打ち下げ花火と一億円
遅歩
打ち下げ花火と一億円
「一億円」
蒸した空気に汗ばんだ肌。
申し訳程度に吹いた風が運んできたのは、涼しさなんかじゃなくて、途方もない金額だった。
「すごい大金だ。で、なんの数字?」
雑居ビルの屋上から打ち上がる花火を眺める彼女は言った。
「無価値な数字」
「むかちな……すうじ?」
ぽかんと、口を開けたままの俺を見て笑った彼女は、胸の高さまであるフェンスに背中を預けた。
「この花火大会では二万発の花火が上がるんだって。一番小さい花火。これを一つあたり五千円として、合計したのが……」
一億。概算だけど三、四号玉と呼ばれるサイズの花火一発あたりが五千円なら、最低でもそれくらいは費用がかかることになる。でも……
「無価値ってのは?」
そこが
「キミもさっき言ってたじゃん。すごい大金だって。それを花火に使うんじゃなくてさ」
お金がなくて手術が受けられない人。
明日のご飯すらままならない生活困窮者。
被災者や自動養護施設、恵まれない子どもたちへの寄付と、彼女は指折り数えて口にした。
「ほら、金魚以外にも
差し出してきた水の入った袋のなかで一匹の赤い影がたゆたう。彼女はそれをフェンスに引っ掛けた。
「ほらって……」
たしかに花火大会は娯楽的なものだし、金をそっちに回せば助かる人はいっぱい居るだろう。でも、だからといって無価値っていうのは……言い表せない何かが胸の奥で騒ぐ。それをあてつけるみたいに「だけど」と俺は続けた。
「その金の多くはスポンサーについた企業らが出してるはずで、花火大会にかかる費用全部が税金で賄われてるわけじゃない。慈善活動じゃなくて、ビジネスとしての側面が強いんだから『人の助けにならなきゃ無価値』なんて言い分は通らないだろ」
少し言い方がキツくなってしまった。キョトンとした彼女は黙って動かない。
遠くで花火が上がると彼女の体がビクっと震える。
「そうだね。
彼女は地上を見やって続ける。
「たくさんのお金を使ってまで咲かせた夜空の花を観ていない。少なくとも今、この瞬間、その分は、私だけじゃなくてキミにとっても無価値じゃない?」
さっきから無価値、無価値って。
どうしても俺にそれを認めさせたいのだろうか。正直イライラする。
「……拗らせてるな」
「何をいまさら。だから
おかしいと腹を抱えて笑っている彼女と知り合ったのはSNSだった。
たまらず吐き出した不満は、この世をすべて悟ったような中高生の人生観に、惨めったらしい自己陶酔が混ざった嘔吐物。
周りが不快感から遠ざかっていくなか、彼女だけが俺に歩み寄ってきた。
『キミ、すごく臭うよ』
文字だけのやり取りでいきなり臭うって……即ブロでも決めようかと思った。
それから連絡を重ねて結構経つけど、彼女の顔を見たのは今日が初めてだし、本名だって知らない。
でもそれでいい。同じ価値観、同じ目的を持っている、それさえ分かっていればよかった。
出会いは彼女から。「今日会おう」と誘ったのは俺からだった。
「――打ち
笑いが収まった彼女はまた突拍子もないことを言い出した。
「今度はクイズか? もういいよ、そういうのは……」
嫌気が差して、ふと花火のほうに視線を移した時だった。
大きな川の水面に映った打ち上げ花火が、
「……アレか?」
俺が川に向かって指をさすと「ブー」と可愛げない反応が返ってきた。自信があっただけにイラっとくる。
「ヒント。観た人の記憶に深く刻まれる」
思い出に残るほどの……なんだ、いったい。
「ヒントその二。その花火は赤い花を地面に咲かせる」
赤い……自然とフェンスに引っ掛けられた金魚袋に視線が吸い寄せられる。
「……ああ、そういうことか」
彼女はフェンスに身を乗り出して地上をのぞく。俺もつられて下を確認したけど、誰も居ない。無人の路地だ。
「最後のヒント。打ち下げ花火をとばすのにお金はかからない――けど、迷惑はかかる」
口角を上げた彼女の目は笑っていなかった。「よっ……」と、彼女はフェンスの向こう側へ降り立つ。
「打ち下げ花火の答え、わかった?」
うるさいな。
「ねぇ聞いてる?」
花火との距離、こんなに近かったっけ。
あ……そうか。この音は花火じゃなくて……。
「……わかった」
「うん、じゃあ答え合わせだ。キミも早くこっちに――」
「違う、
俺は彼女に考え直してほしかった。
ひょっとすると、もしかしたら。
感動するようなキレイなものを観れば彼女のなかで何か変わるかもしれない。だから俺は花火大会が催される今日を選んだ。
用意したプレゼントを贈った本人に
彼女の言う、打ち下げ花火。
同時に火を
俺はとどまる理由を彼女に見いだした。でも、彼女は――
「……手、震えてる。いいよ、無理しなくて。大丈夫。キミはそのまま、何も見なかったことにして――」
「一億円」
向けられた冷たい眼差しは
「……すごい大金。それは何?」
「無価値の価値――だっ!」
勢いよくフェンスを越えて俺は彼女の隣に並ぶ。そこで気付いた。俺は高いところが苦手らしい。つま先が地面を掴もうと爪を立てる。
「君は打ち上がる花火を観て来年も観たいと思った、
「……つまり?」
遠くで花火が上がる。
「あの一億の花火が君を踏みとどまらせた。すると君が無価値だと言ったものが一人の少女を救った事になる。この瞬間、あの花火は君の言う無価値から除外され、相対的に価値あるものへと換わる」
彼女の物差しに刻まれた目盛。それは人の役に立ったとか救ったとか、俺からしたら思わずまぶしくて目を覆いたくなるような善行を指したものなんだろう。
なら俺はそれをもって彼女の価値を証明する。
「君はあの花火に命を救われる。一億円の花火だぞ? これって言い換えれば君はそれだけ価値があるってことで――」
「くだらない。だからやめろって? 逆説、言葉遊びもいいところだね」
俺が声を荒げたところで拒絶の言葉が飛び出した。
「キミ、変わったよ。ちょっと前まで、私の分身かよって思ってたくらいなのに」
「変わったさ。君が変えた、君が救ったんだ」
必死に取り繕って、大人ぶって背伸びして、そうやって塗り固めてきたものが暑さのせいで溶けて崩れる。
「……っ、嫌なんだよ。俺を救ってくれた奴が無価値? ふざけんなよ。あんなうるさいだけの花火より、一億なんかよりも……君はッ!」
頬を伝ってぼたぼた垂れるそれは、炎天下の氷菓子なんて比じゃない。棒からすっぽ抜けたアイスみたいに、用意した
言葉に詰まった俺が吐き出せるものは一つしかなかった。最後に残ったもの、それは独り善がりで醜悪な本心――
「置いてかないでくれッ……!!」
まるで、花火大会に来た子どもが親とはぐれたみたいに泣き叫んだ。
暑さ。
緊張。
恐怖。
ごちゃ混ぜでびしょ濡れだ。
自分でもこの不快感から逃げ出したくなる。だけど彼女は俺と出会った時のように――
「キミ、すごく臭うよ」
肌に熱が加わる。
俺とひとつになった彼女からはいい匂いがした。
打ち下げ花火と一億円 遅歩 @BeJohn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます