Winter
人肌恋しい冬
季節柄、この時期のショッピングモールは人々の心が急かされている様である。
月末に控えたイベントごとが待ち遠しいのだ。
「おじさん、何喜ぶかな」
一樹はショーウィンドウを眺めながら呟いた。
12月24、25日。大切な人と過ごす事がこの上なく特別に感じられるイベント。一樹は、日頃の感謝を込めて、晶にプレゼントを渡したいと思った。
「うーん、あっくん何だろうね…」
癒しグッズかな、と隣を歩く郁子は腕を組みながら言う。
「おじさんが本当に必要だって思うものをあげたいからさ、聞いたんだけど…」
——特に必要なものは無い。お前たちと過ごせるだけで十分だよ。
「そう言われて、困っちゃった」
晶の物欲が皆無であることを知っていたが、はっきり言われてしまうと、それ以上の追求は無意味だと判断した。
「嬉しい事言ってくれるじゃない…」
郁子は初めこそ、一樹の思いを汲み取って、何でも良いから欲しいものをピックアップしろ、と心で叫んだものの、後半の言葉に胸がじーんときてしまい、強気な事を口に出来なくなった。
「でも、あっくんのことだから、一樹から何を貰っても嬉しいんじゃないかな」
「そうかな?」
「そうよ」
不安げな一樹に郁子は微笑んだ。
郁子には確信があったのだ。例えば、晶の家の玄関の棚には未だに一樹が幼い頃に折り紙で作った鶴が飾られている。
なぜ残しているのか、聞くと晶は喜ばしくも照れた顔で、
「一樹が俺の為に作ったって言うから、何故か特別に感じて処分出来ないんだ」
折り紙一つに対して、この有様だ。一樹の思いが込められたものに晶が迷惑だとか不必要だとか心無い感情を抱く事は決してない。
「クリスマスまでまだ時間はあるんだし、いつもみたいにあっくんの事を思って、ゆっくり考えたらいいんじゃない」
「うん!そうだね!」
一樹は母の言葉に、はやる心が落ち着いた気がした。
「あっ」
ふと、一樹は声を上げる。
「母ちゃん、あれ買って行こう」
郁子は一樹の視線の先を見た。どうやら期間限定スイーツの販売を行っているらしい。
「ちょうど家帰るのおやつ時だし…いいね!」
「やったぁ、おじさんの分も買って行こう」
無邪気な声を上げる一樹に郁子は、はいはい、と返事をして、列に並んだ。
***
寒気の到来により、すっかりと侘しくなってしまった花壇を晶は、哀愁深く眺めていた。春はチューリップ、夏は向日葵、秋はコスモスが花を咲かせ、季節を彩るが、冬は春に向けて植えた球根が静かに土の中で眠っている為、目に見える彩りは皆無だ。
首元を風がいたぶる。寒さに肩を縮こませ、羽織に手を忍ばせると多少、温い。
「防寒具でも買おうか…」
昨冬もこの庭で同じ事を呟いた晶である。結局毎年、買う事なく冬が終わってしまうのだ。
「それにしても今年は一段と冷える」
単に気温が下がっているのか、それとも老いによる基礎代謝の低下だろうか、とあれこれ思考を巡らせていると、
「おじさん、ただいま〜」
門口から一樹の溌剌とした声が響いた。
「一樹、郁子。おかえり」
晶が出迎えると、一樹は寒さで紅潮した頬を緩ませる。
「おじさん、そんな格好で外出て寒くないの〜!?」
まだ白息の溢れない秋季と装いの変わらない晶に一樹は衝撃を投げかけた。
「まぁ、冷えるが…」
と晶は肩を持ち上げる。すると、一樹は晶の手を取り、
「早くお家入ろう!」
晶は一樹に導かれるように家へと身を滑らせた。
「ショッピングモール、人も多かったし、クリスマスに向けて凄い賑わってたよね!」
一樹は同意を求める為、隣に座る郁子に目配せる。郁子は抹茶味の生チョコが詰まったミニタルトを頬張っている最中で、口に手を当て頷くだけだった。
「母ちゃんそれ何個目!」
突如一樹は、ボックスに収まるミニタルトの数を確認すると、母に問い詰めた。6つのミニタルトがそれぞれ異なる色味と香りを放っていたのだが、いつの間にか、一つしか残されていない。一つは一樹の皿。もう一つは晶の皿。三つ、郁子の腹の中といったところだ。
「1人2個って約束したじゃん!」
