触れようとしない。僕の机にも、鞄や教科書にも。もし触ってしまったら、クラス中大騒ぎだった。『腐っちまうぞ』『消毒、消毒』と騒ぎ立てて手を洗いに行ってた。

 罰ゲームで僕の机を触る、なんてこともあった。みんな嫌悪感いっぱいの顔で、恐る恐る僕の机を触るんだ。

 そんなことが続いていく内にね、関わってなかった人たちの間でも、僕がけがらわしい存在だってことになっていった。刷り込みって言ったらいいのかな。そして僕の中でもね、変化が生まれていったんだ。『僕は汚い』『僕に触れると、誰もが不快になる』って」


 淡々と語る蓮司れんじ。そんな蓮司れんじを、花恋かれんが目を見開いて見つめる。


「勿論それは、いじめから生まれた下らないイベントでしかない。僕が本当にけがれている訳じゃない。でもね、そんなことが続いていたんだ。三つ子の魂百までも、諺じゃないけど僕自身、自分のことをそう思うようになっていった。

 だからね、自分から他人に触れない、そんな癖がついてしまったんだ」


れんくん……れんくん……」


 肩を震わせるれんを抱き締め、れんが大粒の涙を流す。

 蓮司れんじの話がひと段落すると、花恋かれんは新しい缶ビールを取り出し、一気に流し込んだ。


「そういう訳で花恋かれん、僕は自分から人に触れられない、そんな男になってしまったんだ。

 花恋かれんのことは大好きだ。君の髪に触れたい、抱き締めたい、キスだってしたい。そんな思いがあっても、僕はいつもブレーキをかけてしまうんだ」


 そう言って力なく笑い、「ごめんね」そう囁いた。


れんくんもごめんね。君にとっては、ついこの前の出来事なんだ。僕よりも傷は深いと思う。勝手に君の気持ちを代弁してしまって、申し訳ないと思ってる」


「いえ……蓮司れんじさんが言ってくれたことで、少しほっとした気がします……これまで誰にも言えなかった気持ちを、れんに伝えることが出来ました。

 れん、もう大丈夫だから。離してくれていいよ」


 しかしれんは頭を大きく振り、抱き締める手を離そうとしなかった。


れん。君はそんな僕のことを、いつも見守ってくれた。れんがいなかったら、それこそ僕はこの世界からいなくなっていたかもしれない。だから……ありがとう、れん


「……自分はけがれている……だから蓮司れんじさんもれんくんも、自分から触れようとはしなかった。そういうことですか」


 れんの胸に顔を埋めながら、れんが震える声でつぶやく。


「うん。気持ちはあってもね、どうしても……ごめん」


「でも……それじゃあおかしくない? だってれんくん、今日だって私のことを抱き締めてくれたじゃない。キスだってしてくれたじゃない」


「それは……れんがそう言ってくれたから」


 れんは愕然とした。


 私は今日、れんくんに抱き締められた。キスしてもらった。

 だかられんくんと蓮司れんじさんは違う、そう思い安心した。

 でも……そうじゃなかったんだ。

 確かにあの時、私はれんくんに願った。

 れんくんは、私の望みを叶えてくれただけなんだ。

 自分から私に触れてくれた訳じゃなかったんだ。


 そう思うと、れんの気持ちに気付けてなかった自分に嫌気がさした。

 舞い上がっていた自分を殴ってやりたい、そんな気持ちになった。

 私はれんくんの何も見てなかった。

 見ようとしていなかった。

 そう思うと、また涙が溢れてきた。


花恋かれん。君に触れようとしなかった僕が、許されるとは思っていない。君が色々アプローチしてくれてることは分かってた。でもごめん、僕にはどうしても出来なかった。君をけがしてしまうことが怖くて……そしてその理由を話す勇気もなかったんだ」


「もういいわよ、どうでも」


 ビールを飲み干した花恋かれんが、濡れた瞳で蓮司れんじを見据えた。


「私も、そして多分れんちゃんも今……自分のことを殴ってやりたい気持ちなの。自分の気持ちだけを優先して、自分の価値観が正しいと信じて、そこから外れてる蓮司れんじが間違ってると思ってた。何て傲慢だったんだろう、そう思う。

 蓮司れんじに愛されたいと思って、色々とアプローチした。私の頭の中は、ただただピンク色のお花畑だったんだと思う。でもその時あなたは、ずっと過去の呪いに苦しんでいた。そう思ったらね……ごめんなさい。気付くことが出来なかった」


 そう言って頭を下げる。溢れる涙がこぼれ落ち、地面にぽつりぽつりと落ちていく。


「いいんだよ、それは。僕の方こそ、意気地なしで悪いと思ってる。まあ告白した今でも、君に触れることは出来そうにないんだけどね」


「いいの、もういいから……ごめんなさい、蓮司れんじ。それから……私のこと、大切に想ってくれて、本当にありがとう」


 花恋かれん蓮司れんじを抱き締める。そんな二人を見つめ、れんも涙を拭い、小さく笑った。

 そしてれんの肩に手をやり、「れんも……ごめんね。ありがとう」そう耳元で囁いた。

 肩に触れてくれたことに驚いたれんだったが、やがてうなずくと、「うん……大好きだよ、れんくん」そう言って微笑んだ。



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