第2話



 幸彦と姫香がやって来たのはバブル時代に栄華えいがを思うままにした温泉街です。回収するあてもないアブク銭が湯水のごとくつぎ込まれ、観光地にリゾートホテルが乱立した時代。そんな偽りの繁栄期がこの日本にも間違いなくあったのでございます。


 されど泡沫うたかたは弾けて消えるもの。


 無限の経済成長という夢は冷め、後に残ったのは膨大な借金ばかりでした。企業や投資家もこぞって掌を返し、人でにぎわった温泉地もいつしか寂れるばかりで数多の旅館やホテルが閉鎖へと追い込まれました。


 そして、姫香の祖父が経営していた「竜宮亭りゅうぐうてい」もそんな旅館のひとつでした。


 場所はK川の上流、流れに面した絶壁……そう、そこは崖としか形容しようがない傾き四十度を超えた急斜面なのです。観光地の僅かな土地すらも無駄にしないあきれた強欲さがこのような奇跡を生み出したのでございましょう。

 サルノコシカケにも似た土台に旅館が建っているのでした。

 現代人が見ればギョッとする立地条件に建つ廃墟の群れ。崖にキノコのごとく生え出た旅館たちが 引き取り手もなく、ちるがまま放置された結果なのです。


 竜宮亭はそんな廃墟の中でもひときわ異彩を放っており、文字通り竜宮城をイメージした異国情緒ただよう外観を辛うじて保っていました。玄関を支える柱と、縁取られた窓枠は全てオレンジ色。漆喰しっくいの白壁はひび割れ、屋根の造りは古代中国か琉球を思わせるしゃちほこつきの瓦屋根なのでした。


 幸彦はそれを目にした途端、感嘆せずにはいられませんでした。

 崖っぷちの竜宮城なんて、これまで想像した事すらなかったものですから。



「アレですか? 一番下側の? なんかもう岸壁ギリギリなんですけど。真下はすぐ激流じゃないですか。いくらなんでも雰囲気ふんいきありすぎ、THEホラーって感じっス!」

「凄いでしょ? 昔はあれより下の斜面にも何件か旅館があったんだけどねぇ。台風が来た時に『大きな崖崩れ』があって全部なくなってしまったのよ。どうにか残ったのがあの竜宮亭ってわけ」

「怖すぎません?」

「訳アリの廃墟だからね。あたり一帯を廃業においやった原因らしいわ、その崖崩れ。以前から客足は遠のいていたみたいだけどね」

「ひえー、俺たちが泊っている間に崩れたりしませんよね?」

「大丈夫でしょ一晩くらい。スリルがあって良いじゃない」

「物理的なスリルは求めてないんですけど」



 散々文句を言っていた幸彦ですが、そこは根っからの廃墟マニア。

 石段を登って竜宮亭に入ると奇声を発しながら携帯で写真を撮り始めました。



「これはいい、最高のシチュエーションですよ。このはがれかけた漆喰。割れたガラス窓。外の景観も最高。これぞ時間の作りし芸術って奴です」

「現役時代を知っている私としては、ちょっと複雑かな」

「あっ、すいません。気が利かなくて」

「良いのよ、その為に幸彦くんを呼んだのだから。めてもらえた方が亡くなった祖父も喜ぶでしょう。なんせ変わり者だったから」

「こんな内陸に竜宮城なんて確かに変わっていますね」

「この辺りにも浦島太郎の物語によく似た話が伝わっているの、元になったのはそれかな」

「まず海がありませんけど」

「揚げ足取らない。河原で助けた亀に連れられて、水底の竜宮城へ行く話なの。最後は皆が良く知る例のオチ。竜宮城で乙姫と楽しく暮らしていたら、なんと地上では何百年もの時が流れていた」

