クリスマス

 12月24日、クリスマスイブ。

 人々の笑顔で溢れる街の賑わいに自然と頬は緩む。ケーキいかがですか、チキンどうですか、と店の前で声を張り上げる店員は凍てつく暮夜ぼやにほのかな熱気を与えた。

「とりあえず私、予約してたチキン取ってくるから、あっくんはケーキよろしく!」

 そう口早に郁子は人混みに消えていった。待て、と手を伸ばす晶であったが、その手は虚しく、宙を掴むだけだった。晶はその手を引いて時計を見る。

(そろそろ上がったか…)

 秒針は6と12を差していた。18時、一樹がアルバイトを終える時間だ。イベント事が勝負所のレストランでアルバイトする一樹は、無論2日間ともシフトに繰り込まれてしまう。

 昨年、一昨年も出勤を余儀なくされた為、帰宅時間は21時過ぎと、とてもクリスマスを楽しむ気力もなかった。しかし、今年は早番で18時上がりにしてもらったという。

 ——今年は絶対に一緒に過ごしたい!

 子供のように、そう声を上げた一樹が脳裏に浮かぶ。

 自然と緩んだ頬を晶は抑えた。晶自身、季節のイベント事に関心がない為、特にクリスマスはイエスの誕生としか認識しておらず、信仰心のない自分には関係ない事だと思っていた。

 一樹が幼き頃は郁子の頼みで真っ白い髭をつけて、サンタに扮したものだが、それもいつしかなくなり…

 しかし、こうして街の賑わいや人々の笑顔を目にすると、季節のイベントごとも悪くない、むしろなければならないと気づいたのである。


 予約したチキンやケーキを受け取り、帰宅した頃にはちょうど一樹も家に着くだろう。

 晶は郁子の指示通り、ケーキ屋へ向かった。人混みに足は滞る。しかし、心持ちは穏やかで、踏み込む足も軽やかである。

(なぜ、こんなにも嬉しいんだ…?)

 晶は昂った感情を不思議に思った。しかし、考えてみると明白な事実があった。

「そうか、一樹と過ごせるからか…」

 一樹のくしゃりとした笑顔が脳裏によぎると心臓がキュッと締め付けられ、堪らなくなる。

(早く、一樹に会いたい)

 心でそっと呟いた。



 ***



「やっぱり今年も忙しかったね!」

 眞琴は体の疲れを癒すように腕を伸ばしながら言った。その隣で一樹も、首をこきこきと捻り、疲労感を排出しているようである。

 18時を回った頃、2人は勤労を終えた。ランチタイムによる第一波を終え、ディナータイムの第二波が押し寄せる前に2人はそそくさと事務所へ下がった。

「去年、一昨年はどっちも駆り出されたし、遅番だったからね」 

 一樹はエプロンを外しながら言う。

「ねっ、今年は後輩ちゃんたちが頑張ってくれるから」

 2人は顔を見合わせて笑った。

「この後、佐野は晶さんと?」

 眞琴は鏡越しに問う。忙しなく歩き回っていたからか、髪の崩れが気になるようだ。

「うん!家に帰ってクリスマスパーティするよ」

 一樹は喜ばしげに言葉を返した。一樹にとって今年のクリスマスパーティは特別に満ちている。なんせ、長年の想いを伝えることができた年なのだ。さらに高校生になってから初めて晶とクリスマスを過ごす。

 郁子と晶、3人で過ごすクリスマスは何年振りか。一樹は楽しみで仕方がないのだ。

「良いね、クリスマスパーティ」

 そう言って眞琴は更衣室から出てきた。その瞬間、一樹は目を見張った。眞琴は黒のショート丈のダウンジャケットにほっそりとしたふくらはぎが覗くタイトスカート、足元はブランドのロゴがサイドに入ったスニーカー。耳元では、きらりとピアスが揺れている。

 洒落た雰囲気にカジュアルさを含んだ姿に一樹は惚れ惚れとした。

「もしかして…悠真とデート?」

 眞琴の微笑する口元で真紅が艶めいた。

「うん…これから、イルミネーション見に行くの…」

 迎えに来てくれる、と眞琴は照れながら言った。一樹は自分事の様に嬉しくなった。

「臼井さん凄く綺麗!悠真、気絶しちゃうよ!」

 冗談混じりの声に眞琴はくすくすと笑う。そして、手元のスマホに目を落とすと、

「もう来てるみたい」

 裏口から事務所を出ると、悠真が待っていた。

「お疲れ」

 悠真は凛々しい眉を柔らかに垂れ下げた。そして、眞琴に目配せると、照れたように髪を掻く。

 その反応に一樹は溢れるようにニヤけた。


「イルミデート楽しんで」

 別れ際、一樹は悠真と眞琴に笑顔で言った。2人は恥ずかしそうに目配せ合い、

「一樹もクリスマスパーティ楽しんで」

「良いクリスマスを」

 と電車に乗り込む。2人を乗せた電車が走り出すと、一樹は自宅方面の電車に乗り込む。

(イルミネーションか…)

 一樹は晶と一緒に煌びやかな街を手を繋ぎながら歩く姿を想像した。周りが男女カップルで溢れる中、男性2人が手を繋いで歩く姿はどうだろうか?

 一樹は眉を下げ、微笑する。

(おじさんはきっと嫌だろうなぁ…)

 ふと陰鬱な考えがよぎり、それを払うように首を振った。

(これからクリスマスパーティなんだから、落ち込んじゃダメだ!)

 最寄駅に着くと、一樹は軽やかな足踏みで電車を降りた。



 ***



「ただいまー!」

 居間の方まで聞こえてくる一樹の声に、晶は書籍から目を離し、即座にコタツから身を出した。

 その姿に郁子は、やれやれ、と眉を下げる。

「一樹!おかえり!」

「おじさん、ただいま」

 一樹は赤らんだ頬と鼻先をくしゃりとさせた。外はひどく冷えていたのだろう、と晶は一樹の身体を慮って、

「さ、早く家に上がって」とまだ靴を履いたままの一樹を急き立てる。

「あはは、おじさん、そんなにパーティー楽しみなの?」

 一樹は晶の焦り様を微笑ましく感じた。すると、晶は気恥ずかしくなったのか、顔を晒す。そんな晶の姿に一樹もワクワクとした気持ちが一層と昂る。


 居間の四角いコタツテーブルの上は彩りで溢れていた。カリカリサクサクとしたチキン、コロコロと小さなモッツァレラチーズが転がるトマトサラダ。さらに、一樹を驚かせたのが、ホワイトソースのクリーミーな香りが漂うシチューであった。

「もしかして、母ちゃんとおじさんが作ったの!?」

 一樹が目を剥いて聞くと、2人は目配せ合い、照れた様に頷く。

「凄い!料理皆無の2人なのに!」

「おい、それは揶揄しているぞ」

「私だって出来るわよ!」

 晶も郁子も口を揃えて、一樹の言葉を否定した。そんな微笑ましい光景に一樹は白い歯を覗かせる。

 早速、ホワイトシチューを木のスプーンで掬う。ゴロゴロと大きなニンジンとじゃがいもが肩をぶつけ合いながら窮屈そうにしている。

 ——郁子、それ大きすぎないか。

 ——え、そう?いつもこんなじゃない?

 なんて会話をしていたのだろうと一樹は密かに想像して笑った。

「凄く美味しいよ!」

 口の中でほろりととろけるニンジン。一樹は頬を膨らませながら言った。

「良かったぁ」

 郁子は顎を手に乗せ、にっこりと笑う。頬は紅潮していた。手元のワイングラスの真っ赤な液体と同じように。

「一樹、肉はどうだ?」

 ふと、晶が言う。すると郁子がニヤニヤしながら、

「あっくん、自分で切ったから気になるんだぁ」

 からかう様な口調に晶は頬を赤らめ、グラスに視線を落とした。

「そうなの!?待ってね!食べるから!」

 一樹は鶏肉を掬い上げ、口に含んだ。小ぶりなぶつ切りだが、他の食材が大きい為、返ってそれくらいが丁度良く、食しやすいと一樹は思った。

「うん!食べやすいし、柔らかいよ」

 一樹がにっこり笑いながら言うと、晶はほっとした様に口元を緩めた。

(きっと母ちゃんが切った野菜が大きいから、小さく切ったんだろうな…)

