第4話 響かぬ言葉




 人は幻想の世界に誘われたとき、そして実際に足を踏み入れたとき、一体どのような反応を示すのだろうか。あるいは、どのような態度をとることが自然だろうか。村上はぼんやりと考える。


 十分に幼ければ、きっと新しい冒険に心を躍らせていただろう。それは若さの賜であり、好奇心は若者の武器である。


 では歳をとっていては不可能だろうか。否、決してそんなことはない。実際に頭髪が真っ白になっても少年の心を忘れない人間がいる。そうして人間はいつだって世界を彩ってくれていた。


 では、それでは、村上仁という男はどうだろうか。


 年齢は三十三。青春は過ぎたかも知れないが、人生はまだまだこれからという歳だ。社会に出てからの経験が実を結び始め、働き盛りとも言える歳になっている。実際彼の経歴をみれば、これから先の展望が明るいことは明確だった。


 あの事件さえ起きなければ。











 あれからしばらくして、姫と呼ばれていた彼女は村上が休む部屋に戻っていた。余程楽しみではあったのだろう。少し息を切らしながら彼女は部屋に戻ってきた。


 その頃には既に村上も目を覚ましており、彼女の入室に合わせて立ち上がり、日本式に礼をした。


「すいません。席を離してしまって」

「いえ、決してそのようなことは」


 村上はできるだけ丁寧に答える。それが正しい言葉なのかは分からないが、どこか本能的な感覚で、言葉をつむぐことができた。


「今お茶を用意させましたので、是非」

「では、ありがたく」


 村上はそう言って席に座る。彼女も従者に椅子を引かれ、テーブルに着いた。















「なるほど。なんとなく理解したよ」


 それからしばらく彼女から話を聞いていた。彼女はこちらに興味があるようで、様々なことを丁寧に説明してくれている。


 話している最中、村上は彼女の特徴を再度よく確認していた。可愛らしい出で立ちに、茶色の髪。耳にも同色の毛が生えているが、内側はネコ同様に肌色だ。緑色が入ったその目は、色も相まってとてもきらびやかに見えた。


(この世界の基準では分からんが、少なくとも前の世界だったら美女としてもて囃されていただろうな)


 村上は一段落したところでカップを取る。紅茶のようなものが入っていたが、その中身は定かではない。しかし一度死んだ身としては躊躇うこともなかった。


「悪くない味だ」


 村上が呟く。そんなとき彼女の後方に控える従者達の声が聞こえた。


「おい。あいつ人間種にしては妙じゃないか?」

「ああ。変に落ち着いている。それに少し奇妙だがマナーも……」


 村上は衛兵達の言葉に耳をたてながら、ゆっくりとそのお茶を飲む。悪くない味ではあるが、そこまで美味しいものでもない。にもかかわらず、どこか飲み続けていたいようにも感じる不思議なものであった。


「それで……」


 村上が続ける。


「それで、今はどういう状況なんだ?」

「はい。今世界は様々な種族が土地を求めて争い合っています。あなた方人間種も同様です。……貴方はそういった事情を知らないのですか?」

「ああ。悪いが貴方達が想像している場所とは違うところから来ているみたいだ。特徴は似ているが、違う人間だと思ってもらってもいい」


 村上が言う。


 人間種。おそらくはこの世界にいる人間のことだろう。彼女達のように獣の特性を持ち合わせてはいない普通のヒトだ。もっとも普通というのはこちらの見方だが。


(非力が故に迫害。そして数百年不毛の地へ追いやられていた……が、ここになってまた反攻してきたということか)


 非力というのは村上にもよく分かった。先程食らった一撃、あれは間違いなく人間の出せる威力ではなかった。今生きていることが不思議なぐらいであったが、そもそも刺されて生きている時点でそれは気にしないことにした。


「ええ。でも私はきっと分かり合えると思うのです」

「それはまた、どうして?」


 村上が質問する。それはごく自然な疑問であった。


 戦時中で、敵の種族。普通ならば殺されてもおかしくないというのに、彼女はそうしない。そこに理由があるのは必然である。


「昔、物語を読んだことがあるのです」

「物語?」

「種族を越えた人達が集まって、協力し、皆が仲良く暮らせる町を作る。そんな物語です」

「はあ」


 村上はすこしだけ気持ちのこもっていない返事をする。しかし彼女は構わずに話を続けていた。


「勿論、難しいことは分かっています。でも、きっとそんな世界は素晴らしいものだと、私は思うのです。だから人間種の言葉も練習しました。……貴方には通じませんでしたけど」


 彼女はそう言って少しだけ照れたように笑う。無論その人間種の言葉は村上には理解できない。それは村上が違う人間である事に由来するが、それでも彼女達の本来の言葉の方を理解できることは不思議である。謎はいたって尽きないが、村上は話を続けることにした。


「でも、今こうして貴方とお話ができています。きっとこれは確かな一歩です」

「………」


 村上は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出していく。身体は快調だ。少し寝たお陰で調子も良い。だがすこぶる気分は悪かった。


「ジン?どうかしましたか?」


 彼女が問いかける。村上は尋ね忘れていたことを聞くことにした。


「失礼ですが、お名前を聞いても?」

「あっ。イアです。私ったら伝え忘れていましたね」


 彼女はまたも少し照れたように笑う。それは可愛らしく、普通であれば男心をくすぐっただろう。しかし村上は言い知れぬような苛立ちを募らせた。


 それ故だろうか。村上は言う必要の無い言葉を、ただ自分の感情のままに、彼女に伝えた。それは村上のある意味でもっともまっすぐな意見でもあった。


「貴方は……ヒトが分かり合えると思っているのですか?」

「え?」


 イアはきょとんとして顔で此方を見ている。


「救えないな」


 村上はぽつりとそう呟き、彼女の瞳をみる。その宝石のような瞳が、まっすぐ此方に向いていた。





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