「途方に暮れてお土産にもらった玉手箱を開けたら、煙がボン。浦島は老人になってしまった。なんて酷い話だ」

「元ネタの御伽草子おとぎぞうしではまた違う結末なんだけど、知らない? まだまだ勉強不足ね」

「へぇ? そうなんですか、後で調べてみようっと。でも元ネタと言えば日本神話にも竜宮城は出てきますよね。『山幸彦と海幸彦』の話。最古はそっちかも」

「はいはい、オタク君には敵いません」



 姫香は当時の思い出を振り返りながら館内を歩き回り、台所で足を止めました。

 その片隅にはきょうび珍しい餅つきのうすきねがあったのです。



「懐かしいわ。お爺ちゃんはあれで手作りの赤餅を振舞ってくれた。これを食べると長生きできるからって」

「優しい人だったんですね」

「どうだか、当時は私もそう思っていたんだけど」

「じゃあ今は?」

「大人になるとエゴイズムの意味が判ってくるもの。いやね、私ったら。素直に冥福を祈る場面だったわ、ここは」



 姫香が手を合わせて祈る姿勢を見せたその時でした。

 幸彦は耳をそばだてて呟きました。



「なんか……おきょうが聞こえてきませんか?」

「お経って、お寺じゃないのよ?」

「でも確かに」

「まさか……!」



 姫香は足早に台所を出て吹き抜けの螺旋らせん階段を上り始めました。

 幸彦も慌てて後を追うと、彼女が向かったのは三階の奥にある一室です。


 どうやら聞こえてきた読経どきょうは、その部屋より漏れ出ているようでした。

 荒々しく扉を開くと、そこには袈裟けさと法衣をまとった後姿があったのです。



「やはり、貴方ね! こんな所まで来るなんて。何様のつもり」

「やれやれ、それはこっちの台詞なんですがね、姫香さん」



 振り返った男は幽霊の類ではなく、生身の人間でした。

 あたかも大仏のような微笑をたたえた中年男性、僧侶なのは坊主頭と格好から一目でわかりますが、姫香のただならぬ剣幕から良好な関係でないのもまた一目瞭然でした。放っておけば喧嘩になりかねない勢いなので、幸彦は二人の間に割って入りました。



「こちらの方は先輩のお知り合いですか?」

「知り合いなんて生易しいモンじゃないわ。こんな奴、悪質なストーカーよ。祖父のことをしつこく嗅ぎ回って私の職場まで押しかけてきたの」

「おやおや、酷い言われようですな。まぁ、しつこいのは確かですが。拙僧、御仏に仕える身でありながら探偵の真似事をやっております。先代住職より今際いまわきわの依頼を受け、ある盗難事件を調べているのです」

「私は何も知らないと言っているでしょ?」

「先輩、落ち着いて下さい。まずは事情を聴いてみないと」

「ふむ、そちらの方は道理の分かる御仁のようだ。では一から説明しましょうか……そうそう、申し遅れました。拙僧は浄土ヶ浜珍念というものです」



 珍念和尚は十年前に盗まれた「ある財宝」の行方を探していたのです。



「それが『人魚のミイラ』まったく与太話に聞こえるでしょう? ですがこれは事実なのです。その世にも珍しい秘蔵の宝が、寺の蔵から忽然こつぜんと消え失せたのです」

「先輩の祖父が犯人だと……疑っているのですか?」

「単刀直入に申せばそうです。彼女の祖父、織戸島ノ助は相当な人魚狂いだったそうですね? この部屋を見ればわかる」



 珍念が言う通り、その部屋は主人の性癖をあからさまに物語っていました。


 お経と坊主の衝撃インパクトで意識から抜け落ちていたものの、落ち着いて見渡せば不気味な品々が三人を取り囲んでいたのです。


 油絵、石膏せっこう像、置物、ソファー、怪しげな剥製はくせいにオルゴールまで。そこにある品は全て人魚にちなんだものでした。



「コレクションルームという奴でしょうか? 生憎、ここに拙僧の求める品はないようですが。では、どこに消えたのか? それを姫香さんにお聞きしたいのです」

「ですから祖父は無実です! ミイラなんて知るものですか」

「うむ、いくら孫娘相手でも自分が犯した罪まで喋りはしないでしょうな。せめて心当たりでもないか……」

「あの、黙って聞いてりゃ、証拠もないのに失礼じゃないですか。ただ人魚好きってだけでもう容疑者扱いっスか?」

「事件の直前、島ノ助が何度も寺を訪ねては、人魚を譲るように交渉していたとしても?」

「うーん……」

「拙僧は確信していますよ。この竜宮亭に人魚が持ち込まれたとね」

「もう結構。楽しい旅行が台無しよ」



 我慢の限界を迎えた姫香が会話を強引に打ち切りました。



「貴方はこの廃屋を好きに探せばいいじゃないですか。その代わり、私達にはもう金輪際こんりんざい関わらないで」

「悪くない取引です。しかし、貴方たちは早急にココを出るべきだと思いますよ。この建物には強い怨念が渦巻いている。私の読経でも鎮めきれるか」

「大きなお世話って奴っス。それで、そのミイラっていうのは、どんな品なんですか? もし俺たちが見かけたら教えてあげますよ?」



 流暢りゅうちょうに語っていた珍念が、急に顔をしかめて言葉を濁しました。



「そ、それは、先代の記録が真なら、ミイラというのは表向きの方便ほうべんで……実際は死してなお腐り落ちることのない永遠の肉体だとか」

「なんです? 作り物のインチキじゃなくて本物の人魚? 人魚の死体? そんなもの、どこにもあるわけがないでしょう?」

「アンタには判らん話だ。それでは。取引の件、確かにうけたまわった」



 珍念はブツブツ言いながらコレクションルームを出ていきました。

 後に残された姫香は、深い溜息をついてから幸彦に向き直ったのです。



「とんだ横槍が入ったわね。さぁ、キャンプの続きといきましょう」


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