第8話 傷心


 電車を降りると、見慣れた景色が広がっていた。


 蓮司れんじから告げられた事実。

 それを受け止めきれずにいたれんだったが、10年後も変わらない街の雰囲気に、少しほっとした表情を見せた。

 そんなれんを見て、蓮司れんじが優しく微笑む。

 夕陽を背にした蓮司れんじの笑顔に、またれんの鼓動は早まった。




 何よ。蓮司れんじさんってば本当、格好いいじゃない……未来の私、この蓮司れんじさんに何の不満があったってのよ。




蓮司れんじさんは、その……未来の私のこと、もう好きじゃないんでしょうか」


「ははっ、剛速球が来たね」


 少しは動揺するかと思っていた。しかしそう聞かれることを予測していたのか、蓮司れんじは笑顔でその言葉を受け止めた。


「僕は花恋かれんのこと、今でも好きだよ」


「本当ですか」


「うん。れんちゃんに嘘ついても仕方ないからね。別れて何年にもなるけど、今でも僕は花恋かれんが好きだ」


「だったら」


「でもね、さっきも言った通り。恋愛というのは、相手がいて初めて成立するんだ。僕がいくら想っていても、それだけじゃ続けられない」


「じゃあ、私が蓮司れんじさんと距離を置いたってことですか? 蓮司れんじさんの気持ちは変わってないのに、私が」


「いやいや、そうは言わないよ。花恋かれんだって僕のこと、嫌いになった訳じゃないと思う。ただ好き嫌いだけで何とかなるほど、男女の関係は簡単じゃないってことなんだ」


「でも蓮司れんじさんは私のこと、好きでいてくれてるんですよね。だったら」


れんちゃん」


 少し声を落とし、諭すように蓮司れんじが言った。


「好き嫌いだけじゃない、今言った通りだよ。僕が花恋かれんを好きだって気持ち、それは本当だ。僕は多分これからも、花恋かれんの幸せを願いながら生きていくと思う。ちょっとストーカーっぽいけどね」


 茜色の空を見上げて蓮司れんじが笑う。


花恋かれん以上に好きになれる人はいないと思うし、出会いたいとも思わない。でもそれでも、花恋かれんとまた付き合うことはないと思う。恋愛って本当、難しいから」


「もし未来の私が、やり直したいって言ったら」


「仮定の話には答えられないかな。それにその気持ちは、花恋かれんじゃなくれんちゃんの気持ちだ。君は僕にとって大切な幼馴染だし、そう言って貰えて嬉しいよ。でもそんなことは起こらないし、万一あったとしても……ね」


 それ以上は聞かないでほしい。蓮司れんじの心の声が聞こえたような気がした。

 れんは言葉を飲み込み、またうつむいた。


「まあれんちゃん、折角ここまで来たんだ。精霊に願いを叶えてもらう、そんな一生に一度あるかないかの経験をしてるんだ。このイベント、しっかり楽しまないと」


「私の願いは、未来を見ることじゃないんです。二人の幸せな姿を見て、二人を冷やかして、思い出話に胸をときめかせて……それが望みだったんです。それなのに……」


「難しいね、男と女って言うのは……いや、人と人ってのは、かな」




 いつも二人で歩いた道。

 それだけで、れんにとってこの道は特別なものだった。

 この道には、たくさんの思い出が詰まっている。

 時には言い合いもした。れんを困らせたこともあった。

 笑った、怒った。そして泣いた。

 この道は私とれんくん、二人の歴史そのものなんだ。

 それは10年後だって変わらない。

 ただ違うのは、もう二人で歩くことがないんだということ。

 そう思うとまた、瞳が濡れてきた。





「ただいま」


 ドアを開けた蓮司れんじと一緒に、見慣れた玄関に入る。

 すると中から、物凄い勢いで走ってくる女の姿が目に入った。


蓮司れんじくんおかえりっ!」


 声と同時に蓮司れんじに抱き着く。その勢いに押され、れんは後ずさった。


「弘美さん、ただいま……って言うかそれ、やめてくださいといつも」


「なーに言ってるんだか。蓮司れんじくんってば、私がいくら言っても帰って来ないんだから。こうして帰ってきた時ぐらい、蓮司れんじくんを堪能しないとね」


 弘美と呼ばれた女が、嬉しそうに蓮司れんじに頬ずりする。明らかにれんより大きい胸を押し付ける。

 その光景に圧倒されたれんだったが、やがて我に返ると、顔を真っ赤にして声を上げた。


蓮司れんじさん! どういうことですか!」


「あ、いや、その……これは違うんだ」


「え? 何が?」


「あ、今のはその」


 蓮司れんじが慌てて口を閉じる。れんちゃんは自分にしか見えないんだった、そう思い笑って誤魔化す。


「そんなことより! 蓮司れんじくん、ちょっと瘦せたんじゃない? ちゃんと食べてる?」


「食べてる、食べてるから。それよりいい加減離してくださいって、義姉さん」


「義姉さん?」


 蓮司れんじの言葉をれんが繰り返す。


「まーたまたまた、蓮司れんじくんには特別、名前で呼ぶことを許可してるんだから。義姉さんなんて他人行儀な言い方しないの」


「いやいやいやいや、普通は逆だから。名前で呼ぶ方が他人行儀だから」


「相変わらず細かいなぁ蓮司れんじくんは。まあいいわ、今日はじっくり付き合ってあげるからね。その分だとどうせ、ちゃんとしたものも食べてないんでしょ。お腹いっぱい食べさせてあげるから」


 そう言って手を取り中へと進む。

 蓮司れんじは「分かった、分かったから弘美さん、靴脱がせてよ」と苦笑する。





 黒木弘美。

 蓮司れんじの兄、智弘の妻。

 蓮司れんじにとって義理の姉に当たる女性との邂逅だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る