第10話 親


 うつむき、肩を震わせるれん

 蓮司れんじは哀しげな視線を向けた。


蓮司れんじくん、どうかしたの?」


 後ろを向き床を見つめる蓮司れんじに、弘美が声をかける。


「あ、いや……なんでもないよ、弘美さん」


「と言うか母さん、蓮司れんじが帰ってきたらいつもそれだ。いい加減やめろよな」


 智弘が声を荒げる。


「そんなこと言ったって」


「そんなことも何もないんだよ。母さんがそうやってれんちゃんの悪口言うから、蓮司れんじも家に寄り付かなくなるんだぞ」


「だってそうじゃない。れんちゃんがあのまま蓮司れんじといてくれてたら、母さんだって何の心配もなかったんだから」


「そうやって母さんの気持ちばっかり押し付けるなって、俺は言ってるんだよ。少しは蓮司れんじの気持ちも考えてやれよ。蓮司れんじだって昔の彼女、幼馴染の悪口ばっかり聞かされてたら、たまったもんじゃないだろ」


「私は親なんだよ? 子供の心配するのは当然じゃない」


「心配はしてくれていいよ。俺が言いたいのはそうじゃなくて、母さん、口を開けば愚痴ばっかりじゃないか。れんちゃんは俺にとっても幼馴染なんだ。その子のことを悪く言われて、いい気がしないことぐらい分かるだろ」


 智弘の言葉に昌子が口ごもる。

 さっきまでの和やかだった食卓が、一気に重苦しい雰囲気になっていた。


「ま、まあまあ……ひろくんもそのぐらいで」


 重い空気を何とかしようと、弘美が間に入って智弘をなだめる。


「お義母さんもね、久しぶりに蓮司れんじくんが帰ってきたから、嬉しくてテンション上がってるんだよ」


 弘美の気遣いを感じた智弘が、小さく息を吐くとビールを口にし、「まあ、そうなんだろうけど……」そうつぶやいた。


「母さんだってね、別にれんちゃんの悪口を言いたい訳じゃないんだ。でもね……あんたらも親になったら分かるよ。親ってのはね、いくつになっても子供が可愛いものなの。例え蓮司れんじに駄目なところがあったとしても、それでも私からしたら、れんちゃんが蓮司れんじを見限ったようにしか思えないんだよ」


「分かってる、分かってるから」


 蓮司れんじがそう言って、昌子の震える手に自分の手を重ねた。


「母さんの気持ち、ちゃんと分かってるから。僕を思ってくれてることもね。でもね、花恋かれんのことをそんな風に言ってほしくない。母さんだって花恋かれんのこと、生まれた時から知ってるんだろ? 母さんにとっても花恋かれんは、可愛い女の子の筈じゃないか」


「……そうだよ。私もれんちゃんのこと、自分の娘みたいに可愛く思ってたよ。だからこそ、れんちゃんがあんたを捨てたのが辛いんだよ」


「いや、だから……捨てたとか捨てられたとか、そんなんじゃないんだって。恋愛ってのはそんな単純なものじゃない。人の心は誰にも分からないし、縛ることも出来ないんだって」


 諭すような蓮司れんじの言葉に、昌子も落ち着きを取り戻していった。そして大きくため息をつくと立ち上がり、台所に向かいタッパーを袋に入れ出した。


「これ、持って帰りなさい。家でもちゃんと食べるんだよ」


「ありがとう、母さん」


「でもまあ……れんちゃんがいてくれたから、あんたは小説家なんて馬鹿な夢を諦めてくれた。それだけは……れんちゃんに感謝してるよ」


 捨て台詞のような言葉を残して、昌子は部屋へと戻っていった。

 その言葉に、蓮司れんじよりも智弘が反応した。立ち上がり何か言おうとした智弘を、蓮司れんじと弘美が同時になだめる。


「……」


 蓮司れんじがもう一度れんに振り返る。

 れんは膝に顔を押し付けたままだった。





「すまなかったな」


「いや……帰ってきたらこの話になる、分かってることだから」


「まあ、言ってることの半分ぐらいは嘘なんだ。本音のところじゃ、れんちゃんとお前がよりを戻すこと、今でも夢見てるんだしな」


「なんだよそれ、ははっ」


 昌子が去ったテーブルで、蓮司れんじは智弘と飲み直していた。

 弘美は昌子のことが気になると、部屋に行っていた。


「それくらいお前らが付き合った時、喜んでたってことだよ」


「兄貴を差し置いて」


「全くだ。あの時の俺には、まだ一人の彼女もいなかったんだからな」


「女友達は山ほどいたのにね」


「でも付き合いたいって思える女には出会えなかった。だからお前がれんちゃんと付き合い出した時、結構ダメージくらったんだぞ」


「でも今では、あんないい嫁さんがいる」


「まあな」


「しかも僕と花恋かれんみたいに、『智弘』と『弘美』。同じおんが入ってる人と」


「おいおい、まだそれを言うか」


「ずっと言うけどね」


「お前なぁ……勘弁してくれよ本当。いつも言ってるけど、偶然だったんだから」


「弘美さんの名前を聞いた時は驚いたよ。僕と花恋かれんが『レン』って呼び合ってるのが、そんなに羨ましかったんだってね」


「確かにそう思ったことはあるけどな、それはそれ、これはこれだ。ただの偶然、偶然なんだからな」


「ははっ。でも弘美さんに『ひろくん』って呼ばせてるのを聞いたら、確信犯かと思っても仕方ないと思うよ。兄貴の名前なら普通、ともくんになるだろうから。花恋かれんだって兄貴のこと『智兄ともにい』って呼んでたし」


