第2話 獣国




「冷たい…」


 村上はゆっくりと体を起こす。そこは全く見覚えのない場所だった。


「光の長いトンネルを抜けるとそこは……、てか?」


 村上の体は小さい池に浸かっていた。頭まで浸かっていなかったことは幸いだろう。さもなくば窒息死していたのだから。


(まあ今生きているかも微妙だが)


 村上は自分の体を確認する。傷は消え、何不自由なく動くことができる。本来傷口を水につけていれば出血で死ぬはずだ。というよりも、あれだけ刺されていて死なないはずがない。しかし触ってみると確かに傷が塞がっていた。


(まさか死後の世界ってわけでもあるまい)


 そう思いながら自分の頬をつねる。しっかり痛かった。









 

 見たところ村上は、どこかの庭園にいるようであった。きれいに切りそろえられた木々はどちらかといえば西欧の美的感覚を思い起こさせる。


 しかしそこに生えている木や草花は見たこともないようなものである。さらに言うならば、そこになっている果実は地球上には在りそうもないものであった。

 

 「試しに」と近くに実っていたおいしそうな果物を一つとって食べてみる。美味しそうであるのは空腹が故だろうか。それともその果実に言い知れぬ魅力があったのだろうか。毒があるとも考えたが、一度死んだ身としてはそんなことは気にはならなかった。


(美味い)


 しばらくその味を堪能すると、「考えていてもしょうがない」と、村上はあたりを散策してみることにした。庭園ではあれど、どうやら近くには誰もいないみたいだった。


(さてどうしたものか?とはいえ庭である以上、私有地だ。居座るのも良いものではあるまい)


 先ほどのあきらめの名残だろうか。異常なほどにまで冷静さが残っていたことは村上にとって幸いではあった。とくに慌てることなく次の手を考えることができた。


(あの後奇跡的に助かってどこかに移動されたにせよ、冷凍保存されて未来で治療されたにせよ、とりあえず一人で生きていくことは不可能だな)


 いくらか考えを巡らせたが、次第に面倒になってくる。


 SFやファンタジーじみたことを考えるのは苦手だ。どうせ誰かが来るだろう。


 村上は静かに腰を下ろして空を見上げた。その空は東京では見たことがないほど美しく雲一つない空であった。


(綺麗な空だな)


 村上はそんなことを思いながら記憶を掘り起こす。あのとき、最後に目に入ったのは東京のくすんだ空だった。


 もっとも、印象に強く残っているのは自分を刺し殺す彼の男の、怒りと憎しみがこもった血走った目だったのだが。


『誰⁈』


 突然後ろから声がした。もっとも言語はわからず何を言っているのかもわからない。ただこちらを警戒しているのだけはわかった。


 村上は声のする方向へ振り返る。可愛らしい女性がそこに立っていた。


「ああ、すまない。お邪魔してしまって」

『来ないでください!……衛兵!侵入者です!』


 女性は大声で助けを呼んだみたいであった。村上は手を上げ、敵意がないことを示す。


「すまない。敵意はないんだ。ただこちらも今の状況が分からなくて、困惑している」


 村上は幾つかの言語で彼女へ話しかける。中国語、英語、フランス語。勿論日本語でもだ。しかし彼女は震えるばかりで、此方への警戒はまるで解かなかった。


(参ったな。これじゃ埒があきそうにない)


 村上は頭をかきながら考える。とりあえずなにか意志を伝える方法がないか、模索していく。まずは彼女がどこの国の人であるか、それぐらいは分かった方が良い。


(ん……?)


 村上はそこで彼女のおかしな部分に気付く。明らかに一カ所だけおかしい部分がある。


(なんだあの耳は?民族衣装か?それともオタク的なあれか?)


 村上は彼女の頭の上に付いている耳を観察する。毛がふさふさと生えた耳がそこに存在している。いわゆるケモ耳というやつが、彼女の頭に付いていた。


『ひゃっ!』


 村上はおもむろに近づき、彼女の耳に触れる。まさか本物だとは思っておらず、リアルな感触と、彼女の反応に驚いてしまった。


『姫様から離れろ!侵入者め!』


 瞬間、強い衝撃が村上を襲う。蹴り飛ばされた村上は宙に舞い、そのまま木にぶつかった。


(あながちファンタジーの世界っていうのも、否定できないかもしれないな)


 村上はそんなことを思いながら、再度意識を手放した。







「キャップ、村上仁失踪事件の記事原稿あがりました」

「よし、見せてみろ」


 若手記者は自分が書いた記事が問題ないかと不安と緊張にさいなまれていたが、その記事に目を通す方はまるで内容が頭に入ってこなかった。


「まあ、いいんじゃねえか」


 そういって上司は記事を返す。その様子は若手記者から見ても明らかにいつもと異なっていた。


「あのう、キャップ?大丈夫ですか?」


 若手記者は問いかける。しかし上司の方は黙ったままであった。そもそもこれは記事にして良いかすら分からない案件だ。確かに動画もあれば目撃証言もある。しかし説明が何一つ付かないのだ。どこのメディアも、訳も分からず報道している。


「なあ、お前」


 少し間をおいて上司が若手記者に尋ねる。


「こいつのことどこまで知ってる?」


 要領を得ない上司の質問に、若手記者はとりあえず答えていく。


「知ってるって……、移民政策担当大臣までやった若手のホープで、その失敗とテロ事件で失脚、テロ事件の遺族に恨まれて殺害……」


 若手記者は知っていることを列挙していく。上司は電子たばこを吸った後に答えた。


「ああそうだ。確かに日本の移民政策の失敗やテロ問題の責任を押しつけられたのは事実だ。だが本質はそこじゃない」


 一拍おいてキャップは静かに言う。


「あいつの本質は天才だってことだ」

「はあ」


 上司はそうとだけ言うと、「仕事に戻ろう」と若手記者を戻す。そしてどこにいるかもわからない天才を考えながら、新しいタバコをとりだした。





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