ありのまま

「ずっとここのパイ食べてみたかったんだよね」

 一樹はウェットティッシュで手を拭きながら言った。

 デートプラン一つ目。晶と一樹はパイ専門店に訪れていた。昼食時、店先では行列が出来るほどの人気店である。

 店内は人々の賑わいとパイ生地の甘やかな香りが漂っており、食欲をそそる。

 晶と一樹は海風が髪を撫でるテラス席に案内された。

「メイン何にする?」

 一樹はメニューを開いた。

 メインディッシュは、タンドリーチキン、ラムチョップ、サーモンのムニエルから選択し、パイ食べ放題が付いてくる。

「一樹は何が良い?」

「うーん、俺はチキンかなぁ…あーでも魚もいいなぁ…」

 一樹はメニューの写真と睨めっこをしている。その姿が何とも可愛らしい。すると晶はメニューを覗くために一樹と距離を詰めた。

「じゃぁ、俺がサーモンにするから一樹はチキンにしな」

「シェアしてくれるの!?」

「ああ、一緒に食べよう」

「ありがとう!」

 一樹はふわりと笑った。その笑顔に自然と晶もほころぶ。

 注文を終えると、一樹は腿の間に手を挟んだ。大抵、脚を露出するとなればストッキングを履くものだが、一樹は初めて感じた何とも言えない締め付け感に耐えられず、履いてこなかったのだ。

 どんなに真冬でも脚を出す女子達の根性と忍耐強さにしみじみと感服した。

「寒くないか?」

「え?」

 ふと、晶が不安げに一樹の顔を覗き込む。晶には一樹の装いが寒そうでならないのだ。

 一樹は苦笑しながら、

「ちょっと冷えるかも…」と歯に噛んだ。

 晶はどうすべきか、辺りを見回すと、別席で膝元にブランケットを掛けている客を何人か見つけた。

 するとタイミング良く、店員が通りかかる。

「すみません」と晶は声を上げた。

「ブランケット、借りても良いですか?」

 そう一言申し出ると、その店員は、ぽっと頬を赤らめた。しかし、隣に座る一樹を目にすると慌てて視線を逸らし、

「は、はい…!」と急いでブランケットを取りに行ってくれた。

「あのお姉さん、絶対晶さんに見惚れてた」

 一樹は頬を膨らませながら言う。

「なわけないだろう」

 晶は苦笑した。


「あったかーい」

 ブランケットを膝上に掛けると一樹はほろりと笑った。しかし、一樹は一つ気になる事があった。先程、ブランケットを持って来た店員が晶の事を気にする視線を通りかかるたびに投げつけるのだ。

 それに一切気づかない晶。一樹は店員に対する小悪魔的なアプローチと晶の心を揺さぶりたいという衝動に駆られた。

 そして、一樹は自然な素振りで、

「晶さんのポケットお邪魔しまーす」

 とジャケットのポケットに手を入れた。一層と距離が縮まる。はたから見れば、2人が親密な関係である事を容易に想像できる。

(あれ?俺たちかなりバカップル?)

 一樹はそう心に思いながらも、ぴたりと身体をくっつけた。晶は積極的な一樹の行動に顔が真っ赤だ。



 ***



 昼食を終えると、2人は海沿いの広場へやってきた。

 デートプラン二つ目。広場で催されたバレンタインデーマーケットに参加する。

 広場では数々の有名チョコレート店が露店を開いており、限定チョコレートやドリンクなどの販売をしている。

 さらに中心には、巨大なプレゼントボックスのオブジェと数多くのピンクや赤のバルーン、可愛らしい花々が飾られている。

 ホワイトカラーのプレゼントボックスには仕掛けがあり、よーく目を凝らしてみると世界の言語で愛の言葉が薄らとプリントされているのだ。

「何て書いてあるのかな?」

「あっこれ日本語じゃない?」

「どれどれ、あっホントだ!愛してるだって」

 と本当によーく目を凝らさなければ読解できないため、その際、2人の距離がぎゅっと縮まる。さらに、自然と愛の言葉を口にしてしまうため、普段口にしない事も照れる事なく、伝える事ができるのだ。


