第8話 ヴァルクという男







 目の前で男が伸びている。ただ一撃、その一撃で勝負が決まった。


「よし。その伸びている反逆者を牢に入れろ。まだまだ吐いてもらわなきゃならんことがあるからな」


 ルカがそう言って衛兵達に男を運び出させる。村上はそれを横目で見ながら、ただ漠然と右手に目を落とした。


「しかし驚きました!ジンがこれほどの実力者だったなんて!」


 イアが駆け寄ってくる。


「あ、いや……まあ、たまたまですよ」


 どこか嬉しそうに話すイアに対して、村上はいまいち心のこもらない返事をする。


 ルカはそれがどこか面白くない様子であったが、イアが嬉しそうに「そうでしょ?」とルカに話しかけるのでどうも言葉が出てこない様子であった。


(しかし、これは明らかに……)


 村上はイアの様子を余所に、軽く拳を握りしめる。大した力は入れてはいないが、そこに感じる感覚が以前と全く違うことに気付いていた。


(さっきの男……緩慢な動きとはいえ、獣の耳を生やしたこの世界の住人だ。運動能力は普通の人間とは比べものにならない)


 訓練された兵士さえも素手では犬相手にも勝てない。少なくともかつての世界ではそうだった。それほどまでに人間はひ弱であり、道具を使うという一点以外は貧弱な生物なのだ。


 だがそれはつまりこの世界の住人はそれ以上に強靱である事を意味する。道具を使い、戦い方を理解する動物。そんなものは化け物以外の何ものでもない。実際、はじめてルカに蹴り飛ばされたときは、文字通り


(あのときだってそうだ。本来ならあの一撃で死んでいる。車に撥ねられたぐらいには飛んでいたし、受け身もとれていなかった。……なのに何故?)


 村上は自分に異変が起きていることを認めざるを得なかった。しかしそれが何故なのかは理解できない。別の世界に来ていたとしても、外見は前の世界と同じものだ。身体の仕組みだって、変わってはいないだろう。


 しかしそう考える一方で、身体に溢れてくる力に、どことない高揚感を見出してもいた。


(この世界に来たことによる肉体の変化だろうか?とはいっても俺同様の普通の人間だっているんだ。おれが変質することはおかしい。何か理由が……)


 村上はそこまで考えて、大きく息をはいた。そんなことを真面目に考える理由もなかったのだ。


「……俺は所詮は死人だ」


 村上はそう呟き、部屋に集まっている連中を見る。よほど驚いたのだろう。先程までの余裕が嘘のように、誰も彼もが黙って席に着いている。いくら権力者でも、暴力の前ではこんなものだ。


「それでは、会合を再開したいと思います。……ジン、座ってください」

「はい。姫様」


 村上はそう言って頭を垂れて、席に着いた。パフォーマンス的なその姿勢も、その場の空気作りには効果的だ。これで主導権はイアに移っただろう。村上はそう考えた。


 そしてその日はそれ以上何か起こることもなく、イアの案がほとんど可決される形で話し合いが終わった。













「何?あの王女の意見が通っただと?」

「はい」


 ベッドに腰掛け、何人もの女を侍らせながら、酒をあおるその男が尋ねる。身体は他の獣人よりも一回り大きく、発達した筋肉はその者に威厳を与えている。男女問わず惹かれるその存在は、圧倒的強さの証でもあった。


 彼の名はヴァルク。狼族史上最強と謳われ、先代の国王のライバルだった男。


 そして獣人種統一における最後の戦いで先代国王に敗れた男である。


「いくらか欲に目をくらんだ馬鹿を唆しておいたはずだ。なのに何も起きなかったというのか?」

「はい。……いえ、正確には起きかけたと言うべきでしょう」

「起きかけた?どういう意味だ?」

「なんでも人間種に止められたとか」


 そこまで聞き、ヴァルクはグラスを傾けるのを止める。普段冗談を言わない部下だ。こんなときに話すはずもない。事実今目の前に頭を垂れている男は少しもふざけてなどいなかった。


「丁度その場に居合わせた有力者達がお見えになっていますが……どうしますか?」

「愚問だ。通せ」


 ヴァルクがそう言うと、従者は合図を送る。すると招き入れるがままに、男が二人駆け足で部屋に入ってきた。


「ヴァルク殿、聞いてください」

「あの場所に、見たこともない男がいたのです」


 二人は頭を垂れる。ヴァルクは無言で話を促した。


「タラス殿は既に証拠を掴まれており、逆上したところを一撃にして彼にやられました」

「あれは人間種の強さではありません」

「ほう、それは興味深いな」


 ヴァルクは女達を離し、立ち上がる。そして彼等の元に歩み寄った。


「証拠は残さぬように指示を出したはずだが?」


 ヴァルクが尋ねる。


「それが、彼の男には何もかも筒抜けで」

「あっという間に目星をつけ、関係者が悉く口を割られました」


 二人の説明にヴァルクは顎髭をさする。


 口を割らせるにも技術はいる。あの王女が拷問などを許す筈もない。となれば、おそらく既に証拠を抑えられていたのだろう。反逆罪がちらつけば、恩赦を得ようと口を割るやつがいてもおかしくはない。


「その男の名はなんと?」

「はっ。たしかジンと呼ばれておりました」

「ジン……ジンね」


 ヴァルクはそう言うとにっこりと笑う。そしてポンポンと二人の肩を叩いた。


「あの、ヴァルク殿」

「ん?何だ?」

「そこで一つお願いがあるのですが……」

「何だ、言ってみろ」


 ヴァルクの言葉に二人の表情が明るくなる。


「実は私たちにもじきに疑いがかかりそうで……」

「なんとか匿っていただけないかと……」

「なんだ、そんなことか」


 ヴァルクが笑う。その笑顔に二人はさらにほっとした様子を見せる。


 ヴァルクはゆっくり肩に乗せていた手を首元に近づけていく。


「生かしておく訳ないだろう。貴様らのような反逆者を」

「へっ?」


 瞬間、一人が首をへし折られる。遅れてもう一人が状況を理解して、失禁しながら後ずさりした。


「ひっ、助け……」


 そしてもう一人も従者によって縊り殺される。あまりにも凄惨なその様子に、控えていた女性達は悲鳴を上げていた。


「ヒグマ、やり過ぎだ。女達が怯えている」

「ヴァルク様、お戯れを」


 ヒグマと呼ばれた従者はそう答える。


 注意していなければ見失ってしまうほどの速度で動き、常に隠し持っている分銅鎖で一瞬にして命を奪う。それはその細身で端正な容姿とは結びつかない、力強く荒々しい動きだった。


「フン、お前は可愛い顔して、相変わらずだな」


 ヴァルクは手を払い、他の兵士たちに死体を片付けさせる。殺してしまうことに特に問題はない。


 むしろ証拠隠滅と王国への忠誠を示す一石二鳥の手だ。欲にまみれた連中は一番代えが効く存在でもある。


「こいつらの首を土産にあの王女様にお目通り願おう。ついでに確認しなければならんこともできたしな」


 ヴァルクはそう言って歩き出す。


「ジン……ジンか。少しは楽しませてくれよ。ここ最近は張り合いがなかったからな」


 ヴァルクはそう呟き、高らかに笑いながら歩を進めた。






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