「お困りでない?」……「盛り上がってるかーい」……「金を撒け!」

 脇の昇降口を開けて、はしごを降りるとそこは狭い通路だった。少し先に分厚い木の扉があり、扉を開くと広い通路に出た。


 何か嫌な気配がした。


 空気が落ち着かない。少し土埃の匂いがする。さっきの崩れた洞窟と繋がっているようだ。それに、こちらの洞窟の中のひんやりした空気とは別の、何か変な匂いが漂ってくる。腐った雑巾のような嫌な匂いがほのかにかぎとれる。急に心が醒めた。ヤバい感じがする。足音を立てないように、そっと通路を歩き出す。


 少し歩くと、嫌な空気の出元がわかった。通路の壁と床が崩れて、別の洞窟と繋がっている。その崩れた壁の向こうから変な臭気が入ってきているようだ。


 しかも床穴の方から音が聞こえて、俺はぎくりとした。誰かが石を踏み締める音がする。下の穴から、ここに上がってこようとしているようだ。もしかしたら、係員か誰かが崩落に巻き込まれて、助けを求めているのかも。俺は床を崩さないよう気をつけながら、穴を覗き込もうとした。


 穴から顔を出した大猿と目が合ってしまった。


「……」

「……」

「……」

「……」

「あのう、何かお困りですか?」

「……」

「お困りでない?」

「……」

「お困りでないですね?」

「……」


 そうだ、こんな時こそ威嚇の時だ。耳Qで耳を大きくする。


「うわあ、こんなに大きくなっちゃったー!」

「……」


 大猿の沈黙が痛い。


「……失礼しました〜〜。」


俺が一歩後ずさりすると、大猿が吠えた。


「ウウウウウウッッホオオオオオオオオオオ」

「っぎゃーーーーーーー!」


 俺はすっ飛んで逃げた。


 穴から這い上がってきた大猿は、猿と言っても、見世物小屋で芸をしているような可愛い猿じゃない。大人よりもデカくて、黒い剛毛で、見るからに野獣だ。俺の短剣でどうにかなるような相手じゃない。捕まったらペシャンコにされちまう。


 俺は一目散に逃げる。大猿は追ってくる。巨体の割に速い。少し開けた部屋に出た。周囲に通路がいくつかある。どっちだ!? とりあえず、反対の出口まで走る。迫る大猿。だめだ、このままじゃ追いつかれる。そうだ、護身用に持たされた火Qを使うのはここだ。


 袋から火Qを取り出し、大猿の顔めがけ投げつける。かけ声は「火の玉、いち!」


 手を離れた瞬間に火Qが燃え上がり、人間の頭くらいの大きさの火の玉になって大猿に飛んでいく。大猿はギャッと叫んで、拳で火の玉を払った。爆炎と煙。チリチリと焦げる匂いがする。ダメだ、多少傷は負わせたものの、大して効いてない。


 雷Qを取り出し、威嚇する。近づいてきたらこいつをぶつける。しかし、このままじゃ手詰まりだ。どうしたらいい? 考えろ、考えろ。


 大猿はさすがにもう一度Qを喰らいたくはないようで、じりじりと左右に動いてこちらの隙をうかがっている。このままじゃお互い、動きがとれない。


 その時だった。大猿の背後の通路から、誰かがとび出し、大猿に打ってかかった。


サイのおっさん!」


 受付に座っていたサイ魔族のおっさんだ。メイスを振り回して大猿に打ちかかる。敵もさるもの、大猿は素早くそれをかわす。サイ魔族のおっさんは油断なく大猿に視線を向けたまま、俺の近くまで回り込んだ。


「無事だったか。探したぜ」

「俺を?」

「お客さんが地下にいるってんでな。探しにきたのよ」

「わざわざこんなとこまで?」

「おれたちゃ警備担当だからな、荒事がありゃ行くのが仕事よ。それに、へへ、くににゃお前くらいの年齢としの娘がいるからな……それにしてもあいつぁ一体なんだ。どこから入り込んだんだ」

「あっちの通路に穴があいて、どこか別の洞窟につながってるみたいだった。危ない!」


 大猿が飛びかかってきた。サイのおっさんは大きくメイスを振って応戦する。俺も雷Qを投げるタイミングをはかるが、おっさんと大猿の乱戦になってしまうと迂闊には使えない。大猿はメイスをかわして、おっさんの横腹を殴った。おっさんは避けきれず「ぐっ」とうめき声を上げる。


 まずい。サイのおっさんの皮膚はたしかに硬くて防御に適しているけれど、あんな怪力でぶん殴られたらさすがに効く。大猿の攻撃をかわすにはサイのおっさんは鈍重すぎる。正面から殴り合ったら力負けする。不利だ。


「おっさん、下がって!」


 叫んでおっさんを回収すると同時に雷Qを三発、一気に叩きつける。素早い大猿でもこれは避けられまい。雷撃で大猿が隙を見せた間におっさんに駆け寄ると、おっさんは通路の一つを指さし、怒鳴った。


「この先に階段がある。走れ!」

「あんたじゃあいつに勝てないよ! 一旦ひいて作戦を!」

「警備が俺の仕事だ。お前を逃がすまでは時間を稼ぐ」

「ダメだ! 故郷に娘がいるんだろ! 絶対にダメだ!」


 サイのおっさんの腕をつかんで引っ張りながら、俺は必死に喋る。


「早く行け!」


 俺は立ちすくんだまま考えた。何か、手はないか。このバカ猿を倒すのは無理でも、せめて追い払うだけの手がないか。火Qも雷Qもあまり残ってない。残りのQは役に立たないおもちゃばかりだ。その時、上から脳天気なアホ声が降ってきた。


「おーい。大丈夫か~~~い。盛り上がってるかーい」

「ケーシー!」


 天井の高い洞窟の、上の方の壁に開口部があって、そこからケーシーが顔を出している。身体ごと通り抜けるのは無理そうだが、顔は見える。楽しそうに手を振ってる。アホか。この状況が見えんのか。


 その馬鹿面を見た途端に、やるべきことに気がついた。そうだ、その手があった。


「ケーシー! 金を撒け! ばらまけ! ここ一体にばら巻いてくれ!」

「なに? 俺の聞き間違いか? ジャックに金をばらまけって言われたような……ゴリラに求婚されて頭がおかしくなったのか?」

「いいから早く!」


 俺は袋を探って、たのQを取り出した。ケーシーはポンと手を打った。


「おお、そういうこと。なるほどねー。お前に『金を使え』って言われるの新鮮だなー」

「そんなこと言ってる場合か!」

「いっくぞー!!! 枯れ木に花を咲かせましょー!」


 何を言ってんのかわかんないが、とにかく金さえあればこっちのもんだ。ケーシーがばらまいた金貨が、俺とサイのおっさんの周りに降り注ぐ。金貨を見て頭の上に「?」を表示している大猿とおっさん。そりゃそうだわな。


 おれはたのQを大猿に向かってぶん投げた。大猿はかわしたが、たのQは自動追尾になっているらしい。大きく曲がって、大猿の胸に見事命中した。Qがパリンと割れて、魔法が発動する。


 大猿は、鼻をひくひくさせたかと思うと、突然素っ頓狂な悲鳴を上げて、一目散に通路の向こうへ逃げ出した。野生の動物だから匂いには敏感だろうと思っていたが、こんなに効果があるとは思わなかった。


 俺とサイのおっさんはその場にへたり込んだ。


「へ、へ、へ……何とか助かったようだな」

「みたいだね」

「ありがとよ。まだ娘に会えそうだ」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。

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