「晶さん、見てこれ」

 一樹は笑いながら言った。

「ん、どうした?」

 晶が一樹が目を凝らす文字を見つめた。

「身体に気をつけてね、だって」

「はは、らしさがあるな」

 晶と一樹は顔を見合わせて笑い合った。

「あっ月が綺麗ですね、もあるよ」

 一樹の楽しそうな横顔に晶は暫く見惚れた。

「写真撮ろう!」

 スマホを構える一樹に晶はハッと瞬きした。晶は照れながらも、一樹に身を寄せた。すると、一樹がさらに晶に迫る。顔と顔が触れそうな距離。

「はーい、ちーず」

 一樹はシャッターを切った。

 写真を確認すると、一樹は微笑する。

「晶さん、微笑みがクールすぎる。でも、かっこいい」

「あまり写真を撮る事がないからな…」

 晶は照れた様に頬をかいた。

「それにしても、やっぱり文字写らないね」

 真っ白だから肌艶良くなるけど、と一樹は口を尖らせる。

「なんだろう、言葉に出しなさいって事なのかな?」

 一樹は上目遣いに晶を見つめた。一樹の見解は制作者の意図に合っている気がした。

「もう一回、撮ろう」

 そう言って、一樹がスマホを構えた時だった。

「あの、もし良かったら、写真撮りましょうか…?」

 晶と一樹に話しかけて来たのは、二人組の女の子だった。恐らく、一樹と同い年ぐらいだろうか、晶は一樹と目配せ合う。

 すると、一樹は声を出す事なく、笑顔で頷いた。

(きっと声出したら、2人驚いちゃうだろうなぁ…)

 晶は一樹の考えを汲み取り、

「お願いします」と微笑した。

 一樹は晶の腕に抱きつき、肩に頭を預けるポーズを決めた。

「撮りますねー!はい、ちーず!」

 もう1枚、と2回シャッターが切られた。

「確認お願いしまーす!」

 写真を確認すると、晶は本当に自分達なのか、と疑った。

(さすがスマホ世代だ…)

 たった数秒で見せた撮影テクニックに感服した。

 一樹も満足げに微笑んでいる。

 ふと、女の子達は顔を見合わせ、何か伝えたい事があるかのように一樹をチラチラと見つめた。

 一樹が首を傾げると、一方の女の子が言った。

「なんか、SNSやってますか…?」

 想定外の言葉に一樹は申し訳なさそうに首を振った。すると、女の子達も眉を下げる。

「そうなんですね…。凄い可愛いから、インフルエンサーの方かなって思ったんですけど…すいません」

「本当に!?すごい嬉しい!」

「え」

 一樹は咄嗟に口を抑えた。

(やべ、喋っちゃった)

