親友の秘密

 翌日、まるでタイミングを見計らったように一樹の手元に進路希望書がやってきた。

「来週の金曜日までに提出。期日厳禁です」

 教師の声に皆が「はーい」と生返事をする。

 2年生時の2月に仮の希望書を提出しているため、殆どの者が以前と変わりなく、余裕の面持ちである。

 そんな中、一樹は不安げに進路希望書と睨めっこしていた。

「来週の金曜までに俺、やりたいこと見つけられるのか?」

 第一志望、就職の一本攻めであった一樹は進学の場合、どのように進路を考えたら良いか、分からなかった。

「一樹」

 ふと名を呼ばれ、顔を上げると悠真がいた。

「一樹、今日この後バイト?」

「あ、うん。17時21時で」

「そうか」

 悠真は一樹の前の席に腰を下ろした。口は閉ざしているが何か言いたそうな顔をしている。一樹は伺う様に上目遣いに悠真を見つめた。

「決着ついたんだろ」

 悠真はチラリと一樹に目配せながら言った。

「ああ!」と一樹は思い出したように声を上げる。

 進路の事で頭が一杯になっていた為、すっかりと忘れていたのだ。

 申し訳なさそうに眉を下げる一樹に悠真は

「バイト後、会える?」と特に怒ることもなく、首を傾げた。

「うん」

 一樹は頷く。

「おっけ。迎えにいく」

 バイト頑張れよ、と悠真は教室から出ていった。



 ***



「今日ため息吐きすぎ」

 その声に一樹はスマホから顔を上げた。

「あ、臼井さん。お疲れ」

「お疲れ」

 臼井眞琴うすいまことは腰に巻いた黒エプロンを机に置き、一樹の向かいに座った。ホールスタッフの彼女も休憩に入ったのだろう。

 一樹と眞琴は共に高校一年の時からこのレストランで働いている。その為、一樹は眞琴に何の躊躇もなく、

「臼井さんって進路どんな感じなの?」とスマホに目を落とす彼女に問いかける。

「私?」

 眞琴は一瞬、切長の瞳を一樹に向ける。

「私は看護の専門学校通う予定だけど」

「へぇー!看護師!」

 これまで進路の話題を根深く掘り下げた事がなかった為、妙に話が弾んだ。

「それって小さい時からの夢とか?」

 眞琴は「違う」と首を横に振る。

「去年ぐらいから、足腰弱いおばあちゃんと一緒に住むようになったの。それで、訪問看護師さんが来てくれたりしてて、病院以外での働き方もあるんだなって感じで看護師目指す事にしたかな」

 眞琴は照れ傾げに首筋を掻いた。

「それに私、周りの子より背も高いし、体力も自信あるからさ」

 中学時代は陸上部に所属し、長距離走で県大会に出場するほどの実力があったそうだ。身長174センチのしなやかな肉体が駆けていく姿は目を引くほどに美しいであろう。

「佐野は就職だっけ?」

「いや、実は母ちゃんと色々話し合って進学する事にしたんだけど、何も浮かばなくてさ」

「だから、ため息ばっかついてるんだ」

 納得したように目を見開く眞琴。一樹は既に進路を明確にしている眞琴に助言を求めた。

「どうやって見つけたらいいのかな?」

 眞琴は腕を組み、うーん、と唸る。

「自分が好きな事とか、得意な事を挙げてみたらどう?」

 なるほど、と一樹は頷く。

「料理、得意でしょ?調理師とかどう?」

 一樹よりも早く、一樹が得意とする事を挙げた眞琴。

 一樹は眞琴の頭の回転の速さに感心しながら、笑った。悠真の顔が頭に浮かんだのだ。

「俺の親友が目指してる」

「そうなんだ」

 何とも幸せそうな笑みを溢す一樹につられて、眞琴も綻んだ。



 ***



 21時頃。

 悠真はバイクに寄り掛かり、ピーク時を過ぎたレストランの侘しい駐車場で一樹を待っていた。

 ふと、店の裏口の扉が開いて、一樹が出てきた。笑いながら、犬の様に駆けてくる。週末で店は忙しかっただろうに。しかし、疲労感のないその顔に悠真は笑った。

「お疲れ」

「ごめん、待たせたよね」

 謝罪の意を込めて手を合わせる一樹に悠真は全くと首を振る。そして、一樹にヘルメットを渡した。

「ちょっと海の方行こうぜ」


 一樹は悠真のブルゾンのポケットに手を入れた。運転する悠真は気付いてない様で、正面を向いたままバイクを走らせている。

 こうして一樹とツーリングをすることはよくある。悠真が二輪免許を取得し、初めて後ろに乗せたのは一樹であった。


「まだ冷えるね」

 一樹は向かいから吹く海風の凍てつきに肩を丸くした。その傍では悠真もポケットに手を入れ、暖をとっている。

「店、混んでた?」

「うん、7時ぐらいから一気に来たね」

 本題に入るのを避ける為か、悠真はたわいのない話を振ってしまう。決心はついている。しかし、いざとなると臆病になるのだ。

 そんな悠真の気を知らない一樹は

「悠真、俺ね」と打ち明けようとする。

 悠真は真っ直ぐ一樹の瞳を見つめた。全てを受け止める覚悟ができたのだ。

「おじさんの事が好きなんだ。恋愛感情として」

 悠真は顔を逸らした。驚きはしなかったものの胸が痛んだのは事実だ。そうだろうと予想していても、いざ本人の口から告げられると堪えるものがある。

「それで、思い切って告白したんだよ」

 一樹は悠真の方を向いたまま言葉を続ける。

「で、昨日、交際と同棲を受け入れてくれた」

「…そうなのか」

「ただし条件付き!俺が本当にやりたい事を見つけて進学する事だって」

 暗がりで一樹の表情を確認する事は出来ない。しかし、耳に聞こえる一樹の声色は嬉々としていた。

「良かったな、一樹」

「うん!」

 悠真は込み上げる思いを胸に抑え、精一杯の言葉を伝えた。


 しばらく、波音が二人の時間を埋めた。時折、悠真は一樹に目配せる。一樹は海の方に顔を向けている。何を考えているのか?口火を切るのは自分か?と思いを巡らせていると

「はい、悠真の秘密教えて」

 一樹は無邪気な声で言った。本当に何も知らない子供の様な無垢な心で。

「一樹」

 悠真は一樹に距離を詰めた。肩ほどの大きさの一樹は上目遣いに悠真を見つめる。一つ深呼吸をして、悠真は言った。

「俺は一樹、お前の事が好きだ」

 一瞬、煩い波の音が止んだ気がした。耳は悠真の力を込め、震えた声で一杯になった。一樹の顔は悲しげに歪んだ。

 (お前は優しすぎるんだ)

 悠真は一樹が自身の言動を悔やんでいると、その顔を見て察した。親友の想いに気づけず、無意識のうちにその心を痛めつけていた事にとてつもない罪悪感を抱いているのだろう。


