第21話 未来は一つじゃない


 翌朝。

 れん蓮司れんじの家に向かっていた。


 昨夜はほとんど眠れなかった。

 れんの口癖、「脳が追い付かない」状態になっていた。


 未来に来てまだ一日しか経ってない。

 その筈なのに、この世界に随分長く留まっているような、不思議な感覚に困惑していた。

 全身にへばり付くような疲労感。

 その理由は明らかだった。

 自分にとって、幸せとは程遠い現実。




 ――こんな未来、自分には受け入れられない。




 でもこの感情は、果たして正しいのだろうか。そう自問する。

 どんな未来であれ、それは蓮司れんじ花恋かれんが決断したものだ。

 彼らが10年かけて積み重ねてきた結果なのだ。

 それをいきなりやってきた自分が、キスをして浮かれている自分がかき回してもいいのだろうか。

 もし自分の世界に過去の自分が来て、気に入らないから行動を起こしますと言ったら、自分は受け入れられるのだろうか。

 そんな思いが巡っている内に、蓮司れんじの家に着いてしまった。





「……」


 まだ結論は出ない。と言うか、勇気が出ない。

 そう思い、大きなため息をついた時、蓮司れんじの家のドアが開いた。


「あ……」


れん、おはよう」


 そう言って笑った彼。

 初めてのキスを捧げた人。

 この世界で一番大切な、会いたくて会いたくて仕方がなかった幼馴染、れんだった。


 れんの顔を見ると、突然足が震えてきた。

 昨日彼は、蓮司れんじとどんな話をしたのだろうか。

 この未来を見て彼は、どんな気持ちになったのだろうか。

 そんなことを思っている内に、なぜだか涙が溢れてきた。


れんくん……」


 れんの姿が涙で歪む。

 れんはぎこちない笑みを浮かべ、両手を広げて叫んだ。


れんくーん! 私を、私を抱き締めてー!」


 言葉と同時に膝から崩れる。

 膝が地に。

 しかしそれよりも早く、れんれんによって支えられた。

 叫びと同時に駆け寄ったれんが、れんを力強く抱き締める。


れんくん、れんくん……」


 れんの温もりが伝わってくる。抱き締めるれんの手も震えていた。

 こんな未来を見せられて、れんもきっと辛かった筈だ。

 なのに今、自分をこんなにも力強く、そして優しく抱擁してくれる。

 それがたまらなく愛おしくて、そして嬉しくて。

 れんれんの胸で泣いた。


 間近で感じるれんの匂いにほっとした。

 れんの優しさが伝わってくる。

 そしてれんは耳元でこう囁いた。


「大丈夫……れんは僕が守るから」


 その言葉に、れんの涙腺は崩壊した。

 れんを抱き締め、声を上げて泣いた。

 そうだ、私にはれんくんがいる。

 例えどんな未来だろうと、れんくんと二人でなら、きっと立ち向かえる。

 そう思った。





「落ち着いた?」


「うん……ごめんね、急に泣いちゃって」


 近所の河川敷に向かった二人は、石段の上に並んで座っていた。

 蓮司れんじは二人に遠慮して、「落ち着いたら来るといいよ」そう言って部屋に戻っていた。


「あ、そうだ! 大事なことを言うの忘れてたよ。れんくん、ごめんね」


「ごめんって、何が?」


「何がって、この世界に呼んじゃったことだよ。私ってば、れんくんの気持ちも考えずに」


「ははっ、今更だよね、れんは」


 そう言って傍にあった小石をつかみ、川に投げる。


れんはいつだってそう。思いたったら行動しなくちゃ気が済まない。そして受けなくていいトラブルまでしょい込んでしまう」


「……返す言葉もございません」


「本当、昔から変わらないよね。そういうところ」


「もぉっ、あんまりいじめないでよ。私だってその……自覚してるし反省だってしてるんだから」


「でも僕は、そんなれんが好きなんだ」


れんくん」


「弾丸娘、走り出したら誰にも止められない。そして後になってから謝ってくる。本当、れんといると退屈しないよ。

 でもれんはいつだって、誰かの為に行動してきた。決して自分の為じゃなかった。

 それに気付いた時にはね、僕はもうれんのことしか考えられなくなってたんだ」


 その言葉に、れんの顔が見る見る赤くなっていった。


「ミウは僕にこう言った。『れんくんが嫌だったら、無理に勧めたりはしないよ』って。今、れんの置かれている状況を理解して、僕は僕の意志でここに来たんだ。だからね、謝る必要なんてないよ」


「うん……ありがとう」


 れんの言葉にほっとしたれんが、そう言ってにっこり笑った。


「それで? これかられんはどうしようとしてるのかな。手伝えることがあるなら言って欲しい」


れんくんにそう言ってもらえると、何だか心強いよ」


「とんでもない未来になってたね」


「本当、そう思う」


「僕たち、10年後には違う道を歩いてるんだね」


「……うん」


「それに僕は、作家になる夢を諦めていた」


「聞いたんだ」


「うん。やっぱり気になってね」


「ごめんね。私たちのことだけじゃなく、れんくんの未来まで見せちゃって」


「いいんだ。僕も少しほっとしたから」


「そうなの?」


「うん。蓮司れんじさんに聞いたと思うから、今更隠さないよ。届きそうにない夢を重荷に感じている、それが今の僕なんだ」


「……」


蓮司れんじさんの話だと、これからあと5年くらいは頑張るみたいだけどね。でもこういう結末になるんだったら、今ふんぎりをつけるのもありかなって思った」


「そんな」


 れんが激しく首を振る。


「駄目だよれんくん、そんな哀しいこと言わないで。こんな未来を見せた私が言うのもおかしいけど、私はれんくんの書く物語が好きなの。れんくんが思い描く世界は、誰にも書くことが出来ないれんくんだけの物なの。それを一人でも多くの人に読んでもらいたい、そう願ってるの」


「ありがとう。昨日もね、蓮司れんじさんとそんな話をしてたんだ」


蓮司れんじさんは何て」


「決めるのは僕だって。確かに君は過去の僕だけど、同じ未来に辿り着くかは分からないって」


「だったら」


「うん……だからね、正直言うと悩んでる。迷ってるんだ。これからどう生きていくのか、どんな未来を思い描くのか、真剣に考えなくちゃって思ってる」


「……」


「勿論れんには相談するよ。決めたことも報告する。確かに今、僕たちは辛い未来を見てる。でも、これだけが未来じゃない筈だ。僕たちがどう生きていくかで、未来だってきっと変わると思う。だからね、れん。ちょっとだけ時間をくれないかな」


れんくん」


「この夢は僕一人の夢じゃない。僕とれん、二人の夢なんだ。勝手なことはしないよ」


 その言葉に、れんの胸は温かくなった。


 蓮司れんじ花恋かれんに、「君との未来の為に夢を捨てる」と言った。その言葉が花恋かれん逆鱗げきりんに触れた。

 でも今、れんはこう言った。「この夢は二人の夢なんだ」と。

 蓮司れんじれんは同じ黒木蓮司くろきれんじ。でも、全く同じではないんだ。

 そしてれんは今、蓮司れんじにはなかった「未来を見る」という経験をしている。

 未来はもう変わろうとしているんだ。

 未来は確定していない。自分たちの手で切り開くことが出来るんだ。

 穏やかな川面に視線を移し、れんは力強く拳を握り締めた。


 大丈夫。みんなが幸せになれる未来。

 私とれんくんなら、きっと作ることが出来る。



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