甘党編集者

「先生!こんにちは〜!」

 玄関口から聞こえてくる男の声は、まるで通信販売員の様な購買意欲を掻き立てる甲高い声だ。

 晶が出迎えに来ると、その男は人懐っこい笑みを浮かべ

「東京土産です」と甘い菓子の匂いが漂う紙袋を持ち上げた。

「お前はよくまぁ毎度、こんなとこまで来れるな」

 晶は呆れた様に笑う。

「あはは、言っても高速で1時間ぐらいですよ?」

 僕フッ軽なんで、とカラカラと笑う。同じ40代であるはずなのに、未だ大学生の様な雰囲気を感じさせるこの男、三好健みよしたけるに晶は毎度感心してしまう。


「洋菓子なんでお紅茶にしましょうか!」

 健は自然な動作で台所に立つ。違和感ない立ち姿は晶と健がそれほど親密で長い付き合いだという事を想像させる。

「いやぁ、それにしてもついに炎舞えんぶノ章、終わりましたね」

 僕泣きました、と目尻を拭う仕草をしながら健は言った。片手に握られたフォークはしっかりとクリームをたっぷり含んだロールケーキの一切れを掴み、今まさに口に運ぼうとしている。

 晶は一口、紅茶を啜ってから腕を組み、俯いた。

「この章は非常に心苦しいものがあった」

 晶の詰まる様な声色に健は静かにフォークを置く。

「江戸時代中期、財政回復の為、発足された寛政の改革に質素倹約を言い渡された江戸の町に華やかな色は消えた。その一方で江戸の町は紅の炎一色に染まる。落ちぶれた歌舞伎役者と町のヒーロー火消し屋の悲しくも至純な愛の物語」

 健は、くうう、と唸りながら目頭を押さえた。

「時代に翻弄された文化人二人の熱き純愛。この物語を綴れた事はとても有意義だった」

「さすが先生」

 健は小さく拍手した。

 春日井渚の担当編集者になり、早12年。時に意見の食い違いで衝突する事もあったが、それが返って二人の結びつきを固くした。

 だからこうして健は直接顔を合わせなくても打ち合わせの出来る時代において東京から県を跨ぎ、鎌倉まで車を走らせるのだ。

「健には感謝してる」

 突然の事に健は目を丸くした。晶の口元には朗らかな笑みが浮かんでいる。

「お前が持ち込んでくれた企画のおかげで俺は新たな境地に達した様な気がする」

 その言葉に健の口元も自然と綻ぶ。

 編集者が持ち込んだ企画とは四つの時代を舞台に物語を書く、短編連載小説であった。これまで江戸時代以外を舞台に物語を手掛けた事がない作家に他の時代を舞台に物語を紡がせるのはなかなかにぶっ込んだものである。