一樹は頬を膨らませた。郁子は手を合わせ、謝罪するが、呆気からんとしており、一樹の頬がさらに膨らんでいく。
すると見かねた晶が、
「俺はこれだけで良いから。一樹、食べなさい」
晶の手元にあるのは、ラム酒が効いたビターチョコレートのミニタルトだ。
「でも…!」と一樹は渋る。
晶は宥めるような眼差しで、
「残りは、一樹が食べたかったものなのだろ」
「…うん」
蜂蜜を練り込んだチーズタルトが、白いボックスの中で艶めいている。
「さぁ」と晶が急かすと一樹は、
「ありがとう」一言呟き、念願のタルトを手に取った。
「一樹は、何か欲しいものは無いのか」
晶は唐突に言った。実のところ、晶も一樹へ感謝を込めてプレゼントを渡したいと密かに考えていたのだ。しかし、歳が一回り以上離れている一樹が何を好むかなど見当もつかなかった。
本人に直接聞くべきだと思った次第である。
「俺?」と一樹は目を丸くする。タルトが相当口に合ったのだろう、満足げな顔をしながら、
「俺はね…」糸のように目を細めた。
「もう手にするまで間近だから…」
後の言葉を先読みした晶は、ひとりでに胸が熱くなった。
一樹は両手で頬を包み込み、
「俺が欲しいのは、おじさんだけだよ」上目遣いに晶を見つめた。
晶は想像通りだと思いながらも羞恥心は沸くもので、赤らんだ顔を見せまいと俯いた。一樹はニコニコと愛おしげに晶を見つめている。
その傍で郁子は口に手を当て、まぁ、と感嘆の声を溢した。郁子の目には、2人の間にふわりとハートが浮かんでいる様に見えた。
***
まるで徹夜明けにテーマパークへ行く学生の様な雰囲気に包まれた車内で、晶はその原因が運転席にいるこの男で間違い無いと確信した。
「先生からのデートの誘いなんて嬉しいです〜」
そう声高に言うのは、春日井渚の理解者、三好健であった。晶は恥じた顔で、
「デートでは無い。少し買い物に付き合って欲しいんだ」
「あはは、それもれっきとしたデートですよ」
晶の落ち着いた声色に健の明るい声が重なる。対照的な2人ではあるが、どちらもその温度差を居心地悪いとは感じていない。
とある平日の昼下がり。2人はショッピングモールへ向かっていた。突如、晶から頼みがある、とメッセージが入った健は、仕事の一環と称して、晶の誘いに乗った。
「先生がプライベートで僕を頼るなんて、珍しいですね」
健は正面を向いたまま言った。彼の運転さばきは自然と眠りに就いてしまうほどに穏やかだ。
「うん、まぁ…健なら高校生の流行り物だとか、欲しいものに敏感なのではないかと思ったんだ」
晶は辿々しく言った。
「ふーん」健は流し目に晶を見る。
「なんだ」と堪らなくなった晶が問い詰めると、
「二人の関係が順調そうで何よりです」
正面を向いたまま、にこやかに言った。
ショッピングモールへ着くと、さっそく二人はメンズファッションエリアへ向かった。
平日の為、人は少なく、晶はホッと胸を撫で下ろした。人混みを好まない晶にとってショッピングモールはあまりにも忙しなく感じてしまうのだ。
「そういえば僕、先生が着物以外着ているところ見たことないんですけど…」
二人肩を並べて歩いていると、健は言った。
「洋服持ってるんですか」
マフラーに顎を埋め、上目遣いに晶を見る。少し揶揄う様な口調に、
「あるよ!」と晶は赤面した。すると、健のカラカラとした笑い声が重なる。
「先生の洋服姿見たいなぁ」
ショーウィンドウに飾られたマネキンに目をやりながら、健は何か閃いた様に、あっ、と声を上げた。
「じゃぁこうしましょう。これ着てくれたらプレゼント選び協力します」
健はマネキンを指差しながら言った。
晶は唐突な提案に困惑する。確かに、無償で手を貸してくれなどあまりにも身勝手だ。さらに時間と労力をかけてくれた事もある。
『はい』以外の選択肢がない様に思えた。
「どうしますか」
さらに健が急き立ててくる。晶は考える様に口を噛み締めた。
しかし、最終的には、
「わかった」と渋々、承諾した。
——なぜ、こんなことになった?