「ほんと、その辺のことも含めて……勘弁してください」


「了解。今日はこれぐらいで」


「てめえ」


「ははっ」


 兄弟がビールを飲みながら、楽しそうに語り合う。

 そんな中、れんは静かに立ち上がると、蓮司れんじの耳元で囁くように言った。


蓮司れんじさん。私ちょっと、おばさんのところに行ってきますね」


「大丈夫なのかい?」


「ん? 何か言ったか?」


「あ、いや、何でもない」


 笑顔で誤魔化した蓮司れんじが、れんに向かい小さくうなずいた。


「それで? 結局お前は行かなかったのか?」


 智弘がビールを一口飲み、思い出したように聞いた。


「どこに?」


「どこにってお前……あったんだろ、同窓会」





 扉越しに昌子と弘美の声が聞こえる。

 れんは少し緊張気味に扉を開けた。


「……」


 れんはこの世界で、蓮司れんじ花恋かれんにしか認識されない。れんが扉を開けても、昌子たちにはその現象すら認識されない。ミウの言った通りだった。

 ほっとした表情を浮かべ、れんが二人の元へと歩いて行く。


 絨毯の上に座っている二人。昌子の手にはアルバムが持たれていた。


「この頃から、ずっと仲良しだったのよ」


 開かれたページには、れんれんが小学校の正門前で手を繋いでいる写真が貼ってあった。


「入学式の時の写真よ。二人ともかわいいでしょ」


「そうですね。でも蓮司れんじくん、ちょっと緊張してますよね」


「お父さんが写真を撮るって言ったら、急に怖い顔になってね。蓮司れんじ、この頃から写真が苦手だったから」


花恋かれんちゃんはこんなにいい笑顔なのに」


蓮司れんじがあんまり緊張するものだからね、れんちゃんが手を握ってくれたの。そうしたら少しだけ蓮司れんじ、落ち着いた感じになって」


「でも……いいですね、幼馴染って。そういう人、私にはいなかったから羨ましいです」


「この子たちは幼馴染って言うより、兄妹って感じだったと思う。それくらい、いつも一緒にいたから」


「そうなんですね」


「みっちゃんと私はね、ここに越してきた頃から仲が良かったの。毎日会ってたわ。だからあの子たちも、お互いの家を自分の家みたいに思ってたんじゃないかしら。よく泊まりに来たり行ったりしてた」


 みっちゃん。


 れんの母、赤澤みつ子のことで、昌子とは互いに「まぁちゃん」「みっちゃん」と呼び合う仲だった。


「よくみっちゃんと話してた。二人共このままずっと一緒で、大人になったら結婚するんじゃないかって。私もみっちゃんも、そうなることを望んでたような気がするの」


「ふふっ」


「だから二人が付き合い出した時は、本当に嬉しかった。変な言い方になるけど、我が子二人が一緒になってくれた、そんな風に思ったものよ」


「そうなんですね」


「でも……長く続かなかった。私もね、蓮司れんじの言ってること、ちゃんと分かってるつもりなの。いくら好きな気持ちがあっても、それだけじゃうまくいかない。恋愛は本当に難しいって」


「ですね……」


「でも辛かった……こんなことになるんだったら、二人共付き合わなければよかったのにって思ったわ。あのまま仲のいい幼馴染だったら、今でもれんちゃん、遊びに来てくれてたかもしれない」


「お義母さん……」


「私にとっては、れんちゃんも大切な我が子だった。でも二人は別れてしまって、そのおかげでれんちゃん、それ以来この家に来ることもなくなって……私、寂しいのよね、きっと。

 れんちゃんと、また昔みたいに話したいな……弘美ちゃんだって、きっと気に入ってくれたと思う。姉妹みたいに仲良くなれたと思う」


「そうかもしれませんね」


「でも、それは夢だった……私だって本当は、れんちゃんのことを悪くなんて言いたくないの。だって私、れんちゃんのこと大好きなんだから」


「分かってます、分かってますよ、お義母さん」


「でも……蓮司れんじの顔を見てたらね、どうしても……あの子、れんちゃんと別れてから、本当に笑わなくなったし……そんなあの子を見てたらね、辛くて……」


 弘美は昌子の肩を抱き、「大丈夫ですよ、お義母さん。蓮司れんじくんなら大丈夫、大丈夫ですから」そう囁くのだった。


 そんな二人を見つめながら、れんは涙を浮かべ、「ごめんなさい……ごめんなさい、おばさん……」そう何度も謝るのだった。



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