花束を贈りたい人

 真夏の昼下がり。

 太陽が真上で照りつくこの時間はカフェで涼む客が多い。

 しかし、店内はボックス席が連なっており、客同士の会話は言葉として耳に入る事はなく、落ち着いている。


 一樹は先に眞琴が席に着いている事を確認すると

「ごめん、待たせちゃった」とひとこと詫びを入れて、向かいに座った。

「私も今来たところだから」

 眞琴はメニュー表から顔を上げ、微笑む。その瞬間、一樹は眞琴のいつもと異なる雰囲気を感じた。

 (なんか今日、いつも以上に大人っぽい…?)

「私、アイスティーにするけど、佐野は?」

 一樹はハッと目を瞬かせ

「 俺も同じの」と言葉を返した。

「突然、ありがとうね」

 眞琴はメニューを閉じながら言った。一樹は首を横に振る。

「全然、大丈夫だよ。でも、バイトの事以外で、連絡なんて珍しいからびっくりした」

 その言葉に眞琴は眉を下げ、苦笑する。その際、僅かに覗く二重幅が煌めいた。一樹は、あ、と何かを確信した。

「今日、アイシャドウ可愛いね」

 唐突な言葉に眞琴は目を丸くした。

「ラベンダーって言うのかな?凄く大人っぽくて素敵だなぁって思った」

 眞琴は改めて一樹の鋭さに感心した。

「ありがとう…」と照れた様に俯く。

「よく分かったね」

「俺、よく母ちゃんにデパコス買いに行くのに付き合わされるんだ」

 そうは言うものの、どこか嬉しそうな一樹である。

「おかげでクラスの女子たちのメイクの話題に乗れる」と冗談混じりに笑った。


 話にひと段落ついたところで、アイスティーが運ばれてきた。これを機に、眞琴は言った。

「私ね、好きな人がいるの」

 一樹はミルクをかき回す手を止めた。

「えっ、どんな人?」きらきらとした瞳は返って眞琴の心を痛めた。

「その人、佐野のよく知る人で…」

 一樹は記憶を探る様に目を泳がせる。眞琴は一つ息を吐き、言った。

「この前、お店に来てくれた和装の人なの」

「え」

 眞琴は唇を噛み締め、頭を下げた。

「佐野があの人の事、ずっと昔から好きだって、知ってる…分かってても、好きだって気持ちは収まらなかった」

 涙を堪え、震える眞琴の声に一樹の眉は悲しげに下がった。そして一樹は以前、晶から聞いた事を思い出した。

「おじさんから聞いたんだ。駅で臼井さんと知り合った事」

 眞琴は顔を上げ、涙で赤くなった瞳を一樹に向ける。

「そう…助けてくれて…」

「おじさん、見た目は人を寄せ付けない雰囲気だけど、凄く優しいんだよね」

 そう言って一樹は微笑した。眞琴は、うん、と頷く。

「そんなの好きになっちゃうよ。俺キュンキュンしちゃったもん」

「ごめん、佐野…」

「臼井さんが謝る事じゃないよ。偶然、同じ人を好きになっちゃっただけなんだよ」

 一樹は眞琴との対立を望んでいない。しかし、だからといって自分がこの恋から引くとも考えられず、複雑な感情に一樹も泣きそうになった。


 すると、眞琴は涙を拭いながら言った。

「でも私、佐野のこと応援したいの。だから、この気持ちを終わらせたい」

「それで良いの…?」

 一樹は心底、自分自身がアホだと感じた。眞琴も一樹のお人好しに呆れた様に

「佐野、こんな時でも優しすぎるよ。一応、ライバルなんだから、私の心配をする必要はないんだよ」と笑った。

「私にとって初恋だったんだ。私に初めて恋する気持ちを教えてくれた。私はその感謝を伝えたくて、告白したい」

 一樹は眞琴の真っ直ぐ射抜く様な眼差しに決心がついた。

「うん、分かった。これから臼井さんを連れて家に行っても良いか、連絡してみるね」

「ありがとう」



 ***



 つくづくこの男は分からない。

 晶はカウンター越しで啜り泣く男に呆れ顔で

「おい、勘定」と声を掛けた。

 すると、凛々しい眉がツノを立てる。

「待てよ!もう少し浸らせろ!」

 侘助は首にかけたタオルで涙を拭った。片手に持つ月刊雑誌は春日井渚の連載小説のページが開かれており、涙の原因はこれであると示している。

 犬猿の仲でありながらも、侘助は生粋の春日井渚ファンであった。蕎麦屋に忘れ去られた文庫本が始まりであり、何気なしにページを捲ったところ、知らぬ間に読み終えていたというハマりっぷりだったそうだ。


「悔しい!けどな、お前の職人心を強く打つ作風が俺のツボなんだ!」

「おう…ありがとう」

 晶は照れながら俯く。どんなにいがまれようと、こうして直接、自分の作品を讃賞されるのは嬉しい。

「今日の蕎麦も美味かった」

「お、おう」

 一方が褒めると一方も褒め返す。それが晶と侘助の話法であった。侘助も照れた様に鼻を撫でた。


「あっ、勘定な。勘定」

 侘助は思い出した様に晶からお金を受け取る。その間に晶はつい今しがた一樹から送られてきたメッセージを再確認した。

『これから、臼井さんと一緒に家に行って良い?』

 珍しい文面に初めこそ驚いたが、特に断る理由もなく、承知した晶であった。

 (どういうわけで、家に来るんだ?)