 悠真は一樹の髪を荒く撫でた。

「ただ、もう吹っ切れた!過去の話だ。今は親友としてお前の事が好きだ」

「悠真…」

 親友のその言葉は真意なのだろうか?気を遣って想いを断ち切ったのか?一樹には分からなかった。

 ただ、その言葉を信じる事が今できる唯一の心遣いだと一樹は思った。

「ごめん…ありがとう」

「何で謝るんだよ、俺は一樹が幸せならそれで嬉しい」

 悠真は凛々しい眉を持ち上げた。

「これからも一番の親友でいてくれよな」

 一樹は「うん」と大きく頷いた。そして、大きくがっしりとした悠真の胸に飛び込む。

「お前、そういうとこ思わせぶりだぞー」

 と悠真は冗談めかしく言った。

「だってぇ」

 と嘆く一樹の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

 悠真は一樹の背に腕を回し、友情としての熱い抱擁を交わした。



 ***



「あっくん、ありがとうね」

 郁子は向かいに座る晶に微笑んでみせた。

 だいぶ酔いが回っているのだろう。顔は赤く、瞼も落ちかけて、眠ってしまいそうだ。

 一樹がアルバイトで帰りが遅い日。大抵、郁子は晶の家で一樹の帰りを待つ。明日、休日という事で今夜はだいぶ肝臓に無理を強いている様だ。

 晶は時計に目配せた。

「帰りが遅くないか。いつもならば、もう家に着いてる頃だ」

 心憂いげに呟く晶に郁子はニヤニヤと口を歪める。

「そんなに心配しちゃって」

「な!?ふ、普通のことだろう」

 郁子は分かってないな、という様に首を振った。

「バイト後に友達とくっちゃべる時間も一つの青春よ」

 郁子には一樹の動向が丸見えなのである。一方、晶は納得がいかない様でソワソワとしている。その姿を見た郁子は微笑ましく思った。

「一樹のこと大切に思ってくれてありがとうね」

 郁子は心底嬉しかった。こうして一樹を気にかけてくれる存在がある事が心震えるほどに嬉しいのだ。

「一樹のことを…よろ…しく…ね」

 バタッと郁子は卓にこうべを項垂れた。まるで死に際の一言の様である。

「おいおい…ただ、酒に潰れただけだろうが…」

 聞こえてないか、と郁子の肩を揺らすが反応はない。軽いいびきが聞こえてくる。

「お前は本当に俺が一樹の恋人になって良いと思うのか?」

 晶はハッとした。

「だから何で俺は…」

 と一樹との交際を前向きに捉えようとする自分を咎めた。

「ただいま〜」

 玄関の方から聞こえてくる一樹の声に晶は椅子から身を持ち上げ

「一樹おかえり!遅かったな」

 玄関口まで小走りに、一樹を出迎えた。

「うん、まぁちょっと話してた」

「そうか…」

 晶はしみじみと郁子の母親としての勘の鋭さに感服した。

「母ちゃん、酒臭っ」

 卓に頬をつけ、心地良さそうに眠りにつく母を目にし、一樹は呆れ顔である。

 しかし、内心は母の事を案じており

「しじみ汁、作っとこ」と小さく呟いた。

「おじさんはずっと小説家になる事が夢だったの」

 あまりにも突然の事だった。ましてや問いかけているのかすら分からないほどに自然な口ぶりだった。

 晶は一拍遅れで応えた。

「いや、昔から読書は好んでいたが、自分で手掛けたいとは思っていなかったな」

 春日井渚の誕生は流星の如くという響きがよく似合う。大学2年時、長期休みに暇を持て余し、何となしに書き留めた物語がその年の新人賞に過去最高峰と称されるほどに讃えられた。

 一樹は「ふーん」と相槌を打つ。

「高校時代、進路はどうやって決めたの」

 晶は少し考える様に黙りこくった。一樹が求める応えを返せる気がしなかった。

「親や親戚、皆が決まった大学へ進む事が暗黙の了解だった」

「おじさん、都内の国立だよね…?」

 すげぇや、と感嘆とする一樹に晶は曖昧な笑みを浮かべた。

「大した志もないんだ」

 すまないな、と眉を下げる晶に一樹は、ううん、と首を振った。

「俺さ料理が好きだから調理師、良いかなって思ったんだけど、何かそれは違うなって、納得できないんだ」

 一樹は卓の上で両手をすり合わせていた。迷いがその手に現れている様であった。

「でも、母ちゃんやおじさんが俺の料理を美味しいって食べてくれる姿を見るのは嬉しいし…」

 はぁ、と吐息をつき、隣で眠る母と同じ様に卓に額をつけた。

「一樹は郁子や俺、それぞれに合った料理を作ってくれるだろう」

 一樹は顔を上げ、うん、と頷く。晶の語り口から何かヒントを得られる様な気がした。

「俺は家に籠っている事が多く、あまり陽を浴びない。返ってそちらの方が健康であると思っていたが、太陽光を浴びる事で作られる必須ビタミンがあると一樹、力説してくれただろう?」

「あはは、懐かしい」

「だが、俺は納得しながらも行動に移さず。特に夏は酷かったな…」

 夏の日を思い出したのか、恥じる様に俯いた。その様子に一樹はクスッと笑う。

「けど、一樹はそのビタミンを含む食材で料理を作ってくれた。一樹の人を思い遣る心が料理というかたちで現れているんだろうな」

 その言葉は一樹の心を強く打った。

「体のことを考えて料理を作る。俺、それが好きなんだ…!」

 その途端、一樹は立ち上がり、晶のもとへ向かう。

「おじさん!ありがとう!」

 キラキラとした瞳が晶を真っ直ぐ見つめる。かと思えば突然、一樹は晶に抱きついた。無論、晶は慌てた素振りで、その体を突き放すべきか包むべきかの迷いで手が空中を彷徨った。

「おじさんが俺の夢を見つけてくれた!」

 はじける様な笑顔で一樹は言う。

「母ちゃん!帰るよ!」

 一樹は唸る母を無理矢理に起こした。一樹に肩を担がれる郁子はゾンビの様に項垂れながら、玄関まで運ばれる。

「じゃぁ、おじさん。おやすみ」

 器用に母を担ぎ、手を振る一樹に晶は

「ああ、おやすみ」と僅かに手を振りかえした。

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