晶は鏡に写る自身の姿に唖然とした。
「良いじゃないですか!」
「お前っ!開けるな!」
晶は試着室のカーテンを勢いよく開けた健に叱責する。
健はお構いなしに惚れ惚れと晶を見つめた。
「やっぱり先生、洋服も似合いますね〜。モデルさんみたいだ」
黒のタートルネックにネイビーのジャケットとパンツ。
とてもシンプルな装いだが、晶が着こなしてしまえば高級感に満ちる。
晶は歯痒くて仕方がないようだ。
「もう…良いか…?」
「何言ってるんですか!このまま全コーデ購入ですよ!」
「話が違うだろ…」
晶は、やれやれといった調子で額に手を当てる。すると、健は眉尻を吊り上げ、晶に迫った。
「これから大切な人と過ごす様々なイベントがやってくるんですよ!その時、もしかしたら一樹くんとデートもありえるじゃないですか!どうするんですか、先生!まさか着物でデートする気ですか!?」
健の矢継ぎ早な言葉に晶は圧倒された。
「わかったよ!着るよ!」
最後は投げやりに健の言葉に従った。
「さっ、この中から一樹くんに似合う色を見つけてください」
晶は店に入ってすぐにディスプレイされたソレと健を交互に見遣る。
「本当に、これで良いのか…?」
どこか納得いかない様な眼差しに、
「なんですか、その疑った顔。頼んだのは先生の方でしょうが」
健は薄目に見つめる。非難するような雰囲気に「いや…すまない」
晶は言葉を改めようとした。
「俺が思うに季節問わず長期的に使える物が良いと…マフラーだと冬だけだ…」
辿々しく言う晶に健はきっぱりと、
「だからですよ。冬だけだからです」
普段のまろやかな雰囲気が疑わしく感じられる真面目な顔つきをしている。
晶は不思議そうに首を傾げた。
「マフラーってそんなに多くは持たないと思うんです。ファッションにこだわる人は違うかも知れませんが…けれど、そんな人でもどんな服装にも合う無難なモノを一つは持っているはずです」
晶は妙に納得した。
「と、まぁ話は逸れましたが…そんな冬にしか身につけないマフラーを特別に感じませんか?冬になると、どんな物よりも身近にぎゅっと側にある。それを自分が特別だと思う人から貰ったら、嬉しいと思うんです」
健は自身の首に巻いているマフラーに目配せ、そっと触れた。慈しむ眼差しに、大切な人からの貰い物なのだろうと晶は思った。
「不思議ですよ。その人の事を思い出してしまう」
切なく眉毛が潜められる。
「身も心も、その人の温かさに触れているみたいで…」
健は一度瞳を閉じ、開けると弱々しく微笑んだ。
「先生なら、この意味わかりますよね?」
「…ああ。お前の言いたい事、よくわかった」
晶は頷きながら言った。そして、ディスプレイされた色とりどりのマフラーから一つ、手に取った。
凍えた冬の日。ふと一樹の頭に浮かぶ特別な存在でありたいと思った。
「第一、一樹くんが先生からのプレゼントを喜ばないわけがないんですけど…」
健はぼそりと聞こえるか聞こえまいかの声で呟いた。
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