第15話 髪


「悪い冗談かと思ってたんだけど、本当だったんだね」


 そう言って微笑んだ花恋かれんが、ティーカップをテーブルに置いた。


「初めまして、でいいのかな。10年後の世界にようこそ、れんちゃん」


 蓮司れんじと会った時とはまた違う、変な緊張感を感じながら、れんはうなずき紅茶を口にした。





 この世界の花恋かれんも、一人暮らしをしていた。

 ミウから住所を聞き訪れた場所。そこはれんの実家から徒歩5分ほどの場所にある、二階建てのハイツだった。


 花恋かれんと会って最初に驚いたこと。

 それは、腰の辺りまである髪がばっさりと切られていたことだった。

 肩に少しかかる程度になっているその姿に、れんは様々な思いを巡らせていた。


「髪」


「え?」


「さっきから髪ばっか見てるよね、れんちゃん」


「あ、いえ……ごめんなさい」


 頭の中を覗き込まれたような気がして、れんが思わずそう口にした。


「まあ、仕方ないかな。れんちゃんの頃の私って、自分の髪を気に入ってたし」


れんくんも……ですよね」


「うん。確かに蓮司れんじも、褒めてくれてたね」


「はい」


「だから切ったの」


「……」


「私たちが別れてるって、もう知ってるんだよね」


「はい……蓮司れんじさんから聞きました」


「色々あったんだ、私たちも。れんちゃんの頃から10年、10年だからね」


「そう……ですね」


「あいつと正式に別れて、もう3年になるし」


「正式にって、どういうことですか」


「大学卒業の頃には、連絡を取り合うこともほとんどなくなってた。たまに連絡が来て、一緒にご飯を食べに行って、近況報告をして。そんな状態が3年ぐらい続いてたんだ。そしてある時、私の方から言ったんだ。『私たちの関係、これって続ける意味ある?』って」


「……」


「あいつも同じことを感じてたみたい。だからあいつも、『確かにそうだね』って言った。

 で、形だけのお付き合いもそこで終わり。お互い新しい道を進んでいこうってことになったんだ」


「今は、その……蓮司れんじさんと会うことは」


「会ってないね。まあ同じ街にいた訳だし、道ですれ違うぐらいはあったよ。でも話をする訳でもなく、まあ……挨拶程度、かな」


「……」


「で、あいつと別れてしばらくして、ばっさり切ったんだ。その髪」


 そう言ってれんの髪を見つめた。


「それはその……よくある、失恋した時に髪を切る、みたいなことだったんでしょうか」


「う~ん、ちょっと違うかな。蓮司れんじが好きな髪だから切った、そんな感じ?」


「そんな……」


 花恋かれんの言葉に、れんの瞳が濡れてきた。


「あいつはもう、私の彼氏じゃない。あいつが褒めてくれた髪、好きだと言ってくれた髪を切ることで、私も気持ちを切り替えたかったんだと思う」


「嘘」


「嘘じゃないよ。だって蓮司れんじと別れても、私の人生は続いていくんだよ? 新しい出会いだってあるかもしれないし、いつまでも過去を引きずる訳にはいかないでしょ。言ってみれば私の決意、決意だったのよ」


「嘘です。だって花恋かれんさん、髪の話をしてる時、私の目を見てません」


「それは……」


「私と花恋かれんさん、年は違うけど同じ赤澤花恋あかざわかれんなんです。私、自分の癖ぐらい分かってます。私は嘘をつく時、どうしても相手の目を見れないんです」


 涙を浮かべ、花恋かれんをみつめる。その視線の強さに、花恋かれんは小さくため息をついてうなずき、れんの頭を優しく撫でた。


「悪かった、悪かったわ。だからほら、泣かないで。いくら自分相手と言っても、10歳も下の女の子を泣かせてるって思うと辛いから」


 ハンカチでれんの涙を拭う。そして紅茶に砂糖をもう一杯入れると、飲むようにうながした。


「……」


 口いっぱいに甘みが広がっていく。




 この世界に来てから、ずっと気を張っていた。

 想像もしてなかった未来。

 まるで今の自分が否定されているような、そんな気持ちにさえなっていた。

 そんなれんの心を、紅茶の甘みが優しく癒してくれる。

 ほっとする、そんな感情が沸き上がってきた。




れんちゃんの言う通りかもね。私が今言ったこと、全部が嘘って訳じゃない。ただ、そうだね……そう言い聞かせてたってのもあると思う」


「……」


「降参、降参するからさ、そんな目で見ないでって。髪を切ったのは、蓮司れんじへの当てつけよ」


「やっぱり、そうなんですね」


「あいつが好きだった髪を切って、その姿をあいつに見せる。あんたがいなくても全然平気、私はこれっぽっちも落ち込んでませんよって言いたかったんだ。それから、その……ちょっとだけ、ざまあみろって思ってました、はい……」


 そう言って花恋かれんがうなだれる。耳が少し赤くなっていた。

 その姿を見て、れんは思った。

 ああ、やっぱりこの人は私だ。

 いつも強がって、勢いで周囲を荒らしてしまう。

 でも本当は脆く、少しでも傷つきそうになったら守りに入る。

 そしてそれすらも見透かされた時。その時はこんな風に、叱られた子供の様に大袈裟に落ち込んでしまう。

 そう思うと、口元が緩んできた。


「ふふっ……」


「えーっ? 何その笑い、ひどくない?」


「ふふっ、ごめんなさい。でもその……ふふっ、鏡を見て喧嘩してるみたいで」


「……確かに。その例えはあってるかも」


「でしょ?」


「だね」


 花恋かれんがそう言って笑顔を向けた。


「私らしいです。別れたから、当てつけでれんくんの好きな髪を切る。ふふっ……あはははっ」


「もおーっ、何よー。そんなに笑わなくてもいいじゃない」


「ごめんなさい、でも……あははははっ」


「あはははははっ」



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