 考えようとも確かな答えは浮かばなかった。

「ほい、お釣りとレシート」

 そう言われ、晶は正気に戻り、それらを受け取った。すると、侘助が何か言いたげに口をモゴモゴとさせる。

「なんだ」

 晶が急かすと侘助は羞恥を隠すような素振りで瞳を泳がせながら

「また来いよ」そう一言呟いた。

 何かと気にかけてくれる不器用な男に晶はフッと笑う。

「来月から期間限定、きのこ盛り蕎麦始まるからな」

「もうそんな時期か」

 猛暑日が続く昨今、九月が秋という気象庁的概念も疑わしい。

 しかし、こうして旬のものをその時期に提供してくれる店があると季節の概念も終いではないと思える。

 晶はひとり納得した様子で暖簾をくぐり抜けた。



 ***



「おじさーん!ただいまー!」

 一樹達がやって来たのは、晶が帰宅してすぐの事だった。

 玄関口まで出迎えにゆくと、一樹とその隣に眞琴の姿があった。眞琴は顔を赤らめて会釈する。晶もこくりと頭を下げた。


 晶は居間に一樹と眞琴を通して、2人の向かいに座った。正直、どの様な配置で座るべきなのか迷いがあった。

 すると、すぐに一樹は立ち上がり

「俺、夜ご飯の準備してくる」と台所の方へ駆けていく。


 眞琴と二人、居間に取り残された晶はますます状況が飲み込めなくなった。そんな中、眞琴は開口一番に

「あの!これ、以前の御礼になります…!」

 菓子折りを差し出した。

「そんな気を遣わないでくれ」

 晶は困った様に眉を下げる。こうして、元気な姿を見せてくれただけで十分なのだ。

「いいえ!命の恩人です」

 眞琴は引く気がない様で晶は潔く受け取った。そして、既に決心のついている眞琴は言った。

「私、晶さんに恋しました」

 その言葉に晶は目を見開いた。なぜ一樹が突然、真琴を家に連れて来たのか、そのわけがようやく分かった。

「私はこれまで自分がどちらの性別であるべきなのか、分からなくて人を好きになる事を避けてました」

 晶は眞琴の言葉に傾聴した。

「けど、晶さんに助けていただいた時、凄くドキドキしたんです」

 眞琴の揺らめく瞳に晶は、眞琴が真意で言っているのだと認めざる終えなかった。

「これが恋だと気づいたのは佐野が私のチグハグな心を素敵だって認めてくれたからなんです。佐野が晶さんの事を好きだと知っています。そして私は佐野を応援したい気持ちです。なので、私の告白は感謝の意味だと捉えてください」

 想い人の同じ二人が、この家まで共にやって来る事がどれほど、どちらにとっても心苦しいか、それを思う胸がギュッと締め付けられた。

 しかし、眞琴は既に吹っ切れたような爽やかな笑みを浮かべて、

「私に恋心を教えてくれてありがとうございました」

 そう言って頭を下げた。

「私が伝えたかったのはそれだけです!」

 晴れ晴れとした満面の笑みに一切の曇りは感じられない。晶は眞琴の気質に感服した。これほど純粋な心を持った子が一樹の友達である事に喜びを感じたのだ。

 (どうか、この友情を大切にしてほしい)

 晶は深く頭を下げ、

「ありがとう」と自分に対する好意と、想いの衝突がありながらも一樹の友達である事に感謝した。



 ***



 一樹と眞琴は駅まで肩を並べて歩いていた。眞琴の歩みは軽やかで、一樹より数歩前を歩いている。

「佐野。今日はありがとう!」

 眞琴の振り返って一樹に目配せる。一樹は、ううん、と首を振る。

「私、佐野に打ち明けて良かった。それに、佐野の言葉に救われて、凄く感謝してる」

 本当にありがとう、と眞琴は笑った。一樹は素直に笑い返す事ができなかった。未だ眞琴が強がっているのでないかと不安な気持ちで上手く笑えない様だ。


 それに気づいているのか、眞琴は一層と明るげに

「じゃぁ、佐野!またバイトで!」

 改札前で二人は向かい合った。いつも同じ目線であるのに、今日は僅かに眞琴の方が高い。足元を見るとヒールのサンダルであった。

 (やっぱり、好きなんだね)

 しかし、一樹は眞琴の言葉を思い出し、柔な心に喝を入れた。

「またね!」

 一樹は白い歯を覗かせ、眞琴を見送った。



 ***



 一樹が眞琴を駅まで送ると家を出た後、晶は台所にて、収穫したばかりの野菜を洗っていた。


 夕飯を作るから、と二人を居間に残して駆けていった一樹ではあったが、会話が気になったのだろう。

 台所には今朝、庭で採れた野菜だけがそのまま、シンクに置かれていた。


「一樹…?」

 ふと、晶は背中に感じた温もりに動きを止めた。腹には一樹の腕がぎゅっと絡みついている。

 あまりにも静寂に溶け込んでいた為、触れられるまで気づかなかった。


 こうして一樹に背中から抱きつかれたのは初めてのことだった。

「ちょっとだけこのままで良い…?」

 一樹は額を晶の背中に押しつける。そして、胸一杯に晶の匂いを吸い込んだ。

 (おじさんの匂い…大きな背中…落ち着く…)


 晶は腹に回る一樹の手を握ろうか、迷った。心では今すぐにでもその手を強く握り締めたいと思っている。しかし、理性が強く働きかけてくる。

 (この手を握ってしまえば、俺は…)


 感情に抗おうとする晶は苦しげに眉をひそめた。

 するとその苦しみを和らげる様に一樹の甘やかな声が、

「おじさんを誰にも取られたくない」

 晶は目を見開いた。そして、一樹の手を握った。


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