 晶の心配りに一樹の頬は一層と緩んだ。


 こうして、あっという間に食卓を彩るものが平らげられ、食後のデザートも食し、皆の腹が満たされた頃、

「そうだ、一樹。プレゼントがあるんだ」

「えっ!俺も!」

 2人は、まるで本命はプレゼントだと言う様に声を上げた。そして、ほぼ同時に、晶は赤いリボンの飾りがついた箱を。一樹は青いリボンの飾りがついた箱を差し出した。

「あれ?」

「もしや…」

 2人は互いの箱を目にし、目を丸くした。なぜなら、どちらの箱にも同じブランドのロゴが印字されている。

「とりあえず、開けてみよっか」

 一樹はニヤけた口で言った。晶も笑いを堪える様に一樹から受け取ったプレゼントを開封する。

「やはり、一樹もマフラー…」

 ブルーのリボンを解き、箱を開けると、ブラックとグレーのリバーシブルカラーのマフラーが収められていた。

「あはは、色違いだ」

 一樹も箱の中に収められた、ブラウンとキャラメルのリバーシブルカラーのマフラーを見ながら笑う。

「でも、どっちも雰囲気に合ってるよ」

 郁子は微笑ましそうに目をとろけさせながら言った。

「おじさん、庭に出た時、首元寒そうだったからさ…それに、着物にもその色、似合いそうだなって」

 一樹はマフラーをぎゅっと抱きしめた。晶の想いが宿ったマフラーが大切で仕方がない様だ。

 晶も一樹の想いが宿ったマフラーをそっと撫でた。

「ありがとう、一樹」

「こちらこそ、ありがとう」

 見つめ合い、心を通わせる2人。

 ふと、郁子がこほんと咳き込む。

「私には…?」

 と首を傾げる郁子に晶と一樹はハッと瞳を瞬かせ、

「あ、忘れてた」

「母ちゃんの忘れてた」

 と口を揃えて言う。郁子はがっくしと肩を落とすものの

「大丈夫よ、2人が幸せそうで何よりだから」

 とワインを流し込んだ。

 その姿に一樹と晶は申し訳なさそうに眉を下げ、苦笑した。



 ***



 空のワインボトルが、コタツに入ったまま、眠りにつく郁子の傍に転がっている。

「母ちゃん、明日休みだからって…飲み過ぎ」

 一樹はそのワインボトルを拾い上げた。

 郁子だけでなく、晶も共にワインを飲んでいたが、ほとんど郁子が飲み切ったものだ。

 晶は、ほろ酔いのほわほわとした心地に浸っていた。

「おじさんも顔赤いよ」

「そうか…?」

 うん、とひとり正気な一樹は食器を重ね合わせる。

「食器とか洗っちゃうね」

 そう言って食器を抱えながら、台所へ向かった。その去っていく後ろ姿に晶はどうしようもない侘しさを感じた。徐に立ち上がり、一樹の後を追う。

「おじさん、どうしたの?」

 一樹はシンクに食器を置き、腕を捲りながら首を傾げる。晶は上目遣いに見つめてくるブラウンの瞳に鼓動が高鳴った。

(酔っているからなのか…?変な気分だ…)

「いや…なんでも…なんでもなくはない…」

「どっち?」一樹は苦笑混じりにいう。

 晶は自身のどぎまぎとした感情に戸惑っていた。

 すると一樹は、

「おじさん、言葉にしないとわからないよ?」

 子供に言い聞かせる様な口調だ。晶は顔を晒した。きっと、別の意味で頬がさらに赤く染まっているだろう、と思う。

 晶はぎゅっと目を瞑る。すると、一樹をこの腕に抱きしめた時、鼻腔を撫でた、心がとろりとする心地良い香りが脳裏によぎった。

 晶は思い切って口にした。

「抱きしめても良いか…?」

 一樹はハッと目を見開いた。しかし、すぐにほころぶ。その笑みはとても幸福に満ちていた。

「初めてだ。おじさんから俺の事求めてくれたの」

 晶は口を隠した。自身がどうしようもなく一樹を欲している、紛れもない事実に恥じらった。

 一樹は手を広げる。いつでも晶がその中に収まることができる様に。

「どうぞ、おいで?」

「…すまない」

 晶は一樹に抱きついた。一樹の背中に回る晶の腕は優しくも、強い。晶は一樹の首元に顔をうずめ、深く呼吸した。



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