 突如、目の前で女の子が想像以上の低い声を出したら、驚愕以外の反応は示せないだろう。

 案の定、2人の女の子は口をぽかーんと開け、理解が追いついていない様だった。

「驚かせちゃってごめんね。実は俺、男なの」

 一樹は申し訳なさそうに手を合わせる。晶も驚かせてしまった事に責任を感じた。

 しかし、女の子達は忽ち笑顔を見せた。

「とても素敵なカップルだと思います!」

「応援してます!彼女さんとても可愛いですね!」

 想像していた反応の斜め上であった。初めこそ困惑する一樹と晶であったが、次第にほころんだ。

 なぜか握手を交わし合い、女の子達は去っていった。

「色々、嬉しい事言ってくれたね」

 ご満悦な一樹に、晶は微笑する。

「なんか、ちょっと感動しちゃった」

 それは晶も同感であった。彼女たちの反応から晶は一つ思う事があった。

「一樹、俺たちは世間的に見たら、少数派かもしれない。それに生きづらさを感じる事があると思う」

「うん、そうだね」

「だが、そんな少数派の俺たちを理解したい、受け入れたい、と思う人は多数派なのかもしれないな」

 一樹は自分自身もそうだと感じたことを言葉に落とし込んだ晶に感服した。さすが小説家だ、と小さく喝采を上げる。

「うん!もっと自信を持って良いかもしれないね」

「ああ」

 晶は自然と一樹の手を握りしめていた。



 ***



 観覧車がカラフルにライトアップされる時刻。

 晶は一樹が発した言葉に耳を疑った。

「まて、これに乗るのか」

 首がもげそうなほどに観覧車を見上げる。

「うん、乗るよ?」一樹はけろりと答えた。

 デートプラン三つ目。観覧車に乗って夜景を一望する。

 晶はサプライズデートの恐ろしさを痛感した。今にも脚がガクガクと震え出しそうだ。

 飛行機だけでなく、全般的に高い所が苦手な晶はそれを一樹に伝えていなかった。

 今さら無理だとは言えない。ライトアップされた観覧車を見上げる一樹のワクワクとした心情が洩れる笑みを崩したくない。

「そうか…わかった」

 晶は心を決めた。


 一体、どの様な心情で箱が宙を回り続ける乗り物に身を置くべきか、晶は一点を見つめたまま考えた。

「晶さん?」

 心配そうに顔を覗き込む一樹に、晶はハッと瞬きした。

「なんか、ぼーっとしてるけど大丈夫?」

 一樹は先程から一度も外の景色を見ようとしない晶を不思議に思っていた。観覧車はまだ半分も回っていないが、夜景は十分に感動を味わえるものだった。

 一樹の不安げに下がる眉。晶は悲しい思いをさせたくない、と思い切って、この恐怖から逃れられる唯一の方法を口にした。

「一樹、隣に行ってもいいか…?」

 飛行機の時もそうだが、心から信頼している人の温もりを感じることで恐怖は軽減される。

 晶は一樹の返事を聞く前に腰を持ち上げた。

 その際、僅かにゴンドラが揺れると、

「もしかして、晶さん…高い所ダメ…?」

 既に一樹の腕に晶は抱きついていた。

「実はな…」

 格好つかんな、と自嘲する晶に一樹は照れながら首を振る。

「ううん、可愛い」

 晶は面はゆい気持ちになった。

 今日一日で最も2人の距離が縮まった瞬間であろう。その為か、晶はいつもと異なる一樹の香りに気がついた。

「一樹、今日、香水つけてるか?」

「うん!リリーの香りだって」

 もっと可愛くなると思って、と一樹はバッグからアトマイザーを取り出した。それをワンプッシュしようとした。

 その時だった。

「えっ!ちょ、晶さん!?」

「こっちの匂いの方が落ち着く…」

 晶は一樹の首元に顔を埋めた。そして、手は一樹の香水を吹きかけ様とするその手を握り締めていた。

「一樹…」

 ふと切ない声色が耳を撫でた。

「なに…?」

「今の一樹は凄く可愛いよ」

 だが、と晶は口を結んだ。そして、一樹の瞳をじっと見つめる。

 言葉は必要なかった。結び合う視線が語っていた。

 一樹はゆっくりと瞳を閉じる。すると、唇に柔らかな感触が重なった。

 触れるだけの甘かなキスを一つ交わした。

 一樹は閉じた瞼を持ち上げる。すると、晶の瞳が真っ直ぐ一樹を見つめていた。

「ありのままの一樹が好きだ」

 そう一言呟くと、一樹の瞳からぽろぽろと涙が溢れた。

「おじさん…」

 晶は一樹の頬を優しく撫でた。

「大好き!」

 一樹は飛びつく勢いで晶を抱きしめた。その衝動でゴンドラは大きく揺れる。しかし、晶は怖くないと思った。

「俺も一樹が大好きだ」

 こうして一樹の温もりを感じていれば、恐怖心はどうてことない。

 観覧車はようやく半分を過ぎた。

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