バレンタインデート

 昼下がりのカフェ。

 悠真と眞琴は目の前で茫としている一樹を心配そうに見つめていた。

 試験を終えた一樹のお疲れ会をしようとカフェに誘ったものの、入店してからずっと、一樹のブラウンの瞳は無気力であった。

 下手に試験の手応えを聞くのも躊躇ためらったが、一樹のことだから、と自然な口ぶりで、

「試験どうだった?」と聞くと、

「うん、自己採点したら合格ラインだった」

 特に喜ぶ素振りもなく、淡々と口にした。


「なぁ、一樹。自己採点したら合格ラインだったんだろ…?」

 咄嗟に口走ったのは悠真であった。一樹は一拍遅れで、

「うん」と頷く。丸い瞳はそっぽを向いたままだ。

「なんで、そんなに沈んだ雰囲気なの…?」

 眞琴は恐る恐る伺った。すると一樹は、はぁ、とため息を溢した。

「なんだろ…燃え尽き症候群っていうのかな?エネルギー使い果たしたって感じ」

 不思議と悠真と眞琴も一樹の気怠げな雰囲気に飲み込まれそうになる。

 一般入試を受けた者によくある事なのだろうか、と2人は目配せ合った。共に推薦入試、面接のみの試験で昨年のうちに進学が決まっていた。

 精神的な負荷の違いは理解できる。しかし、ここまで抜け殻になってしまうのか、と2人は一樹を気にかけた。

「気分転換で映画とか観てみたらどうかな!」

「アクションものとか良さそう!」

 2人は波長を合わせて言った。

「あー、昨日の夜から朝まで4本ぐらい観たんだよね」

 アクション、恋愛、ホラー、アクション、と一樹は指を折りながら言う。

 眞琴と悠真は顔を見合わせ、苦笑した。



 ***



 一方その頃、溝口家では郁子と晶が何やら談話していた…というよりは、郁子の一方的な喋りが話の中心ではあったが。

「一樹、最近ずーっと茫としてるのよ」

どうしちゃったのかしら、と悩ましげに蜜柑を転がす郁子を晶は書籍に目を投じたまま、

「そんなものだろう」

と口にする。

 すると、郁子の動きがぴたりと止まった。

「ねぇ、あっくん」

 低音の声色に晶は書物から顔を上げた。

「なんでそんな普通なの」

 そう言って郁子は目を細める。晶は何を口にしても言い返されるのがオチだと分かっていた。その為、事実を淡々と口にした。

「自己採点も合格ラインだ、なんの憂いもないだろう」

「あんたバカァ?」

「なんだ、そのノリは…」

 晶は呆れた様に吐息をついた。赤いセーターを着た郁子はもうその人物でしかない。

「一樹の気持ちを盛り上げてあげようとか思わないの!?」

 晶は虚をつかれ、目を丸くした。

「まぁ、考えたりしてるよ…」

 心を悟られまい、と書物に目を投じる。すると、郁子は身を乗り出し、

「だったら早くデートに誘うぐらいの事しなさいよ!」

 いよいよ晶の目に勝気な少女が幻の様に写る。

「デートか…」

 晶は思案顔で俯く。実のところ、何か美味しい物を食べに行くか、あるいはプレゼントか、と考えていた。

「そうよ!一緒に美味しいもの食べて、ショッピングして…一樹はあっくんと一緒に何か出来れば嬉しいんだから!」

 郁子は一息に言った。伝えたい事は全て言い切った、といった調子で口をキュッと結んだ。

 俯いていた晶は顔を上げ、

「そうなのか…?」と確証を得たく、問い返す。

「あっくんはどうなの!?」

 郁子は晶自身がどうしたいのか、そこが重要であると思った。感情のおもむくままに従ってみよ、と固唾を飲む。

「俺は…」と晶は悩ましげに口籠る。しかし、答えは心が示している。

「俺も一樹とデートしたい」

 晶は一樹と共に街を歩く姿を想像し、胸が高鳴った。

「はい!決まった。さっさと誘う!」

 郁子は満面の笑みである。

「はい…」と晶は一言返事をし、スマホを手に取った。



 ***



 ポンッと間抜けな音が静かな席に響いた。卓の上に置かれた一樹のスマホにメッセージが入った様だ。

 一樹はゆっくりとスマホを確認する。

(あれ。おじさんからだ。珍しい)

 トーク画面を開くと、一樹は幾度も瞬きをした。

『デートしないか?』

 たったそれだけのメッセージが、どれほど一樹の心を昂らせるか。

 一樹の頬が徐々に持ち上がる。口元を手で隠す仕草をした。

 悠真と眞琴は不思議そうに顔を見合わせる。

「やばい…気持ち昂った…!」

 一樹はパッと顔を上げた。ブラウンの瞳に輝きが満ちている。

「おじさんにデート誘われた…!」

 一樹の喜びは向かいに座る2人に瞬く間に伝染した。

「良かったね!佐野!」

「デートかぁ…!」

 眞琴も悠真も感嘆の声を上げる。

 一樹は今一度、晶からのメッセージに目配せた。見間違いではない、確かにデートと記されている。

 すると、たちまちデートプランが頭に浮かぶ。

「パンケーキとかシェアしちゃう…?観覧車乗りたいなぁ…あっ、バレンタイン近いからイルミ…」

「一樹」

「ん?なに?」

「全部、声に出てるよ」

「えっ!?」

 一樹は慌てて口に手を当てた。無意識のうちに言葉にしていた様だ。先程の無気力な一樹はどこへやら。悠真と眞琴は自然と頬が緩んでいた。

 すると、一樹はこほんと一つ咳払いし、背筋を伸ばした。突然、真面目な顔をしたものだから、向かいに座る2人は顔を見合わせ、首を傾げる。

「臼井さん!お願いがあるんだけど!」

 急な一樹の大声に、眞琴は目を丸くして、

「えっ何!?」と問い返す。

「臼井さんにしか頼めない…!」

 一樹の眼力の強さに眞琴は、とてつもない責任を感じた。

(私に務まる事なの…?)