「もう先生は本当に人たらしですね」

 健は口にケーキを含んだ。口内に広がる滑らかなクリームの味はもう一口欲しいと思わせる程よい甘みであった。

「だから僕、担当辞められないんですよ」

 困った様に笑う健ではあるが、その笑みは嬉しそうに見える。

「お前以外、務まらんだろ」

 晶もケーキを口に運ぶ。あまり甘い物を食べない晶でさえ、二口目を欲する美味しさであった。

「本当に嬉しい事言ってくれますね!」

 健は喜びを噛み締める様に一切れのケーキをほいほいと口に運んだ。

「ところで、次回は明治期に突入しますが、いかような仕上がりでい?」

 健の江戸っ子の様な口調に晶は笑った。唐突に小ボケを挟む彼の癖だ。この癖に晶は弱い。

「やめてくれ」と額に手を当て肩を震わせる。それを見て健は嬉しそうに歯に噛む。

 笑いを出し切ると、晶は言った。

「やはり軍人同士と思うのだが…」

 晶は首を捻った。あまり自信がないといった調子なのである。

 そこで編集者の本領が発揮する。

「いわゆるアレですか、家族や恋人以上の精神的な結びつき…同士愛ってやつ」

 晶は頷いた。すると雅紀はフォークを置き、居住まいを正す。

「いいじゃないですか!」

 乗り気な編集者に気分を良くした晶は更なる案を持ち出した。

「例えば、上官と若き兵士はどうだろうか…?」

「いいですね!!!ずばり結末は帰還後に結ばれるとな…!?」

「いや、上官は若き兵士の未来を憂いて…死ぬんだ…」

 途端に健はズコッと肩を落とした。

「先生!江戸で悲哀と来たら明治は逆をいきましょうよ!」

 晶は顔を苦くして首を振る。健はそれをまるで上官が憑依した様に感じた。

「いや、だめだ。老いぼれが自惚れるな」

 あまりにも辛辣な言葉に健は唖然とする。しかし、勘の鋭い健はその言葉の矛先が晶自身なのではないか、と疑った。

「先生。最近、若い子と何かありました?」

「は!?」

 晶の慌てぶりに健は確信した。

「いや、なくはないと言うか…あるというか…」

 ぶつぶつとひとりでに呟く晶に健は

「先生は優しいですね。悪く言えば、臆病者ですが」

 と皮肉っぽくにっこりと笑った。晶は言い返そうとしたが、もう言葉が出なかった。


「じゃぁ行きますか!」

 二人がロールケーキを食べ終えた頃、健は言った。当然晶は眉根を寄せ

「ん、どこへ?」と聞き返す。

 健はニヤニヤと笑う。そして「内緒です」

 人差し指を控えめな薄い唇に添えた。

 晶は首を傾げた。不思議に思いながらも健に促されるまま、車に乗った。



 ***



 正午。キッチンからホールを覗いた一樹はオーダーを受け、戻ってくる眞琴の顔を見るなり、苦笑した。彼女が顔を苦くするわけはアレしかない。

「白桃ビッグきた?」

 一樹が聞くなり、眞琴は肩を落とし、頷いた。一樹はお気の毒にと言うように苦笑した。


 白桃ビッグとは、夏季限定の白桃をふんだんに用いた巨大パフェの事である。通常より大きなパフェグラスに下からヨーグルト、桃のソース、コーンフレーク、クリームと層になっており、グラスを突き抜けたてっぺんには白桃といちごのシャーベット、クリームをバランスよく配置しなければならない。

