第9話 先進国の悪
「何?ヴァルク殿がこちらに来ているだと?」
「はい。何でも、反逆者を捉えてきたと」
「俺が行く。絶対に入れるなよ」
ルカはそう言って、部屋を飛び出していく。これまで大人しくしてきたというのに、一帯どういう風の吹き回しか。嫌な胸騒ぎだけが、ルカのなかで生まれていた。
(先代の王に負け、これまでずっと地方を治めるにとどまってきた。だがそもそもそんな程度で満足しない男だということは重々分かっている)
ルカは唇を噛みしめる。
ヴァルクを見たことは幼い頃に一度しかない。しかしその一度が目に焼き付いている。
大人とか子供とかではない。根本的な力の差、生物としての差、そして雄としての差。それが一目で分かってしまった。
(彼の男だけは姫様に近づけてはならない。……何としても)
ルカはさらに速度を上げ、門へと走って行った。
「さて、どうしたものかね」
村上は門の外に出て、一面に広がる草原を眺めていた。草木が風に揺れる平原など、山がちな日本ではそう見られない。ましてや東京に拠点を置いていれば尚更だ。
あの騒動から二日が経ち、村上は十分以上の報酬を得ていた。イアにも気に入ってもらえたようで、今は意見役として雇ってもらっている。
イアはその仕事に対して「大した額ではないですが」と申し訳なさそうにしていたが、それでも並の生活をするには十分すぎる。村上としては十分であった。
(残業無しで、仕事は呼ばれたときだけ。責任だってほとんどない。……なんだ。前の生活からすれば破格の待遇だな)
村上は遠い地平線を眺めながら、かつての政治家人生を思い出す。二世議員であり他の議員と比べれば…、いや、その実ありとあらゆる議員と比べても異常なほど速く出世街道を進んでいたが、それでも苦労は多かった。
マスコミ対応やネット炎上の回避。他の大臣の後始末や、総理の失言への対処など、若いと言うだけでやらされることが多く、矢面に立つことも多かった。
(あのときのマスコミは隙あらば俺に話を聞きに来たからな。流石に芸能人の不倫のことを聞かれたときは呆れてしまったが)
しかしそれは村上がそれだけ影響力があることを意味していた。そこらのインフルエンサーなんかよりもよっぽど発言に影響力があり、老若男女問わず彼の言葉を聞いていた。
村上が問題を指摘すれば、次の日の報道番組ではその問題に関する議論がされている。村上がどこかの企業に見学に行ったことがニュースになれば、その企業の売り上げや株価がアップする。それぐらい村上は注目されていた。
そしてその注目を利用し、村上は着実に力を蓄えていた。幅広い一般人気と、固い地盤作り、彼は二世議員としては破格なほどに優秀で、それでいて有能であった。
ただ運に恵まれなかっただけで。
「ん?なんだあれは?」
遠くから馬車がやってくる。
「この世界にも馬車はあるのか」。そんな風に感心する一方で、その馬は今まで見てきたものよりもさらに大きく、馬も想像より数段大きかった。
(こちらに近づいてくるということは、この町に用がある貴人といったところか。それにしても大きいな。現代の大型戦車ぐらいはあるんじゃないか)
村上は近づいてくる馬車を観察する。道を外れた小さな丘に座っているので特に危ないことはない。しかしそれでも目を引いてしまうだけのスケールがあり、外で働いている農民達も手を止めその馬車を見ていた。
そして馬車が村上を少し通り過ぎた辺りで、唐突に馬車が止まった。
「なんだ?」
「どうしたんだ?」
農民達が話している。すると馬車から一人の男が出てくる。それはこの世界で見たどの相手よりも大きい獣人であった。
「そこの者!」
男はよく響く低い声で村上の方に話しかける。周囲に誰もいないことから自分に話しかけているのだろう。村上は立ち上がる。
「イア殿にお目通り願いたい。案内してもらえないか?」
