竜宮城から飛び降りて

一矢射的

第1話



廃屋群あそこは もう人間が行く所じゃねえよ。足元の明るい内に帰んな、学生さん」



 買い物ついでに 幸彦ゆきひこが行き先の情報収集を試みると、煙草屋の主人は顔をしかめてそう答えました。


 現地へおもむき地元民から詳細な話を聞くこと。つまりフィールドワークは民俗学の基礎基本ではありますが、こちらの素性が「学生の廃墟マニア」だと見破られてしまった場合は このように冷たくあしらわれる事も珍しくありません。

 おのれの好奇心を満たすため(あるいはSNSで高評価を稼ぐため)不法侵入すらいとわない下世話な連中……そのようなレッテルを世間様から張られているからです。


 けれど、この程度でめげてしまうようではあこがれの民俗学者にはなれません。

 幸彦は尚も食い下がりました。


「あのね、そりゃーこちとら大学生ですけど。別に持ち主の許可すら得ず、無断で押し入ろうってわけじゃないから。表に居る俺のツレを見てくれ」

「あん?」

「彼女の祖父が、昔あそこで旅館を営んでいたんだよ。過去の曖昧あいまいな記憶を頼りに、自身のルーツを探りに行く、言わば『自分探しの思い出旅行』って奴。それだけだから」

「へっ、自分なんざ、わざわざ探しに行かなくてもここに居るだろ」

「そう言わないで。竜宮亭って名前、どこかで聞いたことありません?」

「な、なんだって!?」



 正当性を語っただけなのに、白髪の店主は動揺して震え出したではありませんか。

 椅子から滑り落ち、タバコケースの裏に隠れんばかりです。


 ガラスケースのそばでは、ストーブに乗せたヤカンがシュンシュンと音を立てていました。



「あの、俺、そこまで驚くこと言っちゃいました?」

「ひ、姫だ。乙姫さまの帰還に違いねぇ」

「はぁ?」

「帰れ! 帰ってくれ! もう店じまいだ。今夜は物忌ものいみせにゃ」



 追い払われた幸彦の背後でシャッターが荒々しく閉じられました。

 唖然あぜんとする幸彦に連れである長身の女性が話しかけてきました。



「どうかした?」

「それが、よく判らないんですよ。廃墟の話を聞こうとしたら突然こわがりだして」

「そう……嫌な噂でも流れているのかもしれないわね。斜面の廃墟群はあんなにも不気味な外観だもの、無理もないわ」

「十年前まで営業していたんですよね? 『物忌みする』とまで言われましたよ」

「あらあら、私達もすっかり神様扱いね」

「そこ、笑う所!?」



 民間における物忌みとは? 「雨戸を閉ざして家にこもり、何が起きようと決して表を見ずに、厄災をやり過ごす」そのような儀式的慣例を指しています。来訪する神を「のぞき見る事」は、それだけで失礼に値する行為だと考えられていたからです。

 もし、その掟を破って神の姿を目にした者は「発狂するか、神隠しにあう」決まりなのです。


 N大学廃墟愛好会のOG・織戸姫香は、地元民からハレ物のように扱われたことなど歯牙にもかけていない様子でした。



「そう、ワタクシは織戸姫香おりとひめか。名前に乙姫が隠れているわね? そういえば小学校のアダ名も乙姫だったわ。乙姫の帰還。ふふふ、悪くないわね」

「まったく、よくもそこまで自分を美化できますね。」



 口ではあきれた態度を装いながらも、幸彦は心中で同意せざるを得ませんでした。


 姫香先輩のあでやかな黒髪は肩甲骨まで届き、彫りの深く芯の通った美貌は明らかに異国の血が混じっています。口元の黒子とべっこうぶちの眼鏡も彼女の魅力を上げるのに一役かっているようです。今でこそ登山服と防寒着で色気も何もありませんが、着飾れば竜宮城の乙姫に相応しい美女なのは間違いありません。時折くらい表情をのぞかせる事もありますが、そこもまたミステリアスで良いと幸彦は感じているのです。


 時刻は午後三時過ぎ、斜陽が長い影をアスファルトに張り付けています。

 姫香先輩は腕時計を一瞥いちべつすると、見とれる後輩を一喝しました。



「忘れ物は買えた? 用が済んだのならもう行きましょう。いつまでも民俗学ゴッコなんかしているとすぐ暗くなるわよ」

「あっ、それは大丈夫っス。暖を取る準備は暗くなる前に済ませないといけませんね。去年の『虎鳴きトンネル』では酷い目にあったから」

「結局ただの古いトンネルで、寒いだけだったわね。まっ、ウチの旅館も似たようなものよ。あまり期待しないでね」

「先輩と一緒ならどこでも天国ですよ。二人で廃墟を味わいつくしましょう」

「……それも今回で終わりかもしれないわ。私も就職して色々あったからサ、いつまでも遊んでいられないものね」

「え? えーと、そうか。そりゃそうですよね。もう大人なんだから」

「ごめん、今言うことじゃなかったかな。今日はたっぷり非日常を楽しみましょう」

「……はい」



 不意の宣告が幸彦を現実へと引き戻しました。どんなに付き合いが長かろうとも、二人は所詮サークルの仲間でしかなかったのです。


 しかし、この旅行でその関係が一変しようとは、幸彦には未だ知る由もなかったのです。未来とは、開けて驚愕の玉手箱。開けてみるまで中身は判らぬものなのでございます。



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