【番外編】夏の終わりは恋の始まり

 やっぱり失恋って堪えるものだなぁ。

 佐野に背中を向けた途端、ずっしりと襲い掛かった悲しみに視界が霞んだ。


 駅中は妙に混雑しており、人の流れに押し流されそうになる。人通りを避け、柱に寄りかかると、どっと疲れが押し寄せてきて、暫く動けない気がした。


 誰かに慰めて欲しい。

 そう思って、スマホを取り出し、実咲とのトーク画面を開いてみる。

「今日、花火大会か」

 彼氏と花火大会に行く、とメッセージが届いていたのを思い出した。

 はぁ、と一息ついて、足元を見ると、慣れないヒールに足が痛んでいる様で、少し赤くなっていた。

 大人しく自宅に帰ろう。


 そう思って顔を上げた時だった。

「おねぇさん、一人?すごい美人だね」

「あっ…いえ…」咄嗟に顔を晒した。

 まさかのナンパ…?え、どうしたら良いか、分かんない。

「友達と待ち合わせとか?彼氏いるの?」

 矢継ぎ早に問いかけられ、頭がパニックになった。ただ、顔を背けて対処するしか方法が分からない。

 心なしか、手が震えた。

「俺と花火見に行こっか、いいよね?」

 そう言って突然、腕を掴まれた。

「やめて」

 腕を引いてもびくともしない。離してくれない。

 誰か、助けて――!


 そう心の中で叫んだ時だった。

「あれ?いっちゃん!待たせちゃったね!」

 ぎゅっと瞑った瞼を開くと、凛々しい眉が目についた。

 いっちゃんって…だれ?

 キョトンと顔を見つめていると、彼は眉を僅かに動かして何か合図を送ってくる。

 どう言う事だ?と頭を巡らせていると途端に、あっ、と閃いた。

 友達のフリをしてくれてる…!

「う、うん!待った!」

 理解してすぐに何度も頷いた。ようやく通じた事に安堵した様子で凛々しい眉が持ち上がる。

 二人して、じっと目配せあっていると、男はチッと舌打ちし、

「なんだ、彼氏持ちかよ」とその場を去っていった。


「ありがとうございました!」

「いえいえ」

 彼は凛々しい眉を下げ、笑う。その優しげな表情に心がほろりと安堵した。すると、彼は首を傾げ、

「臼井さんだよね?」

「え?なんで…」

 なんで私のこと知ってるんだろう?

「俺、一樹の友達の井口悠真って言います。臼井さんの事レストランで見かけた事あるからさ」

 その瞬間、涙が止めどなく溢れた。

 井口くんは慌てふためいた様子で

「ええ、どうしたの!」と咄嗟にハンカチを手渡してくれた。


 私自身もなぜ涙したのか。安心からか、恐怖から解放されたからなのか、分からなくて、ただ流れる涙をハンカチで拭った。


 自分達の傍を通り過ぎていく人達が不思議そうに目配せてくる。羞恥心から涙を止めようとしても全く止まる気配がない。

「ごめんなさい、巻き込んで…」

 嗚咽混じりにそう言うと、井口くんは悩ましげに眉をひそめた。すると、何か決した様に強い眼差しが注がれる。かと思えば、一瞬で視界が覆われた。

 井口くんは柱に手をかけ、周りから私を覆い隠してくれた。

「ごめんね、あんまり隠せてないかもしれないけど、せめてものって感じで」

 そう言って苦笑する姿に彼の優しさが滲み出ていた。


「そっかぁ…そんな事があったんだね」

 涙が止んだ頃、私たちは場所を変え、駅中のカフェでアイスティー一杯分の時間を過ごす事にした。

 不思議と井口くんには失恋した事を打ち明けられた。

「実はさ、俺もちょっと前に失恋したばかりなんだよね」

「そうなの…?」

 うん、と井口くんは笑いながら頷く。

「その相手、一樹なんだけどさ」

 私は驚きのあまり言葉を失った。

「臼井さん、俺に打ち明けてくれから、俺も言わないとなって思って…」

 そう言って、井口くんは佐野とのこれまでの事を話してくれた。私は井口くんの佐野を想う純粋な心が愛おしく感じた。

「まぁ、お互い前向きにいこうよ」

 そう言って、井口くんは白い歯を覗かせる。

「井口くん、凄く前向き」

 落ち込んでいた心が井口くんのおかげで、持ち上がる様な感覚がした。

「井口くん、ありがとう」

「悠真で良いよ」

 井口くんは少し恥ずかしそうに俯きながら言った。頬が赤らんでいて、なんか可愛い。

「私も眞琴で大丈夫」

 なんだか私も恥ずかしくなって、グラスを手に持った。ストローを口を当てると、ずーずーと音が鳴るだけだった。その音が妙に大きくて、目の前の悠真を見ると、同じ様にグラスを手に持っていた。

 二人して笑い合った。

「もう一杯、頼む…?」

「うん」

 あともう一杯分、この時間を過ごしたいと思った。

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