その言葉に村上はどうしたものかと考える。一応ご意見番として雇ってもらっているが自分は所詮外から来た新参者だ。ルカ辺りに聞いてみなければ分からない。村上はそう判断して返事をする。
「すいません。私はこの町に来たばかりで」
そう村上が答えると、男はどこか驚いたような様子だった。このあたりでは来訪者は珍しいのだろうか。村上はよく分からないまま立ち尽くす。
するとそこにルカが走ってやってきた。
「ジン、無事か!」
「?そりゃ別に何もないが」
村上はよく分からないまま答える。すると明らかに警戒した様子でルカがその男を睨みつけていた。
「そう警戒するな。若いの」
「何用ですか、ヴァルク殿」
ヴァルクが近づきながら言う。村上はここでこの男の名前を知った。『ヴァルク』、あの会合でも話題に上がった有力者の名だ。
ヴァルクは近くまでやってくると、立ち止まり、要件を伝える。
「裏切り者の首をもってきた。姫にお目通り願う」
彼が合図をすると、彼の従者が二つの箱を持ち出し、蓋を開ける。中には先日見た有力者の首が入っていた。
「……殺したというのか。彼等をっ!」
「ああ。この国に対する反逆者だからな」
「貴方が唆したのだろう!」
ルカはさらに語気を強め、ヴァルクを睨み付ける。ヴァルクはどこか呆れたように首をかいた。
「なあ、若造」
ヴァルクが続ける。静かに、ゆっくりと。
それでいてはっきりと。
「死にてえのか。お前」
たった一言。その一言で、空気が変わった。
ルカの言葉が詰まり、ただ風の音だけが静かに聞こえてくる。その一瞬の殺気で完全に生物としての格付けがなされてしまっていた。
ルカ身体が小さく震えている。ルカはバレないようにと気丈に振る舞うが、震えは徐々に大きくなっていく。
ただ、この男は例外であった。
「ところで、姫様に用があるんじゃないのか?」
「ん?」
「ああ、すいません。初めまして。村上仁と申します。最近この町に来て、今はお姫様の……相談係みたいなものをやらせてもらっています」
そう言って村上は手を差し出す。一時の沈黙が流れるも、村上はだまって手を差し伸ばし続けていた。
少しだけヴァルクは黙っていたが、少しして笑い出し、握手を交わした。
「ハッハッハ。面白い男だ。見たところ人間種だな。人間種が獣人の言葉を解すとはな。……この手を握り合う儀礼ははお前達の慣習か?」
「あ、これは失礼。挨拶のようなものです」
村上はそう言って手を離し、ヴァルクを見上げる。既に殺気は解かれていた。
「すまないがえっと……。名前をもう一度聞いてもいいか?」
「村上仁。ジンと呼んでください」
「そうかそうか。ジン、イア王女に話を通してもらえないか?」
「分かりました。では大変申し訳ないですが、今しばらく門の外でお待ちいただいてもよろしいですか?急ぎ確認に行きますので」
「ああ、構わん」
村上はルカに対して「行こう」と声を掛けると、門の方へと歩いて行く。するとヴァルクの横に従者のヒグマが歩み寄った。
「良いのですか?わざわざ待つなどと」
「構わん」
ヴァルクはそう言った上で、村上達を指さす。
「それに見ろ、ヒグマ。あの男、急ぐなどと言いながら実にゆっくり堂々と歩いている」
「それは……礼を失していますね」
「そうじゃないさ」
少し機嫌を悪くしたヒグマに、ヴァルクが笑って続ける。
「ありゃわざとだ」
ヴァルクの言葉に、ヒグマも少し驚いた表情をする。ヴァルクはただ黙って村上の背中を見ていた。
(どんな種族であれ、殺気には気がつくだろう。どちらが強いのかも分かるはずだ。あの勇敢な獣人すら震えていた)
しかしあのひ弱な人間種は今も堂々と歩いている。その突き抜けた態度に、怒り等湧くはずもなかった。
「あの男がジンか…。殺気すら感じられない雑魚か、はたまたとんだ大馬鹿者か……」
ヴァルクは小さく笑う。そしてただ黙ってその小さい背中を見送っていた。
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