第2話 ミウ


 気が済むまで叫んだれんが、何度もまばたきしながら子猫を凝視する。


 この子猫……今、喋ったよね。


 そんなれんを見て、子猫はもう一度かわいく鳴いた。





 子猫に出会ったのは、遡ること数時間前。

 今日こそはれんくんと。

 そう意気込みながら、いつもの神社に着いた時だった。

 れんの大きな瞳に、軒下で震えている子猫の姿が映った。


「どうしたのかな、あの子」


 駆け寄ったれんは、子猫をそっと抱き上げた。


「大丈夫? 子猫ちゃん、どうしたの?」


 れんの問い掛けに、子猫は微かに目を開くと、弱々しい声で鳴いた。


「この子震えてる……れんくん、どうしよう」


「呼吸が弱くなってるし、病気なのかもしれない。病院に連れて行った方が」


「だよね……でもその前に」


 れんは子猫を膝に置くと、買っておいたミルクを掌に注いだ。


「ひょっとしたらこの子、お腹が空いてるのかも知れないから」


 そう言って手を向けると、子猫は鼻をひくひくさせた。そして口を開けると、舌で掌のミルクを舐めだした。


れんくん! 見て見て! やっぱりこの子、お腹が空いてたんだよ!」


 れんが嬉しそうに声を上げる。その笑顔にれんは赤面し、「う、うん……そうみたいだね……」そう言ってうつむいた。


 ミルクを舐める舌の動きが、力強くなっていく。そして最後の一滴を舐め終わると、ゆっくりと体を起こして体を振った。


「やった! 子猫ちゃん、復活した!」


 歓喜の声を上げて子猫を抱き締める。


「よかったね、元気になって」


 そう言ってもう一度膝の上に置くと、子猫はれんの手を舐め、元気よくジャンプして地面に降り立った。

 そして二人を見てもう一度鳴くと、その場から走り去っていった。


「行っちゃったね……でもよかった」


 子猫の行った先を見つめながら、れんが微笑む。


 その笑顔にれんは見惚れ、そして静かに決意したのだった。





「さっきは本当にありがとう、れんちゃん」


 子猫がそう言って目を細める。


「猫と話してる……何で? 私今日、変な物でも食べた?」


れんちゃんは変じゃないよ。突然猫に話しかけられたんだ、驚いて当然だよ」


「……あなた、本当に猫?」


「いいところに気付いたね。うんうん、少し落ち着いたみたいでよかった」


「よかったも何も、こうしてあなたと話してるんだし……よく分からないけど、受け入れるしかないでしょ」


「あははっ、確かにそうだね。でも、切り替えが早くてよかったよ。あのままずっとパニックになってたら、僕も立ち去るしかなかったからね」


「お礼を言いに来たって言ったよね」


「うん。本当に助かったからね。元々僕たちは、そんなに食事を必要としない。食べなくても活動に支障はないんだ。でもたまに補充しないとエネルギー不足になって、さっきみたいなことになっちゃうんだ」


「と言うことはあなた、猫じゃないのね」


「そうだね、猫じゃない。君たちに分かるように言うなら、精霊ってところかな」


「精霊……」


「世のことわりを維持する為に見守っているもの。こう言った方がいいかな」


「神様ってこと?」


「違うよ。僕らは言うなれば、神様の仕事を手伝う存在」


「……脳が追い付かない」


 そうつぶやいたれんがうつむき、肩を震わせた。


れんちゃん?」


「駄目だああああっ! 脳が、脳が追い付かないいいいっ!」


 そう叫んだれんは枕に顔を押し付け、何度も何度も「きゃー! きゃー!」と声を上げた。





「……落ち着いた?」


「うん……ごめんね。私ってば、容量キャパを超えるとこうなっちゃうんだ」


「あははっ、それはまた変わった癖で」


「それで? あなた、名前は何て言うの?」


「れ、れんちゃん……切り替えが早いんだね」


「だって、どれだけ否定しても猫と話してるのは本当だし、そんなあなたが言うんだから、精霊なんでしょ。理解は出来ないけど、納得するしかないじゃない」


「ま、まあ、そうだね……ずっとパニックになられてても困るし……僕はミウって言うんだ」


「ミウちゃんか。かわいい名前だね」


「ありがとう、れんちゃん」


 れんの言葉に気を良くしたのか、ミウと名乗った子猫がそう言って一声鳴いた。


「それで? ミウはどうしてここに来たの?」


「さっきも言った通り、助けてもらったお礼がしたくてね」


「お礼だなんて、そんなのいいっていいって。ミルクなんて安いものだし」


「でもれんちゃんに会ってなかったら、今頃僕は消えていたかもしれないんだ」


「そうなの?」


「うん。さっきも言った通り、僕たちは滅多に食事をしなくていいんだ。でもだからといって、必要ない訳じゃない。エネルギーが底をついたら、僕たちはこの世界から消えてしまう」


「そんな大事なことなのに、あんな風になるまで放置してたんだ」


「いや、あははっ……滅多に摂取しないから、ついつい忘れちゃうんだよね。それで気付いた時にはもう動けなくて。そんなこと、よくあるんだ」


「精霊のイメージがどんどん崩れていく……ミウって、ひょっとしてドジ?」


「言わないで、それは言わないで」


「あはははっ。それでわざわざ来てくれたのね、ありがとう」


「それでね、もしよかったらお礼をさせてほしいんだ」


「そんなのいいってば。こうしてお礼を言いに来てくれただけで十分だよ。それにね、今日はいいことがあったんだ。今の私はハッピー全開、これ以上ないってぐらい幸せなんだ」


「それってキスのことかな」


「えっ! ミウ、見てたの?」


「ごめんね、勝手に見ちゃって」


「誰にも見られてないって思ってたのに……きゃー! きゃー!」


 またしても枕に顔を埋めるれん。そんな彼女に、やれやれと言った表情でミウが首を振る。


「……あのキスだって、ミウのおかげかもしれないし」


「そうなのかい?」


「うん。だってあの後すぐだったもん。キスされたの」


「きっと、れんちゃんの優しさにときめいたんだね」


「そうなのかな……ふふっ、そう言われると恥ずかしいな」


「大好きな人とキス出来て、幸せなれんちゃん。確かにこれ以上何もいらないのかもしれないね。でも、それだと僕の気が済まない。僕にも精霊としてのプライドがあるからね」


「プライドかぁ……でもそう言われちゃったら、断るのも悪いよね」


「うんうん、何かないかな。どんなことでもいいよ。なんでも一つだけれんちゃんの願い、叶えてあげる」


「うーん……」


 れんが天井を見つめて考える。


「願い……一つだけ、私の願い……」


 そしてふと、何かを思いついたようにうなずくと、ミウを見てにっこり笑った。


「ふふっ……ねえミウ。私、思いついちゃったかも」


「うんうん、何かな」


「私、見てみたいものがあるんだ」


「いいよ、何だって叶えてあげる。何が見たいのかな」


「私と……私とれんくんの未来。二人の未来の姿、見てみたい!」



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