第25話 大橋雅史
近くのベンチに座り、缶コーヒーを片手にため息をつく。
もう終わったと思っていた初恋。
これまで、多くの女性から告白されてきた。
しかしその度に、大橋の脳裏には
こんなにも人を好きになるなんて、思ってもみなかった。
新しいクラスで初めてのホームルーム。
高校生になり、いくつかの中学から集ってきたクラスメイトたち。
まだお互いのこともよく分かっていないでしょう、今回は私が決めますと、担任の教師が前期のクラス委員として大橋を指名した。
理由は簡単だった。中学時代、生徒会長をしていたからだ。
同じ理由で女子も選ばれた。
それが
大橋の隣に立った
大橋自身この時、
クラス委員同士、一緒に行動することが多かった。
頭のいい子だ。能力も高い、そう思った。
しかし大橋が
自分と彼女、別にどちらが上だとか、正の委員とかいうのはない。
しかし彼女は、ことあるごとに自分を立ててくれた。面倒な書類整理なども率先して請け負ってくれた。
そして発言の機会や皆を取り仕切る舞台、そういうものを全て自分に譲ってくれた。
別に自分は、男尊女卑的な思考を持っている訳ではない。
今の時代、能力の高い方が表舞台に立てばいい。自分より能力が高いのであれば、自分がサポートに徹すればいいだけだ。その方が効率的だし、理にかなっている。
それなのに彼女は一貫して、自分より前に出ないようにしていた。
そんな彼女と行動を共にする中で、大橋はいつしか
少しずつ
現国の授業の時のことだった。
教材である夏目漱石の「こころ」について、教師が感想を求めた。
手を挙げる者はいない。皆うつむいている。
やれやれとため息をついた教師は、では、と大橋を指名した。
「先生が友情よりも恋愛を選んでしまった。究極の選択ではありますけど、自身の人生を考えた時、幸せになる為の決断を先生はしたと思います。そしてそれは勿論、友情をないがしろにしての行動ではありません。悩みに悩んだ末の結論だったと思います。
恋愛は一人しか選べない訳ですから、彼女を彼に譲るという考えに至らなかったことも納得がいきます。
ですがこの物語の面白いところは、幸せを望んで恋愛を選んだ筈なのに、それ以降の先生の人生が不幸だったということです。友を裏切ってしまった、その後悔の念は先生の心を蝕み続けました。大切な友人を失ってしまったという罪の呵責に耐えられず、常に死を渇望する人格へと変わっていきました。
また、この物語が書かれた背景として、明治天皇の崩御に伴う乃木希典大将の殉死が大きく関わっていたのは間違いなく、漱石自身もその精神に傾倒していた、そんな風に感じました」
大橋の感想に教師は「見事な感想ですね。この物語の根本に流れているものを、しっかり汲み取っていると思います」そう満足げに言った。
そして、「折角なのでもう一人」そう言って指名した生徒。それが
クラスの中で、特に目立つことのない男子。
いつもうつむき加減で、本ばかり読んでいる。自ら進んでコミュニケーションを取ろうとしない浮いた存在。クラスの誰もが、彼のことをそんな風に思っていた。
クラスの中心にいる自分とは真逆の存在。しかし大橋は、別の意味で
あの
ことあるごとに
嫉妬。
どうして彼女は、こんな冴えない男の世話ばかり焼くのか。
幼馴染だからなのか。
考えてみれば、彼女の行動は常に
昼食も下校時間も、全て
そこまで世話をする必要はあるのか、そう思った。
彼らと同じ中学の生徒たちは、
と言うことは、こんな光景がこれまでずっと続いていたのか。そう思うと、大橋の中に生まれた
大橋にとってこの時の感情が、
初恋。
自分は
女子を好きになるとは、こういうことだったんだ。知らない内にその結論に辿り着いていた。
嫉妬という感情は、マイナスにしか働かないという訳ではない。
現に大橋は、
まるで「こころ」の先生と同じように。
大橋は
彼のどこに、そんな魅力があるというのか。
物静かと言えば聞こえがいいが、要は日陰にいることを望んでいる、人との関りを避けて生きている臆病者だ。
長い前髪のおかげで、その陰気さに拍車がかかっている。話したこともあったが、最後まで彼の目を見ることが出来なかった。
自分に自信を持っていない男。
常に周囲と距離を取り、自分の領域からは決して出ない男。
それが大橋の結論だった。
だから理解出来なかった。
彼女は自分と同じく、陽の当たる場所で輝くべき存在だ。
彼女の人格、能力もそれを求めている。
それなのに
いつしか
敵対心という感情が。
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