 眞琴は固唾を飲んだ。そして、ゆっくり頷く。

「わ、分かった…言って…」

 うん、と一樹は唇を噛み締めた。

「俺…女の子になっておじさんとデートしたい!」

 一瞬、場の空気が静止した。しかし、すぐに眞琴の歓喜の声が場を和ませた。

「凄く可愛くなると思う…!きっと晶さんも、惚れ惚れするよ!」

「本当!?そうかな…!」

「うん!」

 一樹と眞琴の会話に花が咲く中、悠真だけはどこか納得いかない様な顔をしている。

「うーん、どうなんだろう?俺が晶さんだったら、ありのままの一樹で良いと思うけどなぁ」

 そうぼそりと呟くと、一樹は口を尖らせながら、

「悠真さぁんの意見は聞いてませーん」と嫌味っぽく口にした。

「あーそうですかー。大人しくしまーす」

 悠真も張り合う様に口を尖らせた。眞琴は2人のやり取りに苦笑する。

 悠真の言いたい事は分かる。しかし、一樹の願いも間違いではない気がした。

 晶がどう思うか、それは眞琴や悠真があれこれと推測して一樹の考えを改めさせる必要などない。

 今、自分達に出来る事は大切な友人の純粋な願いを叶えるだけだ。

「とりあえず今からウィッグ買いに行こうよ!」

 乗り気な眞琴に、一樹は心から感謝した。

「絶対可愛くなる!文化祭の時、惚れたもん!」

「あはは、嬉しい」

 キャハキャハとする2人を横目に悠真はぼそりと呟いた。

「絶対、そのままが良いと思うんだけどなぁ…」

 しかし、その声は2人の耳に届く事はなかった。



 ***



 デート日は週末のバレンタインデーに予定された。

 誘ったのは自分であるからとデートプランを考えようとした晶であったが、一樹が1日のデートプランを完璧に考えたと言う事で全てを任せる形になってしまった。


 そして、デート当日。

 晶は一樹から指示された集合場所、観覧車と海、いくつもの高層ビルが息苦しくなく、開放的に連なる駅前で一樹を待っていた。

 普段の晶ならば、その都会的な雰囲気に浮いてしまうだろう。しかし、今日の晶はスタイリッシュに洋服を着こなしている為、雰囲気に馴染んでいる。

(俺に気づくのか…?)

 以前、強制的に購入を急かされた洋服をこうも早く着る機会に巡り合うとは、想像もしていなかった。健の予知は侮れない。


 海風が頬を撫でる。晶はマフラーの中に顎をひいた。すると、一樹に会いたい気持ちが増していく。

 ふと目の前に、ミルクティーブラウンのロングヘアーをふわりと揺らした、何とも眩い女の子がやってきた。

「えっと…」

 晶は困惑した様に眉をひそめた。その女の子は前髪もふわりと斜めに流し、ブラウンのキャスケットを被っている。

「晶さん、俺だよ」

 ふわりとした見た目に反して低めの声がそう言った。それは聞き覚えのある声で合った。

「一樹…!?」

 晶は目を剥いた。よくよく目を凝らすと、首に巻かれたマフラーが決定的な証拠となる。一樹は楽しそうにニコニコと笑っている。

「今日は、いつこよ」

 そう言って一樹は首を傾げた。巻いたロングヘアーの髪が肩から流れる。一つ一つの仕草があまりにも眩しかった。

「可愛い?」

 もう一度、一樹は首を揺らした。

 晶は思わず、一樹を足元から頭の先までじっと観察してしまった。

 ロングブーツから覗くほっそりとした腿にミニ丈のスカート。ボディラインをふんわりとさせるオーバーサイズのブラウンチェックのチェスターコートとトップスはホワイトカラーのニットだ。

 まさに、今を煌めく、青春の最中にある女子高校生の装いだった。

 晶は堪らなくなり、口に手を当て、そっぽを向いた。

 しかし、心に思う事を声にしなければ、と照れながら、

「ああ、可愛いよ」

 一樹のブラウンの瞳を真っ直ぐ見つめた。

「あはは、嬉しい〜」

 コーラルピンクのぷっくりとした唇が艶めいた。晶の視線はその唇に釘付けだ。

「おじさんも、洋服だね」

 一樹は上目遣いに晶の顔を覗き込む。長いまつ毛が一本一本、上向きだからか、いつも以上に瞳がまん丸だ。そのまつ毛も温かなブラウンカラーで一樹の瞳を一層と煌めかせる。

「凄くカッコイイ…いつものおじさんじゃないみたいで、晶さんって感じ」

 頬がほんのり色づいているのは、メイクのせいか、それとも照れているのか。

 晶の心は目で見た一樹の一つ一つを文章に書き起こしたい衝動に駆られていた。

「それに、マフラーもお揃いだね」

 一樹は心の底から嬉しそうにほころんだ。晶もその気持ちは同じだ。

「ああ」と頬を緩めた。

 すると、一樹は晶の腕に抱きついた。

「じゃぁ、行こっか」

 身体をそっと密着させる一樹。晶の心臓は激しく脈打った。

(落ち着け、俺…)

 晶は興奮した心を鎮めようとする。

 そして、2人は歩き出した。



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