 こうしたデザートは基本的にホールスタッフが作る事になっている。眞琴は渋々といった調子で手掛けるのであった。


 メニューに載った写真を見ながら眞琴は眉をひそめる。

「はぁ、一日で来るか来ないかぐらいのモノだから慣れない」

 白桃とシャーベットの配置に苦闘する眞琴を一樹は楽しそうに見ている。

「いいなぁ、俺もやりたい」

「次来たら佐野やってよ」

 何気なく呟いた一樹の一言を眞琴は素早く掬った。

「えっ!やる!」

 一樹はかなり乗り気の様だ。一方、眞琴は仕上げの生クリームを盛り付けている。

「できた…!」

 どうかな、と眞琴はパフェを一樹の方に向けた。

「おおー!凄い!」

 感嘆と声を上げる一樹であったが、写真と見比べてみると

「あ」何かに気づいてしまった様だ。

 達成感に満ちた眞琴の顔が不安に曇る。

「多分だけど…もう一切れ桃、必要かも…」

 眞琴は大きく肩を落とした。

 すると、さらに眞琴の肩を落とす伝票が流れてきた。

「白桃ビッグ、注文入りましたー」

「また!?」

 眞琴は一樹に助けを乞う様に目配せる。すると一樹は、よしきた、と言わんばかりのやる気で腕を捲った。



 ***



 晶は目の前で子供の様にキラキラと瞳を輝かせる男をつくづく若いな、と思うのであった。

 どこへ連れて行かれるかと思えば、そこは晶がよく知るレストランであった。一樹のバイト先だ、と気づいた時にはもう既に座席に着き、連れは注文を済ませていた。

「一体、お前の胃はどうなってるんだ」

 晶は両袖に腕を忍ばせながら軽く首を傾げる。

「いやぁ、爽やかな甘味、白桃で締めたいと思って」

 あはは、と健は笑った。向かいに座る晶は店内をキョロキョロと見回している。

「そんな必死に何を探してるんですか」

「幼馴染の息子がバイトしてるんだ」

 キッチンの方に目を向けるも、一樹の姿は見当たらない。

 すると健は、へぇ、と勘繰る様な声をこぼす。ニヤニヤと口元に笑みが溢れる。

「何かと先生も若き兵士にぞっこんてわけだ」

 気の抜けた様に健は背もたれに寄りかかった。晶は一つ咳払いをし、真っ直ぐ正面を向く。

「違う。親心の様な愛情だ」

「不思議ですね〜」

「何がだ」

「繊細な恋愛的心理描写を得意とする先生が自分の恋には疎いんですよ」

 その言葉に晶の眉が僅かに上がる。

「まぁ、反動なのでしょうかね」

 健は仕方がないと言う様に首を振った。その拍子に、別席に運ばれていくパフェに目が奪われた。

「わぁ、見てください。白桃の城ですよ」

 何とパワーワードだ。晶は苦笑する。

「お前はグルメ記事を書く方が向いてるかもしれないな」

 そう言う晶に、健は

「何言ってるんですか、既に書いてますよ」

 とスマホを向ける。どうやらスイーツの感想を連ねる為のSNSアカウントを持っているらしい。

 晶は呆れと感心で視線を泳がせた。その時だった。

「あ」

「あっ」

 晶は偶然、側を通り過ぎる眞琴と目があった。無論、真琴も見覚えのある顔と装いに声をあげた。

「君は…」

 途端に眞琴は頭を下げる。

「い、以前はありがとうございました!」

 ごゆっくりどうぞ、と足早に去っていった。突風のように駆けていくその姿を晶は口を開けたまま見送った。

「誰ですか、先生」

 健の声かけでようやく晶は居住まいを正し、

「ん、以前、駅で具合悪そうにしてたんで助けた…とまではおこがましいが、そんなところだ」

 ふーん、と健は卓に肘をついて晶を上目遣いに見つめる。感の鋭い健には眞琴の慌てぶりからおおよそ察することができた。

「なんだ、その顔は」

 晶は健のニヤリとした顔に眉をしかめる。

 健は、いいえ、と笑った。

「先生は魅力的ですからね」

 唐突な発言に晶は赤らめた顔を伏せた。



 ***



 眞琴の慌てぶりは、バッシングに向かったはずなのに何も食器を下げて来なかった姿を見ると察しがつくだろう。

(どうしよう…いる!和装紳士がいる!)

 もう一度出会えたことにニヤけが止まらない。

「臼井さん!どうかな!」

 バクバクとした胸の高鳴りを抱え、バックヤードに戻った眞琴に一樹はパフェを見せる。

 眞琴はハッと思考を切り替え、

「すごい、写真のまんま」感嘆とする。

 一樹は、はい、と伝票を手渡す。

「じゃぁ、臼井さんよろしくね」

 あとはホールスタッフの役目だとキッチンに戻ろうとする一樹の背後から眞琴の絶叫が耳を突いた。

 何事かと振り向けば、眞琴は伝票をジッと見つめ、驚愕している。

「6番席って…!」

 オーダー先は、今まさに晶たちが座る席だった。途端に眞琴の心臓は跳ね上がる。

「佐野、代わりに行ってくれない!?」

「えっ何で!?」

 事情は説明せず、お願い、と手を合わせる眞琴に断る理由はなかった。一樹は首を傾げながらもホールに出た。

 一方で眞琴はバックヤードからちらちらと様子を伺うのであった。



 ***



(こんな巨大パフェ頼むの一体どんな人なんだろ?)

 一樹は眞琴に代わってオーダーを届けるがそれは多少なりとも自分の好奇心も混じっている。

 そして、6番テーブルへ向かい、男性2人が目に入ると、その一方が見覚えのある人物である事に気がついた。

「あれ…おじさん…!?」

「…一樹!」

 テーブルに着くなり、一樹は驚きの声を上げた。晶も同じ様に、ようやく発見した喜びと羞恥を交えた様な上擦った声を上げる。

「何でいるの!」

「まぁ、仕事の様な?」

 確かに仕事ではあるものの巨大パフェの存在が素直にそうとは言えなくさせる。すると、一樹は晶の向かいに座る、爽やかな微笑を浮かべる健に目を向けた。

 その視線に気づいた健は一層と目尻を下げ、

「初めまして。先生とは12年間親密なお付き合いをさせていただいてます、三好健です。よろしく」

 一樹は健の愛らしくも挑戦的な雰囲気に心がざわついた。

(何この人!可愛い顔して実は計算高いあざとい系だ!)

 一樹は瞬時に健の性質を見破った。そして一樹はパフェを健の前に置いてから、

「どうも。偶然ですね。俺も晶さんとは12年間…」

 言葉の途中で一樹は俯く。しかし。すぐに顔を上げ、何ともない表情で

「夜を共にする仲の佐野一樹っていいます」

 晶は危うくコーヒーを吹き出しそうになった。

 健は豆鉄砲を食らった様な顔をしながら

「あれま先生。もうそんな親密なんですか?」と首を傾げる。

「勘違いする様な言い方をするな!夜飯だ!」

 一樹の発言に慌てる晶。一樹は若干頬を膨らませている。健に対するギクシャクした思いを詰め込んだ様である。

 健は愉快な面持ちでそんな二人を交互に見つめた。

「では、ごゆっくりどうぞ」

 一樹は営業スマイル全開に、にっこりと微笑んで去っていった。

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